活動レポート
2014年1月
2014年1月30日
オリーブ栽培で発生する副次品の模索。
先日、妻と一緒に作ったオリーブのリーフを「ひろのオリーブ村」で代表として活動されている「佐藤様」にお渡ししてきました。
持っていったのには理由があります。
作った時に思ったのが「楽しい」です。
この楽しいという気持ちが、オリーブを広野町で発展させていくには不可欠と感じたからです。
100円ショップの素材を使って簡単に出来る=簡単に始められる
是非女性の方が多く関わって頂ければと思いました。
急きょ、いわき市小川町に拠点をおき、陶芸、画家として活動されている方のおうちにお邪魔する事になりました。
オリーブの灰を元に釉薬を作って頂き、オリーブむら食器の試作品を作って頂くお願いをしてきました。
快く快諾してくださり感謝にたえません。
今のところ、リーフ、オリーブティー、オリーブ釉薬食器の目途が立ちつつあります。
これらを私達の団体では東京でイベント型販売を行う予定です。
オリーブが新な産業に繋がる、その最少成功モデルを広野町の方に経験して頂くことで、オリーブ村の6次化が夢で終わらないお手伝いが出来ればと思っております。
2014年1月30日
日本労働組合総連合会(連合)広報・教育局様から取材の申し込みを頂きました。
2月25日に発刊されます、月刊『連合』3月号にインタビュー記事が掲載される予定です。
お名前の通り、労働者の為に日夜精力的に活動されております。
現在の加盟組合員数は600万を超えます。
私の活動は福島原発に関わる労働者問題に特化していますが、この問題はどの労働現場でも実は共通する問題でもあります。
何事においても人が基準となるべきであり、会社が守られ発展するのは労働者あってのものです。
しかし実際は会社の経営が尊重され労働者が抱える問題は軽視されがちです。
私の活動=原発作業員労働問題について、関心を持って頂いたことに感謝いたします。
守ろう、支援しようという動きが民間一般人の枠を越えてきました。
2014年1月29日
小豆島のオリーブ会社の方に講義を頂いてきました。
今日は「いわきオリーブプロジェクト」様と「ひろのオリーブ村」様と一緒に、小豆島から来られた先生からオリーブ栽培のご指導を頂きました。
将来的に「ひろのオリーブ村」様は6次化産業を目指しております。
それは栽培、加工、販売までを自治体で行う産業です。
土の作り方、伸びた枝の剪定、栽培への想いと覚悟、肥料の選定、実際に成功されている方の情熱と知識と思いは、相当のご苦労がうかがえるものでした。
そしてその苦労を私達も挑むことになります。
添付した写真は本日剪定したオリーブの枝を頂いて、加工したものです。
それぞれ100円ショップで材料を買ってきて作ってみました。
リース大小と壁飾り
ご想像の通り、私の嫁が9割がた作成、アイディアをだしています。
私は剪定した枝を加工しやすいように、切り落としただけ。。。
広野町のオリーブの木が実をつけるのは、まだ2年ほど先です。
その間、楽しみながら出来ることを模索していくのが大切だと思います。
第2段は「オリーブティー」と「オリーブを使った陶器」を考えています。
楽しみながら産業を新につくる、これは思ったよりも楽しいです。
オリーブを広野町の特産として認められるくらいを目指して。
Appreciate FUKUSHIMA Workersも一緒に目指してまいります。
2014年1月29日
2月15日 北海道札幌市で講演会を行います。
2月15日北海道札幌市で講演会をさせて頂きます。
日時:2月15日(土)18:30~(18:00開場)
場所:古本と珈琲のBook Cafe ソクラテスのカフェ
北海道札幌市西区琴似2条7丁目 メシアニカビル地下
(地下鉄琴似駅1番出口徒歩5分 バス停「琴似本通」向い)
参加費:1000円(ドリンク付き)
お申込み:011-611-7121(要予約です。)
クロストーク(対談方式)で行います。
私の対談者として、中島岳志様にお越し頂きます。
中島様のプロフィールは下記の通りです。
