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活動レポート

2014年5月

2014年5月30日

日本原子力学会への寄稿が終わりました。

日本原子力学会誌向けの寄稿がようやく終わりました。

頂いた大きな機会を福島原発で働く方々へ活かせるような提起をさせて頂きました。
文字書きを生業としていない為、大変手こずりました。

文字数制限3600文字では現地の方々の苦労と改善を訴えるには正直足りません。
その限られた文字数の中で共感を呼び、そして改善に促す文章になったのか、不安を抱えております。

著作権上公開が出来ません。
学会誌に掲載された事で公開とさせて頂きます。

原子力産業に携わる方々へ伝わる事を願います。

2014年5月30日

(公社)いわき青年会議所
心の復興推進委員会 委員長 野木さまとお会いしました。
いわき市において避難生活されている双葉郡の方々と、いわき市に震災前から住まわれていた方々とが、交流の場を持ち共存共栄するべく活動をされている方です。

青年会議所のメンバーの方も奥様が双葉郡出身であったり、ご自身が双葉郡出身の方がいらっしゃいます。

今同じ生活圏で生活する者通しが当たり前に交流出来る機会は多くありません。
時には心ない言葉を避難生活をされている方へ向けられることもあります。

交流出来ていないというより、交流できる場所がないというのが現実です。

私は双葉郡、いわき市といった垣根を作らず、お互いがお互いの現状を理解したうえで前向きな方向で協力していくべきだと考えています。

ご協力させて頂くことになりました。

さっそく、マンガをコンテンツとした事業の紹介をさせて頂きました。
子供達も参加し楽しめるイベントの目玉には強力なコンテンツです。

活動の幅を広げ、より多くの問題解決に取り組みたいと思います。

2014年5月28日

読売新聞の記者の方から「原発作業員の実情」を教えて欲しいとご依頼を頂きました

今まで、何度もいわき市に通ってくださっているそうです。
これから夏場になります。
恐らく熱中症や台風により汚染水タンク周り堰のあふれといった事で、また福島原発の問題が取り上げられます。

その反面置き去りになっている働く方々の日常についてお話ししてきます。

発電所構内だけではなく、その周辺地域の事情も理解してもらいます。

少しずつですが歩を進め、改善に寄与してまいります。

2014年5月27日

国際マンガ協会理事長の歌代さんとお会いしました。

マンガ協会名刺.jpg マンガ展の写真.jpg
以前からお願いしていた、マンガ教会の一員として福島県で活動出来るよう、名刺の作成ですが、理事会の承認が得られ頂くことが出来ました。

これで福島県内において、マンガをコンテンツとしたイベントを行いたい方々へ、斡旋が可能になります。

歌代さんはマンガを通じて子供達を笑顔にしたいという思いで活動しています。
私も非常に共感をし、お手伝いさせて頂くことになりました。

先のGWに東京都増上寺で開かれた「漫画家による仏の世界展」こちらは、歌代さんが行ったイベントです。

日本で著名な漫画家の方々が協力して開かれました。

こういった漫画家の方とコラボして、地域を盛り上げる事が福島県でも可能です。
私は頂いた権限をまずは福島県の浜通りに活かしていくつもりです。

如何ですか、浜通りを元気にしたいと思いの方、私と一緒に楽しい子供達と一緒にイベントを作り上げませんか

2014年5月26日

東京都御徒町にて記者の方とお会いしてきました。

うちの副代表のご紹介で記者さんとお会いしてきました。
その方の奥さんが双葉郡出身と伺っていたので、ひょんな繋がりもあるのだなぁと
お会いしてびっくりです。

なんと数年ぶりの出会いになりました。
とても近しい先輩の妹さんで
やや緊張した出会いのはずが大変打ち解けた場になりました。

私が人に誇れるのは人との縁です。
お会いする方が、偶然繋がっている事が多々あります。
それ故に大変良くして頂けることも。

この出会いをきっかけに、また福島の方々に対して良い結果が生み出せたらと思っています。

繋げてくれた副代表に感謝です。

2014年5月24日

ひろのオリーブ村さんの定例会に出席しました。

双葉郡広野町に行ってきました。
広野町はいわき市の北側に隣接する町であり、「原発事故避難区域」の南側に隣接する町です。

ひろのオリーブ村さんの会合に出席しました。
18日に日本財団ビルで行ったイベントについてご説明をさせて頂きました。
若手の方が参加された事に、メンバーからは驚きと嬉しさを伴った意見が出ました。

