活動レポート
2015年3月
2015年3月31日
広野町上浅見川箒平地区、里山再生事業に伴う現場調査
今日は広野町へ行ってきました。
広野町を流れる浅見川を北上し、誰もいない空間を一人占めしてきました。
川を流れる音、鳥の声、普段聞けない音が沢山聞けます。
これから広野町は田植えに向けた準備に入ってきます。
来月の今頃には田には水が張られます。
綺麗な田園風景が今から待ち恋しいです。
そんな広野町の田植えに必要な水を供給しているのが浅見川
こんなに綺麗な水が保たれているからこそ、美味しいお米に育つのだと思います。
2015年3月29日
原発対話の会様に参加させて頂きました。
東京喜多見駅に来るのも大分慣れてきました。
この会に参加される方々は、様々お立ち場で来られます
傾向としては福島県の復興を後押ししてくださる方々が多いです
震災後や現在も第一原発で働く方々もいます。
第一原発の専門家はいつも言いますが、現場で働く方々です、今日はそうしたお立ち場の方が現状をお話ししてくださったので、大変参考になりました。
福島県を語るときに、科学的、情緒的、道徳的の三つがあると教えて頂いたのも印象に残っています。
科学的に語れる立場ではなく自分は道徳的にばかり喋りがちだと気づきました。
資料で現実をお伝えするのは楽ですが、対話で伝える難しさを感じます。
対話で伝えるのは大変難しいです。
対話のスキルをあげることも大切だと思いました。
2015年3月28日
アメリカ公共放送PBSの方とお会いしてきました。
実際に会って話をして本当に素晴らしい放送局だと思いました。
原発作業員の方を紹介してほしいと言われた時、こそこそ取材するのは歪めた情報の発信に繋がるので、東京電力に正面突破して取材をすべきだと以前お話したことを実践されていました。
現地の社員の方は大変だったと思いますが、アドバイスのかいがあって事故当時対処された方が顔も名前もだされて、東京電力の公認で取材を受けたそうです。
あるべき姿だと思います。
そして私も出演する予定でしたが気持ちよく辞退することができました。
放送を見られた方にとって私は元社員でしかありません。
立場がしっかりされている方こそ、事故当時を話す資格があります。
原発取材でありがちなのが、ほんの一部の暗部をわざわざほりだして社会不安をあおるものです。
例えばホームレスの方が集められ作業をしている、震災直後はいざ知らず、今の時点でそういった立場から仕事につかれた人をとりあげてセンセーショナルに報じてなにか現場にメリットありますか?きちんとした企業で取り組む大勢の方が同じ目で見られることを考えれば無意味で無価値です。
大切なのは現地でどんな課題があるか、そこに取り組む方々が共通で抱える問題があるかどうか、それに対して東京電力、政府、地域行政は廃炉を進めるための取り組みが行えているかです。
震災直後からフェーズが変ってきたことを受け入れられず、事故直後のイメージで進めるメディアと個人は困ったものです。
こちらもSNSで散見されますね。事故当時の写真を今のことのように使い不安を増幅する、いいねやシェアは増えますが何の意味もありません。
現地で働く方には軽蔑されます。
ちょっとお会いして話すつもりが話に花が咲き、気がつけば4時間近くご一緒してしまいました。
私は胸をはって言えます。アメリカ公共放送PBSさんの放送はきちんとされていますし、福島原発で働いていた身として是非見ていただきたい放送局さんです。
今までお会いしたメディアで圧倒的に上位だと感じました。
他国の放送局に負けないよう日本のメディアも頑張って欲しいと思います。
2015年3月21日
デモクラTVさんに出演してきました。
振り返り、対話形式の中で自分が意図する内容を伝える難しさを感じました。
40分ほどの時間はあっという間でした。
TVという媒体そして生放送であれば事前に参加者通しの入念な打ち合わせが必要だと感じました。
そして相手が有識者の方々であっても、普段お会いする一般の方々と同様に接する必要があると思いました。
福島第一原発について取り上げる方々がリテラシーを持ちえていないのでは、それは議論になりません。
今までメディアに対して不信感を持ってきました。
その根底にあるのは原発事故被災地で暮らす私達(当事者)の経験裏打ちされた知識は声の大きい方々(有識者、著名人等)の遥か上にあり、実情をよく理解されないまま発信を続ける体制、仕組みが変らず続いていることに「実情と違う(足りていない)二次情報として伝わっている」ということだと思います。。