1975年大阪生まれ、大阪外国語大学卒業、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究博士課程修了。北海道大学大学院法学研究科准教授
「著書」
「中村屋のボーズ」(白水社)で大佛次郎論壇賞受賞、「保守のヒント」(善風社)「秋葉原事件」(朝日文庫)、「血盟団事件」(文藝春秋)、「岩波茂雄 リベラル・ナショナリストの肖像」(岩波書店)など
講演内容
福島原発作業員の方々が抱える問題(労働環境、居住環境、通勤環境、被災者としての2重生活、賃金問題)等を元現地東電社員として現地の実情をお伝えいたします。
今後の福島原発の本当の収束には原発作業員の方々と原発に関わる東電社員の保護が必要な事のご説明。
私は原発事故により福島県双葉郡から避難しています。被災者として原発事故被災地の現在をお伝えいたします。
お近くの皆様、よろしくお願いいたします。
2014年1月27日
機能性インナー(例ヒートテック)900着をJヴィレッジにお届けしました。。
1月27日にヒートテック900着(上下450着)をJヴィレッジに届けてきました。
段ボールで23箱になります。
今回も購入先は「ワークマンいわき四ツ倉店」様
搬入は「赤帽 いわき市久ノ浜店」様
にお願いしました。
私達の活動を通して、現場で働く方々へのご理解を頂けています。
今回で5回目になります。
トータルで4000着(上下2000着)になりました。
現地働く方々のプライバシーを守るため、喜んでくださっている顔写真やお名前はだすことが出来ませんが、伝聞で皆さん大変喜ばれていると聞いております。
現在はJヴィレッジの玄関にて配布しています。
福島第一原発の入退域管理所、福島第二原発構内企業棟(こちらから、第一に行かれる作業員の方も多数いらっしゃいます)でも配布が出来るよう東京電力と協議中です。
その協議も元知り合い故に、腹を割って話せるのが強みでもあります。
相手側の事情に精通している為、もめることもありません。
実は届けるのは屋外倉庫になります。
ただ届けるだけなら、ほとんど人にも会わずひっそりと終わります。
ですが私は毎回、Jヴィレッジ建物内に入りお話しさせてもらっています。
私が活動で得た情報をお伝えし改善して頂けないか相談するためです。
原発作業員の方々のお話しと広野町の方々のお話しです。
実際に一つ、ご紹介いたします。
広野町では、毎夕原発作業員の方々、除染作業員の方々の通勤により
大渋滞が発生します。
その際、一部の方が裏道を使い、急ぐがゆえに児童の通学路を普段より配慮が足りない運転をされています。
それの事が町の方から見れば大きな問題となっていました。
どうにか改善したくとも町では中々出来ません。
この件について、Jヴィレッジ内にある復興本社へ相談に行きました。
町の方からの意見は裏を返せば、除染作業員の方々や原発作業員の方々への偏見に繋がります。
極一部の配慮不足が全体悪に簡単に繋がってしまいます。
この問題改善は広野町、除染及び原発作業員両方共通の問題です。
東京電力では企業連絡会(通称:安推協(あんすいきょう))というものがあります。
その場でこの議題を出して頂きました。
福島第一原発、第二原発、広野火力に対応対策をする旨周知されました。
また除染についても、東京電力も関わっているため対応協議中です。
改善に向けて、会社に動いて頂いた事例として紹介させて頂きました。
これからも届けるだけに収まらず、状況改善に努めてまいります
2014年1月26日
朝日新聞社の方とTV朝日の方に福島原発報道の在り方、作業員の方々の実情を知って頂きました。
今日は朝日新聞社の方と、急きょTV朝日の方とお会いしました。
朝日新聞社の方は今までも何度も連絡を取り合い、私が団体を立ち上げる前からお付き合いさせて頂いています。
今日は取材ではなく、近況を聞きたいとの事でした。
取材抜きにというのはとても嬉しいものです。
その場限りの付き合いが多い中、関心を持ち続けて貰えることは活動を続けられるエネルギーになります。
今日はせっかくなので、可燃物の放射性廃棄物について学んで頂きました。また、原発作業員の方々の生活環境問題について記事として取り上げるにはどうすればよいかも相談させて頂きました。