広野町は原発収束の最前線となっています。
町中には原発作業員の方々の事務所と寮が乱立しています。
元々、のどかな田舎町は震災前と違ったにぎわいを見せています。
ですがそのにぎわいも町民の方への恩恵があるわけではありません。
作業員=単身者といった構図故にコンビニ等は充実しても、スーパーや病院といったものは撤退したままとなっています。

避難指示が解除になり2年が経とうとしていますが、住民帰還も震災前の3割程度です。
まだまだ、震災前の水準にはほど遠い暮らしになっています。

とはいえ、オリーブ村さんを代表するように希望も生まれています。
町民みずからが立ち上がり、復興ではなく町を良くしようという動きが進んでいます。

土日には町のグランドやサッカー場、テニスコートで遊ぶ子供達も増えてきました。

小学校に植えたオリーブの雑草取りをしながら、隣でサッカーにいそしむ子供達
少しずつですが確実に、前に進んでいる実感を感じています。

変わらない現実とつい嘆きがちですが、前には進んでいるのを感じました。

どうすれば加速出来るか
判断を間違えず、いきたいと思います。

2014年5月23日

吉田調書についての正しい理解の為、ジャーナリストの方に記事を出して頂きます。

朝日新聞で報道された、いわゆる吉田調書
内容は「事故当時、福島第一原発で復旧業務に取り組んでいた方々が発電所構内での待機命令を無視し、9割方が逃げた」という物です。

こちらについて、福島第一原発とのパイプもあり、福島第二原発で復旧にあたっていた私にとっても認識は大きく違います。

但し私がこの論争に対して、いくら当時の状況を訴えかけても「元東京電力」という肩書きがかえって混乱を招き、その結果現在も最前線で働く方々に対してご迷惑をおかけしてしまうと考えています。

事故当時から現在も作業に関わる方々への名誉を守るにはどうしたらよいか
考えあぐねていました。

私としても吉田調書から伺える、原発事故「メルトダウン」が目前に迫った緊迫した状態でも、指揮命令が正しく現場の末端まで伝わる状態が確立されていなかった問題は、今後の原子力発電所の安全に関わる問題として、厳しく追及されるべきと考えています。

ですが、その問題があらぬ方向へ飛び火し、「逃げた人間は極刑だ」といった言わば魔女狩りに発展してしまう報道の在り方に問題を感じています。

当時の時系列と混乱の度合い、事実は如何なるものだったのか
お知り合いのジャーナリストさんが記事にされる事になりました。

只今水面下で動いております。

今一度、皆様方におかれましては単一の2次情報だけで判断せず、冷静に次なる情報をお待ちください。

私も記事化された段階でご報告いたします。

現地で働く方々を守る
AFWとしての活動が問われるところです

2014年5月21日

JR東日本の皆様をいわき市から楢葉町までご案内いたしました。

避難指示解除準備区域になんら制限なく入れることに大きな驚きを感じていました。

目の前に広がる町に人が住んでいないことが、現地を訪れても実感出来ないといった様子です。

除染の為に町のあちこちに置かれた黒いごみ袋
それらが数千という単位で保管されている光景

除染の実態に触れて頂けたと思います。

だんだんと重苦しくなるバスの車内、想像を超えた現実に言葉が出ないようです。

しかし私がお伝えしたいのは、現実に同じ日本社会の中で起きている事であり、そして声も出なくなってしまう実情は、原発事故避難されている方にとっては日常化してしまっている事です。

風化という言葉で表現されますが、それは思いや探求心の事です。
現状の厳しさは継続しているのです。

原発作業の最前線となっている広野町の状況も見て頂きました。
静かでのどかな田舎町です。

ですが日本の最大課題を支える町に変わった今は、それが異様である事に気づいて頂きたく思います。

国も東京電力も全力をそそぐ、それは発電所構内でのお話し。
支える町の発展がおざなりのままです。

津波で破壊された沿岸部は道路すら整備されず、町の商店街はほとんどがシャッターを締めている。
コンビ二意外の商業施設は満足に機能していない。

日本社会全体も見て見ぬふりをした、結果が広野町の現状です

沢山の一次情報を持ち帰った今日の皆さんは明らかに現地への理解が変わりました。

言葉よりも体験して頂くことの重要性を私も再認識した次第です。

2014年5月20日

依然よりご依頼のありました、JR東日本有志様に講演を「いわき市」で行いました。

事前に東京で行った資料を読み込まれていた為、いわき市に関わる原発関連問題を中心とした、Q&A方式の講演を行いました。

皆様、いわき市に来られたのは初めてのようです。
想像を抱いていた事と現実とのギャップに驚かれていました。

原発に関心のある方々です。
懇親会を町で行うと聞き、いわき市駅前では作業員の方が多くいらっしゃる、是非お酒が入っても配慮した会話をお願いしますとお伝えしました。

私も懇親会にお邪魔したのですが、入ってすぐに現職時代一緒に作業を行っていた方がいらっしゃいました。

今でも、会話をして頂けることに嬉しく思いました。

明日はバスを借り、広野町までの視察の同行いたします。
初の企業向けガイドです。

しっかりと生の情報をお伝えしてまいります。
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2014年5月19日