メディア向け(有識者向けへ)の勉強会といったことも活動の視野に入れていく必要を感じました。
第一原発の入り口付近では防護対策が不要ですといった事すら驚嘆の状況では、震災直後の非常にリスクある発電所のイメージが根強く残っていると感じました。
一般の方もそうです。事故直後のイメージのままトラブル情報を聞けばご不安になるのは当り前だと思います。
現地情報を正しく伝える、トラブル、抱えるリスクを隠さず伝えることも重要ですが、同じように改善されたこと変ったことを正しく伝えるのも重要と言えます。
特に改善状況(変化)を伝えなければ、現場への敬意はそもそも生まれません。
有識者、著名人、といった現地を知らず肩書きで原発を語る方々は、原発事故で苦しむ方々への責任としてしっかり学ぶ必要があります。
3年続けていますが、現地をきちんと(双葉郡の文化や働く方々の環境、そして原発知識)理解されている方には未だお会い出来ていません。
それがすごく残念であります。
当事者のことは当事者しか分からない。
廃炉への取り組みを多角的な視点から語れる人間があまりにも少なすぎると思います。
だから私のような立場の人間にもお鉢がまわってくるのだと思います。
私は代弁者に過ぎません。
私も発電所に日常的に入る人間ではありませんから、本質的には大枠のお話しかしてはいけない人間です。
日本のジャーナリズムはかなり低いと感じます。
2015年3月20日
株式会社ルーメンスジャパンの取締役の方と、トータルソリューション株式会社、元伊藤忠商事顧問の方とお会いしてきます。
福島県双葉群の再生にお力添えを頂くお願いにあがります。
自分の故郷は自分で切り開くしか現実ありません
走り続けていけば、チャンスは必ず来るという思いでいます。
皆が豊かに暮らせるよう頑張ります。
2015年3月18日
2月26日に「公益社団法人 福島原発行動隊」様の院内集会の場で、福島第一原発視察で得た知見についてご報告をさせていただきました。
院内集会の場でお伝えすることで、間接的ではありますが国会議員の方に問題提起を行うことが出来ます。
今回は各議員の秘書の方がお話を聞いて持ち帰ってくださいました。
国政に少しでも活かされることを望みます。
参考までに
亀岡偉民衆院議員(自民)、階猛衆院議員(民主)、藤田幸久参院議員(民主)、太田和美衆院議員(維新)の秘書の方々が来場されました。
報告の模様は「公益社団法人 福島原発行動隊」様のWebで近日公開されます。
2015年3月17日
アメリカ公共放送PBSさんより取材のご依頼を頂きました。
取材の内容は3.11時、福島第二原発も津波により甚大な被害を被りました。
福島第二原発は危機的状況からギリギリのところで全基冷温停止を達成できました。
その背景には、第一原発と比べると、外部電源が確保できたことや、海水冷却設備が活きていたこと、非常用ディーゼル発電機が復旧の見込みがあったことなど、違いがあります。
私が特にお伝えしたいのは、当時技術とモラルの非常に高い作業員の方々と、指揮系統の東京電力社員が目の前の危機に一体となって取り組めたことです。
そこには技術者としての矜持があります。家族を失った方、安否不明の方が混在しそして自身は命の危険性を感じながら、なぜ当時取り組めたのか、これをお話することで、現地で働く作業員の方々の地位の向上に寄与したいと思います。
2015年3月14、15日
14日、15日と愛知県名古屋市にて「イラストレーター 茶畑和也さん」にお話会を主催していただき、浜通り地方の現在の状況と原発事故により避難生活を送られる方々が抱える問題についてお話させていただきました。
2015年3月12日
今日はJビィレッジに行きます。
原発事故被災地で暮らす方々が廃炉について学べる場を作るにあたり、東京電力に協力をお願いしに行きます。
私が目指すのは、住民の方々と現場で働く方々がお互いに尊重しあえる関係性を作ることです
昨日は日付けとしての節目でしかありません
AFWは日常として取り組んでおります
2015年3月9日
川内村さんをご訪問後、広野町上浅見川箒平地区の里山再生事業のお話をしに、広野町さんに行ってきました。
東京からの価値観と地元の価値観のすり合わせの為です。
事業内容の最終すり合わせに入っております。
確定次第公表する予定です。
2015年3月9日
今日は川内村さんをお訪ねしました。