TV朝日の方も取材ではありませんでした。
勉強したいので教えてくれませんかという内容でした。
世間一般で広がったイメージ通りに作業員の方々を捉えていました。
それは違うという事を納得頂くのには2,3時間かかります。
以前から私が言っている作業員と一括りにしてはいけない。
大変複雑に多くの会社が混在していますから、全体像を知らない人間には中々語れません。
ノートに実際の企業名などを書き連ねて説明させて頂きました。
何か具体的に改善出来る活動ではありませんが、地道にやっていかないといけないと思っています。
こうして少しずつでも現地を知る人間が報道側に増え、正しい情報が発信されれば、世論が動き、政治が動き、改善されると信じています。
2014年1月21日
きたる3月11日 News23の報道特番に出演いたします。
現在、News23のディレクターの方と来る3月11日の特番に向けて
番組制作についてお話し合いを行っております。
私どもの団体も10分程度のお時間を頂いて、出演する事で大筋決まりました。
今回取り上げて頂く内容で、センセーショナルな事はありません。
現地の原発作業員の方々がどういった環境で福島原発に取り組んでいるかを紹介させて頂きます。
原発内の労働環境だけが彼らが辞めていく理由ではありません。
それよりも発電所の外、生活環境が問題であることを訴えさせて頂くものです。
通勤渋滞の問題、職業差別の問題、居住環境の問題、復興が進まぬ被災地と共存している事(復興が進んでいない)これらについてお伝え出来るようにしたいと思っております。
重要なのは現地の方々にとって、デメリットにならないよう全力で配慮する事です。
これにより現地改善の動きが加速される事を願っております。
2014年1月18日
双葉郡広野町にて、「ひろのオリーブむら」様と会合を開きました。
団体メンバーと広野町オリーブむらの皆さんと顔合わせ及び会食をさせて頂きました。
これまで代表の佐藤様と支援者の青木様とは代表の私は何度もお話し合をさせて頂いておりましたが、正式に共同で進めていく了承を得るための会合でした。
皆様こころよく迎えてくれました。腫れて私達もひろのオリーブ村の一員です。
正直に私の元東電社員という肩書きも説明させて頂きました。
またメンバーには現職の社員もいます。
絶対に越えられないと思っていた壁を越えたような気持ちです。
しかし私達もこれからが信頼を構築していく為努力が必要です。
現在、ひろのオリーブ村様は6次化産業を目指し精力的に活動をされていますが、全員が被災者というお立場もあり、中々前へ進む事が出来ていない状況です。
しかし確実に6次化に向けて、125本ものオリーブを実際に公共施設に植える活動や、苗木を育てる活動をされております。
これを産業に結びつけていくことは十分可能な地盤を作っていらっしゃいます。私達はそれらを販売まで支援する活動を行います。
まず実がなるまでの間(通常4、5年ほどかかります。)にオリーブの実以外での枝木や葉で作れる物品の販売ルートを作ります。
予定では東京にて丸ビル等の一角にてイベントを行い、実際に広野町の方に体験して頂く準備をします。
また、販売物を実際に我々で案を持ち寄り、広野町の方に作って頂く事を考えております。
私達は住民の方がやりたい、そして主体的に行う産業を未来の世代へ残すお手伝いを続けていくつもりです。
廃炉産業を中心とした町作りでは、決して本当の意味での復興は訪れません。
写真は当日の会合の模様です。
そして小さなオリーブの写真、これは言うなれば「未来への希望の芽」です。
かなりお膳立てが出来ているものです。
これまでの1年半の「ひろのオリーブむら」様の努力を決して絶やさないように。
2014年1月16日
機能性インナー900枚を発注してきました。
今日は機能性インナー(例ヒートテック)を900着発注してきました。
これでトータル上下合わせて4000枚になります。
ワークマンの店長様と「ずいぶんな数になりましたね。」とお話ししてきました。