構想日本にて活動されている方と会合を行いました。

今日は赤坂に会合に行ってきました。
以前からお付き合のあるTBSの方が、シンクタンクとして有名な「構想日本」の方に引き合わせてくださいました。

私と同世代の方です。
大学時代から選挙のお手伝いをし、卒業後は政治家の秘書畑を歩まれました。
短い時間ながら見識の深さを感じ、勉強させて頂きました。

ひとつ気づきとして
私も含め、安易に政治を語っている気がしました。
お会いした方は明確なビジョンを持ち、政治家としての道を歩んでらっしゃいます。
政治家に本来必要な「思い」と「学ぶ姿勢」を持ち、そしてぶれずにいる。

思いつきのようにニュースに振り回され、現場ベースの情報を知らず、政治事を語る事の恥ずかしさを身をもって感じました。

ご紹介頂き、お知り合いになれた事に感謝しています。
強い戒めとともに、今後「福島原発の作業員問題と福島原発設備に関わる問題」についてご協力させて頂きたいとお願いいたしました。

この出会いが、政治にまで繁栄されたらなんて
夢ではない出会いだと思っています

2014年5月18日

日本財団ビル1階にて「ひろのオリーブ村」さんとイベントを行いました。

私達とひろのオリーブ村の皆さんでワークショップ形式のイベント
CANPAN主催オープントーク「地方の地域の活動を知る~福島・広野町編~原発事故避難地域に隣接した広野町の地域振興を考えよう」を東京都港区赤坂にある「日本財団ビル」にて行いました。

双葉郡広野町でオリーブ栽培を始めた「ひろのオリーブ村」さん
新しい産業に取り組んだ思いや背景を東京の皆さんに知って頂きました。

イベントでは、参加者それぞれのふるさとを描くことから始まり、そして私と広野町の方との対談により、震災前後の広野町の状況を知って頂きました。

皆さんのふるさとで原発事故が起きた時、どういった事が出来ますか
困惑なさる参加者の皆様の思いがまさに、原発事故被災地の方々の思いそのものです。

福島で起きた出来事を自分に置き換える事で、思いを共有しました。

後半では、そのような厳しい状況ながら自ら立ち上がった「ひろのオリーブ村」さんのお話しを、私ではなく広野町の方から語って頂きました。

4時間の長丁場のワークショップでしたが、途中退席が決まっていた方から、最後まで参加したいといったご意見や、あっという間に感じたというご意見を頂きました。

参加者一人一人から一言を頂きました。紹介いたします。

1.自主避難をされている方から。私も何か始めようと強く思いました。
2.自分の町を守りたいと強く思いました。
3.広野町の方から、悲しみや憎しみでは前には進めない、それよりも次の世代の為に頑張ります。
4.参加された小学生から。震災直後の状況はTVで知っていました。私も何かしたいと思いました。