復興に取り組まれる方々と、今後の「廃炉と共に暮らす地域の将来をどう描くか」について話合いをさせていただきました。
住民の方が廃炉作業へのリテラシーをあげることで、旧避難区域において生活していかれることに自信を持つことが出来る仕組みについてご提案させていただきました。
今後具体的に進めるにあたって、とても有意義な時間を頂きました。
この試みは福島第一原発を終え、それをステップアップしたプロジェクトになります。
住民の方が廃炉と向き合えないのではなく、向き合う構図がないことが問題です。
その改善に取り組みます。
2015年3月9日
いわき市にて、福島県の復興にご尽力されている方々と懇談させていただきました。
大変勉強させていただきました。
福島ごとを発信する立場の私には大変な責任があること。
その責任は、震災及び原発事故で苦しまれている方々に様々な影響を与えてしまう恐れがある故にです。
その責任についてしっかりと整理されている方々とお話出来たことは自身の戒めと成長に繋がると思いました。
遅くまでお付き合いいただき感謝しております。
ここ数日での自分の頭の中の整理度合いは大きく変わりました。
男子三日合わず・・・は本当だと思います。
成長させていただける出会いに感謝申し上げます。
2015年3月7日
東京都渋谷区神泉町8-16 渋谷ファーストプレイス8F
にてVOYAGEグループ様の会議室をお借りして講演会を実施しました。
会場の使用に際して「ニュースメディア byus(バイアス)」様のご協力を頂きました。
渋谷という立地条件と、とても素敵なオフィスをお借りすることで、お客様と十分に対話もできつつの講演となりました。
お越しになられた皆様から勉強になった、聞いてよかったと言っていただけたことに、自分もこの3年に及ぶ活動がきちんと整理され、一般の皆様にご理解を得られる発表ができるようになった手ごたえを感じました。
講演では、福島県を知らないという方にこそ知ってもらいたい、知ることで福島県で起きていることを正しく理解できるようなきっかけになってもらいたい
それを2,3時間という短い時間でお伝えできるようにならなければいけません。
手ごたえを感じつつ、次はどう改良を重ねようかと考えています。
3月14,15日、29日と続きます。
原発事故被災地の方にとって、メリットがある講演を続けてまいります。
2015年3月5日
日本経済新聞にて震災企画として「復興の断面」(全5回)が掲載されています。
そのうちの3回目(3月5日)は廃炉に取り組む方々の記事になりました。
私も取材を受け、現在の作業員の方々が抱える問題についてお話させていただきました。
廃炉の取り組みは今後も記事で皆さんに伝わるところですが、そこで働く方々が描かれることはあまりありません。
廃炉は「人」が取り組んでいます。それゆえに沢山の課題を抱えています。
課題の解決を進めるには、責任範疇を明確にすることが必要と考えています。
東京電力が現場の指揮を取り改善に取り組むことは絶対としながらも、現在税金で機能している現場を思えば、国策として作業員の方が抱える問題について前面に出てきてもらいたいと思います。
国難プロジェクトである廃炉に関わる方々が抱える問題だからこそ、「労働環境」「居住環境」の改善に、国が前面に立ち東京電力が現場を直接指揮していただきたいと思っています。
2015年3月1日
講演会を終えての思い
講演会で来てくださった方は、なんらかの形で福島県を応援してくださる方々ばかりでした。
名刺を交換し、普段の取り組みや生活を聞くと自分が知らないだけで大変多くの方が福島県に思いを馳せてくださっています。
それを知らない自分は恥ずかしく感じます。
これはAFWの吉川ではなく、一人の福島県民として多くの方の支えがあることを知ってのことです。
お会いすることも叶わない、沢山の方が支えてくださること
それも震災から5年目を迎えるのに
自分が逆の立場だったら、果たして出来ることなのかと思います
その事に反省と感謝の気持ちになれることも、講演で得る大きな気づきです。
大学を休職してまで、被災地の企業で働く大学生
震災後、放射線の資格をとって自らの町で放射能不安の解消に働きかける方
出会いは自己の反省と、希望ある未来に繋がっていると感じます。
やれる事なんて無限にあります。やれることに気づくか、気づかないか
そしてやれる事を勇気を出して選択できるか
出会った方々から勇気を頂いております。