大分全国在庫も無くなってきました。
東北で一番売れてる店舗には間違いないでしょう。
今日はユニクロ様にも行ってきました。女性用のインナーを購入する為です。あまり知られていませんが、原発関連企業では女性の方もいらっしゃいます。
1Fにはいきませんが2Fで働く方は多くいらっしゃいます。
2Fの存在がなぜ1Fに繋がるかと言うと、兼務だからです。
両方で働く方もいれば、2Fだけの方もいます。
それぞれが支えあって現場が成り立っています。
2Fで働く方々は1F要員でもあります。
私が今まで福島原発と言っているのは両方を含めた支援が必要だからです。
Jヴィレッジには何度も訪問させて頂いています。その中で女性用の要望を頂きましたので対応したいと思っています。
もう一つ報告です。
JR東日本労働組合様より支援金を頂きました。
JR東日本様は常磐線の復興に尽力して頂いております。
原発事故の被害者でもあられる企業の組合の方から、同じ福島の復興に取り組む方々へ支援のお気持ちを頂いた事は大変なご理解があってのものと思っております。
現地で働く方々には、一般の方々や企業にも応援している仲間がいる事実をお伝えしたいと思っています。
これは大きな力になると信じております。
私はパイプ訳です。
応援してくださる方々と現地との橋渡し。
私達団体以外にも是非増えて欲しいと思っています。
2014年1月15日
TV局の方といわき市議会議員の方と原発作業員の問題についてお話ししてきました。
日中は関東の学生団体を広野町小中学校に紹介させて頂きました。
また、いわき市、広野町、楢葉町、富岡町と行ける範囲内でそれぞれの町の現在の姿を見て頂き、いかに報道から得た知識が現実とかけ離れているかを知って頂きました。
帰りには原発作業員の方々、除染作業員の方々の通勤渋滞を見てもらい
広野町の仮設住宅も実際に見てもらいました。
被災者の方々がおくっている非日常を肌で目で確認して頂きました。
日中は結局夜7時まで長い時間お付き合い頂き、帰りには道の駅四倉にて勝手ながら我が町浪江町で震災前作られていた、関東でも有名な「寿」日本酒を親御さんへのお土産として持って帰って頂きました。
私はいわき産の野菜を嫁へのお土産に。
四倉名物「ソースかつ丼」も買ってきました。
個人ごとですが私は福島県産に拘って買い物する派です。
美味しいですし、安い、そして放射能検査をきちんと行っているのが理由です。スーパーで見える形で検査をやっていますと表示されています。生産者の顔写真も張ってある。安い事は本当は良い事ではありませんが。。。私にとっては買わない理由がありません。
誤解ありませんように皆様の食品への考え方を否定するものではなく、私はこうしています。といった話です。
学生団体の方々とお別れした後は、TV局番組制作の方とお会いしてきました。
次の3月11日に向けて作られる番組をより実態にそった物にして頂くため、僭越ながら福島原発の事を勉強して頂くためです。
途中、急きょ「いわき市議会議員」の方が混ざりたいと、私としても願ってもない事でしたので、混ざって頂きました。
いわき市としても原発問題は他人事ではありません。
その市議会議員の方と浜通りの現在の問題点をお話しする事は大変有意義な事です。
双葉郡の被災者の方々は勿論、原発作業員の方々の事も大変よく知ってらっしゃいました。
私が持っている情報を合わせる事で「こういった改善方法はどうだろうか」といった議論を交わせて頂きました。
気が付けば、夜の11時を過ぎましたので今日はお開きとなり、また後日お話しさせて頂くことになりました。
本来のTV局の方への勉強会がおざなりになってしまったので、明日も引き続きお会いしてきます。
被災者の方々、作業員の方々の問題解決に少しでも貢献できればと思っています。
また現地で頑張る東電社員の事もアピールさせて頂きます。
みんな思いは一緒なんです。
福島をもっとよくしたい。復興させたい。
そういった思いで活動されている方それぞれが自分の得意分野で活動しているだけで、本当はみんなでタッグを組むのが大切だと思います。
2014年1月15日