今回、「被災地は大変だ」「助けてほしい」そういったイベントではなく
力強く生きている様から、参加者が気づきや繋がりを持つことが出来るイベントとなりました。

AFWとしても「次世代に託せるふるさとを描く」事の意義が参加者の皆さんに伝わるイベントとして行えたと思っています。

イベント詳細は「次世代に託せる地域づくり」を参照ください。

2014年5月17日

日本原子力学会様より寄稿のご依頼を頂きました。

福島第一、第二原子力発電所に従事される方々を社会的に支える仕組みを作りあげる必要性を主張いたします。

そこで働く方々が生活及び仕事において、大変な状況である「だろう」とは世間では認知されつつあります。

しかしそれらは深夜のドキュメンタリーや数あるニュースの極一部として、実感のわかない程度のものとなっています。

業界では問題として知りながらも、積極的な介入はなされず改善の兆しは未だ見えてはきません。

原発事故被災地地域と原子力従事者との共存のあるべき姿を今一度、世の中に考えて頂きたいと思っております。

執筆という事を始めて行うにあたり、自分に与えられたチャンスを働く方々に返せるように、責任を持った主張をしなければなりません。

作業員の方々を守る必要性について高い関心と機会を頂きました。

しっかりと務めさせて頂きます。

2014年5月14日

JR東日本様で講演会をさせて頂いたものを文字お越しして頂きました。

社内で配られるそうです。
なんと講演内容全て、計16ページに及びます。

思うのが、JR東日本様にとっても福島原発の問題は他人事ではないと、しっかり理解してくださっている事です。

その学ぶ姿勢が会社を大きく繁栄させている源なんだと思っています。

全国の応援してくださっている皆様
ここまで出来るようになりました。

校正しながら、支えられ大きな事が出来るようになってきたことに感謝の気持ちでいっぱいです。

2014年5月12日

PRAY&LIFEの「ふくしまの声」に、東京電力を退社した当時にインタビュー記事が掲載されました。

当時は今のように、次世代に託せる未来を作り上げるというコンセプトで活動しておらず、気持ちが大分先行した「福島原発の仲間を守ること」や「自分の生きがいや誇り」を語っています。

3年が経過し震災当時の記憶も曖昧になってきた今、読み返すと初心を思いだすと共に辛かった記憶が蘇ります。

それ以上に避難された方々が辛かったことが責任から目を逸らさず、初心を貫徹しなければいけないと思い返してくれてもいます。

お時間のある方、覗いてみては如何でしょうか?
私の体験談ですが当時の状況が生々しく記録されています。

事故当時働いていた人達の気持ちとそれほど違いはないのかなと思っています。

PRAY&LIFEの記事はこちらです。

2014年5月10日

東京都狛江市で講演を行いました。

この講演はfacebookを通じてお会いした方々をいわき市から双葉郡まで現地ガイドをした事が始まりです。

ニュースや新聞を通してしる原発関連情報は2次情報と呼ばれるものです。
1次情報と呼ばれるものは現地に直接行く事で入手できる生情報(余計なバイアスがかかっていない)と言えます。

その1次情報に触れた方々が、主催してくださったものです。

当日は30名ほどがお客様が講演を聞いてくださいました。
福島原発作業員の生活の実態やなぜ辞めていくかを切り口とし、福島原発周辺から浜通り沿いの地域性と問題点をお話ししました。

訪れた方々の中には、ご実家がいわきの方や自主避難者の方がいらっしゃいました。

私の講演のさなか「そうそう。そうなんだよね」といった表情を頂く事は間違った事を伝えていない確かさを実感できました。

お越し頂いた方々からは聞いててよかった、大変ためになったと頂きました。
嬉しい反面、今回お越し頂いた方々の多くは原発事故や福島県に高い関心のある方々でしたが、それでも福島と関東とのギャップがある事が、誤った偏見や誤解を生んでいるのだと痛感した次第です。

如何に1次情報を広く伝えるかが重要だと思いました。
講演やSNSでは難しいところです。

真実はどこにあるのか
現地にあるのですが、それを取り出し皆が知るシステムがない
作りあげたいですね

講演会後、懇親会に参加させて頂いたのですが、サプライズでちょっと早いですが誕生日を祝って頂きました。

初めて会う方だけの場ではなかったので、アイスブレイクが必要なく有意義が時間を過ごすことが出来ました。

対話って重要ですね

2014年5月9日

ひろのオリーブ村の皆さんと植栽の準備作業を行いました。

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今日は「ひろのオリーブ村」さんのお手伝いをしてきました。

写真は福島県双葉郡広野町にある大型総合公園「二ツ沼総合公園」内にオリーブを植えるために土の改良をしている所です。

オリーブ村さんの今までの実績が認められ、依頼されて行っています。

この場所は二ツ沼総合公園内にある、パークゴルフ場の脇地です。
作業している間も、パークゴルフに来られた町民の方がみな話しかけてくれました。

なんだ墓穴掘ってるのかぁ?なんて、からかわれるのも嬉しいものです。

午前中は天気が良く汗だくだくでやりました。

写真のショベルカーは私も運転させて頂きました。
とても楽しいです。
やはり男は重機に興奮してしまいます。

午後は突然嵐のような天気になり、日中10度まで気温が下がり大変な事になりましたが・・・・

2014年5月4日

生活クラブ生協の会員向けの月刊誌「生活と自治」様から取材を頂きました。

私の活動の初期、福島県東白川郡鮫川村に建設された焼却炉について問題だと言っていました。

福島県では今も除染により大量にゴミが発生しています。
楢葉町では国道6号線沿いに大量の黒山が出来ています。

除染には、焼却による減容が不可欠です。
私は焼却炉を建設する事については肯定派です。

ですが鮫川村の場合、作られる場所、焼却炉の管理(安全、運転の面)に問題があると思っています。

放射性物質汚染対処特措法により、震災後は1kg当たり8000ベクレルまでは一般廃棄物となりました。

あくまでこれは暫定的な処置であるべきです。
基本設計は設置場所の考慮などは放射能廃棄物を焼却するといった事でないといけません。

私はたまたま、東電時代、発電所構内にあった焼却炉の放射線計測装置の保全を行っていました。
経済産業省から指定された設備であり、国の検査も受けていました。
それ故、いかに厳しく管理すべきかを知っています。