関東の学生団体の方々を広野町にご招待いたしました。(その2)
広野町小学校に続いて広野町中学校も訪問させて頂きました。
広野町中学校の校長先生に教えて頂きました事を紹介いたします。
広野町中学校の生徒数は震災前230人に対し現在は41人です。
小学校とほぼ同じですが、広野町町内から通う子、避難先から通う子が半々の状況です。
やはり一番遠くの避難先からバスで通う子は片道1時間30分ほどかかります。
小学生と乗合できますので、バスの本数は一緒です。
ただし、中学生の場合部活があるので遅い時間の便として17時50分バスがあります。
通常の学校の部活が17時過ぎに終わるのは稀な例です。例えば一般の中学生のように19時頃帰した場合、バスの通学時間を考慮すると家に着くのが21時頃になってしまい、学生の体が持ちません。
ぎりぎりの線で17時50分という時間が最終となっています。
小学校の先生の意見と同様ですが、支援は大変有難い、しかし、イベントごとは授業がカットされてしまう、学生が普通の学生生活を送れる事が大切と考えています。
与えられる事に慣れてしまった場合、自立心の育成の面で問題が起きるのではないかと不安だと先生方が考えています。
支援の中には、現地の実情を知らずして食糧等を今だに送ってこられる方がいる。是非現地の実情を見て欲しい。
親御さん達の横の繋がりが避難先がバラバラになりなくなってしまった。
PTAは機能する事が出来ない。
通学の制限はあるし、学生の人数は減ったが、それを除けば震災前と変わらぬ学校状態にある。
子供達も前向きに明るく元気に過ごしています。
子供達も自らが、被災地の子ども扱いして欲しくない、かわいそうと思わないで欲しい、普通の中学生として扱ってほしいと言っている。
そして現に学校内で言えば普通の中学生とほぼ変わらない状態にあります。
人数が少ない故の困り事としては、チームスポーツが出来ない。
少人数でも出来るバスケット、バトミントン、陸上、駅伝などに取り組んでいます。
私が一番驚いた事があります。
学生団体の方が校長先生に、「子供達はどんな夢を持っていますか?」と聞いたところ、「人の役に立つ仕事をしたい」と答える子供達が多いとの回答でした。
ここで立派な子供達だなと思った方は的外れです。
私が感じたのは変わらない現状を自分達で変えたいと思わせてしまっているのです。
先生も仰っていたのが、子供らしくない夢だという事です。
私が具体的にどんな仕事ですか?と聞くと現在広野町で止まっている電車の運転手になりたいと、これは広野町までしか動いていない現状への不満の表れです。また建築士になりたい。理由は粗末な仮設住宅をもっとよいものに変えたいからと。。。。
これらは、私達大人が変えることを出来ない現状を、子供なりに自分に何が出来るか考えた上での回答なんです。
私は子供達が担おうと思うほど、現状を変えられない大人の一人として強烈な申し訳なさがこみ上げてきました。
先生方も双葉郡の中高生の中で「私達で福島を良くしていくんだ」と答える子がとても増えていると感じているそうです。
知らずにして重圧を抱えていないか心配だと仰っていました。
中学生ともなると考える事は大人じみてきます。
それ故に小学校の児童が抱える問題以外が見えてきました。
一般の中学生と変わらぬ「子供が子供らしく大きな夢を描いてのびのび生活する」これが出来る環境作りが必要だと感じております。
本当に必要な支援とは
当事者意識不在の支援ではなく、現地を知った上で必要な事を取り組む
大きな課題です。
私の活動で何が出来て繋がるか考えてまいります。
2014年1月15日
関東の学生団体の方々を広野町にご招待いたしました。(その1)
今日は関東の学生団体の方を広野町に招待し、そして広野町小学校と広野町中学校を訪問させて頂きました。
常磐線いわき駅で待ち合わせをし、いわき市中心部から広野町へ国道6号線を通っていきました。
彼らに知って頂きたい事として、いわき市の発展具合と北に隣接する双葉郡との発展の違いを直に感じて頂くためです。
放射線測定器を備えての移動をしました。線量的な違いがどのくらいあるのかも知ってもらう為です。
いわき市と隣接する広野町は福島第一原発から距離にして30km圏内ですが、放射線量はいわき市と有意差はありません。
変動幅は0.08~0.14マイクロほどです。
広野町町内は一般の地域と同様に運動の制限もありません。
小中学校では運動時間制限もありませんし、プールも再開しております。
最初に広野町小学校に訪問しました。
校長先生に対応して頂き、震災から現在までの経緯を教えて頂きました。
震災前の通学児童は311人、震災後は75人になっています。
その内、広野町町内から通う児童が42人、避難先(いわき市内)から通う児童は33人になります。
およそ1/4の児童数になり半数ほどが避難先より通っています。
広野町小学校の児童の多くはバス通学になっています。
避難先から通う児童はもとより、町内の児童もバスで通っています。
その大きな理由は放射能不安によるものです。
いわき市と有意差がない空間線量まで除染が終わったとはいえ親御さん達の不安により徒歩学をする児童は本当に小学校近辺に住む10人ほどの児童だけだそうです。本来歩いて十分通える児童達もバス通学をしています。
朝一本の通学バスは一番遠い児童で片道1時間30分ほどかかります。
原発作業員の方々、除染作業員の方々の通勤渋滞と時間が被るため、始業時間に間に合わない事もあるそうです。
こちらのバスは中学生も兼用の物になります。
広野町の小学校、中学校に通うバスが1本しか無い為、一緒のバスで通うことになっています。
悩み事の一つとして、長時間のバス通学が自動にとって心的、体力的にストレスになっていると伺いました。
そして決められた時間で帰らなければならず、放課後遊んだりする事がバスの決められて時間制約により行えません。
バス通学で生じる問題として降り過ごしてしまう児童や忘れ物をしてしまう事態が発生しているそうです。
仮設住宅、民間借り上げ住宅から通う子供達が抱える問題として、帰っても落ちついて勉強出来る環境がないケースを教えて頂きました。
仮設住宅等は最低限の部屋割りです。勉強をするためのスペース確保が難しいのです。学校側の対策として、帰りのバス町の数十分に時間を利用し宿題や勉強の時間あてています。
児童数減少による問題としては、集団で行う活動は出来ません。
例で言えば多人数で行うサッカーといったスポーツを行うことも人数が足らず行えないといった事です。
ボランティア活動自体の問題も教えて頂きました。今も沢山の支援を頂いているそうです。
大変感謝している反面、どうしてもイベント形式の支援の場合、授業を削り対応しなければならず本来やらなければいけない授業が進まないといった問題が生じている事も教えて頂きました。
また先生といった立場で心配している事が「支援してもらう事が当たり前」といった感覚に児童が染まらないかという問題です。
殆どの支援イベントが無料です。また支援金も頂き本来積立て行う旅行も負担がないそうです。また旅行先でも被災地児童という事で優遇されているそうです。
ここでも大変有難い事である認識ですが、未来永劫続く事ではなく支援はいつか終わりがくる。その時、一般の学校と等しく当たり前に行うことがなぜ支援されないの?といった事に繋がらないかと不安を感じてしまう。教育といった観点で言えば、本当にそれでよいのかと。。。。
複雑なお気持ちでいらっしゃいました。
親御さん達が抱える悩みとして、現在町に溢れた原発作業員の方々、除染作業員の方々の一部が町で騒ぎを起こしてしまう事があり、大げさに言えば治安の悪化を心配する声があがっています。
震災前の広野町町民は町民どうしが皆知り合いで、現在のように名前も顔も分からない人達はいないといった、コミニュティー環境が強い地域性が不安を感じるもとにもなっています。
放射能に関する不安度が親御さん個人個人で違いがあるのも問題の一つだと仰っていました。
全然気にしない方もいれば、給食を食べさせる事も禁じる方がいる。
どちらが正しいと言えるものではないため対応が難しいとの事です。
町の復興具合についても問題視されていました。
子供達が使える商店はコンビニが3件ほどあるばかり、町にあったスーパーは撤退し町にはスーパーすらなくなってしまった。