原子力発電所では厳しく管理されているものが、特措法により一般焼却炉扱いを受け稼働しています。

だれでも不思議に思うはずです。
原子力構内では厳しく
原子力構外では緩い

放射能物質を扱う事に慣れていない場所だからこそ、厳しくあるべきです。

燃やすものが違うでしょ?という方がいます。
確かに発電所では防護服を主に燃やします。
福島第一は別として、その他の原子力で燃やしているものの殆どは、除染廃棄物よりは低レベルです。

それと燃やして減容濃縮してしまえば、元の濃さはあまり問題ではありません。

私は必要以上に放射能を恐れる事はないと思っています。
ですが軽視する考えはあってはなりません。

合理的に可能な限り低くする事が必要です。
それと反する濃縮をする分けですから、除染で出た草木だから大丈夫とたかをくくられては困ります。

今日は普段と毛色の違う取材でしたが、有益に使って頂けたと思います。

2014年5月1日

東京電力労働組合本部との会合を行いました。

東京電力労働組合本部との会合です。
東京電力の労働組合は一つです。
入社=労働組合員といった組織になっています。
その組合のTOPの方々と会合を開きます。

場所と時間を割いてもらうオフィシャルなものです。

いつも普段着で活動している私もスーツに着替えます。

AFWの活動は、原発事故被災地の未来をもっと良くしていくために
中立に現地の方々と東京電力、そして原発作業員の方々を繋ぐ役目も果たしています。

原発事故による被災者の方々が今も抱かれる思いに
東京電力の現地への不誠実さがあります。

「福島の復興が私達の原点です」とHP上で謳い、原発事故により被災された方々に対して、一人一人丁寧に対応していくと公表しても、
被災地地域の復興への取組に積極的には関与できていません。

言っていることとやっている事に齟齬が生じています。

AFWの活動は本質的には東京電力が本来やる事をやっているに過ぎません。
団体の力不足故に広野町での活動すら小さなものです。
広域的に福島県全域でやれる力が東京電力にはあるはずです。

補償をしっかりとやっていく、それはマイナスを0に戻す作業です。
必要なのは、0より上を目指すため様々な取組に協力していく事だと思います。

その為に必要な事は、会社員という制約から勇気を出して外に出ることではないかと思います。
仕事として復興に取り組むのではなく、個人として向き合い、町民の方々の想いに沿って動く、一緒に作りあげていく事が必要です。

私個人もAFWとしての活動も、最初から福島県外の方々、被災された地域の方々に受け入れてもらえるものではありませんでした。

厳しいご意見を受けてきました。面と向かってのやり取りは辛いものがあります。ですが、ご意見を言われた方の体験、思いを鑑みれば、私が感じた辛さはその方の辛さそのものです。

でも原発事故から目を逸らさず、双葉郡を浜通りを福島県を良くしていきたいという思いが通じた時、信頼を頂き前に進めていく事が出来ました。

AFWは、たった一人の東京電力社員の思いで始まりました。
その思いがここまで来れた事の報告と、東京電力として本当の「福島の復興が原点」とはどういった事を指すのか、現地社員達の本音はいかなるものなのか

建設的な議論を行いたいと思っています。

AFWでこういった活動が出来ているのであれば
私達も被災された住民の方々と一緒に出来ることがある
それだけでも感じて頂きたいと思っています。

誠実さとは、向き合い、手を取り合い、共通の課題に臨むからこそ生まれるものです。
その先にほんの少しずつの信頼が生まれてくる
これは私が東京電力を辞めて活動し体現してきた間違いのない事実です。

悪戯に敵対せず、着実に歩んだ先に今回の会合があります。
元社員とはいえ、オフィシャルな会合を開くにはステップを踏んでいます。
私は扱いは一般人です。

ジャーナリストの方、新聞記者の方、TV関係の方、活動家と言われる方々
原発を題材に扱う私達はもっと真っ向正面から踏み込んでいかないといけません。

AFWしかこういった試みが出来ないとしたら、普段の取組が間違っているかもしれません。

次は会社運営側にもお会いしたいと思っています。