特に病院については、現在町に2件あるものの平日の午後など医者がいない時間帯がある。その時に児童が保健室で対応出来ないけがをした場合、いわき市まで運ぶ必要があり、実際に起きたそうです。
町の復興が進まぬ例の一つとして新聞屋さんの事を教えて頂きました。
広野町では新聞は各家庭に届きません。新聞屋さんに取りに行くそうです。帰還した町民が少なすぎて、配るのにかかるガソリン代などで赤字になってしまうため、泣く泣く取りに来て頂く措置をとっているそうです。
また、広野町は双葉郡になります。いわき市に隣接しているにも関わらずチラシが入ってきません。
双葉郡というだけで対象から外されています。
コミニュティーが崩壊している事例として、回覧板も回せないと伺いました。隣接する家屋に人が住んでおらず、次に回すにも遠方になってしまうからです。
学力の低下等は起きていますかという質問には、実際には児童数が減少した事により、かえって児童一人一人に先生が向き合う事が出来、目に見える学力の低下は起きていないそうです。
校長先生が何度も仰っていたのが、是非児童の普段の様子を見て欲しいという事でした。
今も通学問題等制限はあるものの、一般の方が抱く可愛そうな児童達ではなく、明るく元気に前向きに学校生活を送っている姿を是非知って欲しいとのことでした。
高学年の児童などは被災地の児童扱いされる事をかえって悲しいと訴える子もいます。
実際私も今日、児童達に出くわしましたが皆こちらがびっくりするほど大きな声で挨拶してくれました。
笑顔を振りまき近寄ってきて、今日はかなり寒かったのですが厚み1センチほどもある氷を誇らしげに見せてくれました。
あげる~と渡してくれた氷とその子の笑顔を見て、私は単純に自分の中に描いていたイメージを壊された思いになりました。
先生も仰っていましたが、TVや新聞ではどうしてもお涙頂戴の報道ばかりですが、震災から1ほどの時期に比べ、今は子供達も明るく元気にやっている事は取り上げて貰えないと、いつまでも悲惨でかわいそうなイメージから変わらない事は、この子達の現状と外のイメージのギャップがいつまでも埋まらないと。
最後に先生方のご苦労はどうですか?と質問させて頂きました。
広野町小学校の教員の方の場合、全員が原発事故により避難生活をされています。
現在では皆さん前向きに教員の仕事に取り組んでいるそうです。
苦労らしい苦労と言えば、あえて誤解なく言うのならば現状を知らずにして支援してくださる方々が多すぎて、そちらに労力が取られ本来業務に支障がきている事だそうです。
誤解ありませんように、大変感謝しているのですが対応が効かないという事です。
町の教育委員会とも相談し、失礼ながら来年度は支援の受け入れも制限させて頂きたいとのことでした。
私も支援すべきという考え行動していましたが、大変赤裸々にお話しして頂き、現状を世間に伝えるkとが重要な支援だと感じております。
先生方のご負担にならないように、そして学校内では日常が戻っていますが通学の問題や人数減少による多人数活動の制限、仮設住宅等勉強がしずらい環境の改善、現地の明るい実情が伝わらない問題等の支援と改善が必要と分かりました。
今回訪れて頂いた学生団体の方々の今後の活動に活かして頂きたいと思います。
2014年1月13日
3月に創刊されるWebマガジン「メルクル」の編集者の方とお会いしてきました。
ロイター通信社の方とのお話しの後、東京駅で取材を受けてきました。
その方は3月からご自身が始めるWebマガジンの記事に私と団体を書いてくれるそうです。
色々とお話ししました。
私の団体の活動動機
いち被災者の一人として経験した事。
双葉町仮設住宅におけるお話し。
途中明らかになったのが、その方の身内が浪江の方で私とかなり近いところに住んでいたことです。
いつしか、ご年配で避難されている方の問題って取り上げるべきではないかという話になりました。
私にも義理のおじいちゃん、おばぁちゃんがいます。
既に90近い二人。双葉町に住んでいました。
現実的に生きている間に帰れるのだろうか?
今は遠く千葉県に住んでいます。
今まで会っていた友達にも会うことができません。
私達の様に車や電車で会いに行くのが高齢故に困難だからです。
あまり知られていない事ですが、仮設住宅に今になって入る人達がいます。
その理由の一つとして、避難先での生活に馴染めず、また友達知り合いが仮設住宅にいるからです。
ご存知の通り、仮設住宅も老朽化が進み元々仮住まいを想定した簡易住宅です。
被災者でない方から見れば、なぜ出て一般アパートや住宅に移らないのかと思われます。
そこには、失った故郷に代わる新しコミニュティーが建設され、多少の住みずらさよりも、人と繋がっていたいと思うからなんです。
これが全てではなく、進まぬ補償により経済的に出ることが出来ない方も多くいらっしゃいます。
また出たくても、いわき市等では一般賃貸住宅不足により出る先もないという理由もあります。
ご年配の方は知り合いと近くにいたいという理由により避難先の家族の元を離れ、仮設住宅に戻る方が増えてきました。
最近では復興住宅なるものが建設されています。
イメージはマンションです。
ですがまだまだ数が足りず、抽選で入る方が決まるような状況です。
各町への帰還がいつになるか明らかになっていません。
分かっているのは帰還困難区域の方は後4年以上は絶対帰れず、明確には国は言いませんが恐らく帰還が無理な状況。
それ以外の避難区域も後2年は帰れません。2年後帰れるようになってもそれは放射線量的な話で、暮らしていくには必須の商業インフラは0からの出発です。
復興が進んでいないと福島県の方が声高に言うのは、一般の方が当たり前に感じている生活レベルにすら到達していないからです。
そしてそれがいつになるかも分からない。
私の様に高齢者を身内に抱える人達は数年が恐ろしく長く感じます。
そして高齢者へのケアも大切な問題です。
取材のはずが思わぬ高齢の被災者の方の問題を話し合う場になりました。
高齢者の方が現実帰れない実情の中でも、そこに幸せや楽しみ、マイナス思考にだけ向かわないような仕組み支援を考えなければと思いました。
町そのものの復興と被災者の方々が個々に抱える問題の解決と原発作業員が抱える問題。
優先度は全て上位です。
これらをトータル的に取り組める力が必要だと実感しています。
行政と国と東京電力がそれぞれの役割を果たしてもらうのは当たりまえですが、いずれも大変な状況です。
民間サイドでも上手く出来ないものでしょうか
2014年1月13日
ロイター通信の方とお会いしてきました。
その方はロイターの東京電力担当の方です。
取材という事でしたが、お断りし勉強会になりました。
長くエネルギー問題を扱うお仕事をされてきたそうで、大変エネルギー問題に明るく私としても学ぶことは多かったです。
福島原発の話に及ぶと、その方も実際中々東京電力資料を読み解くことが難しいとおっしゃていました。
当たり前と言えば、当たり前な話です。
世界中探したって、福島原発の知識を学ぶ場所も資料もありません。
それは東京電力社員でありかつ、福島第一職員にならないと学べないからです。
非常にジャーナリストとして歯がゆいお気持ちでいる事は分かります。
メディアと東京電力が対等に話が出来るようになるには、そのギャップを埋める機関が必要と考えます。
技術資料がある事。その読み方を教える人がいる事。
福島原発スクールといったイメージです。
それを欠いたまま進めた結果が今の伝わらぬ実情です。
東京電力が秘匿しているという意見を目にします。
これは情報開示レベルが定まっていない問題が原因です。
各メディアは教えてくれないではなく、連合を組み情報開示の基準を作り要請すべきだと思います。
また、情報を聞く側が話す側のレベルに近くならない事には、聞く側のレベルに落とした説明になるのは仕方のないことです。
一般の個人がそのレベルになれとは言いません。ですがジャーナリズムを掲げる側が、一般の方と知識が変わらないのでは、いつまでたっても真実を引き出す事も出来ないのは当たりまえです。
今必要なのは、民間レベルでも現地を熟知した組織ではないかという議論をしました。
現地を熟知した人間が規制側に廻れば、防げるトラブルは沢山あります。
最たる例は汚染水タンクのトラブルです。
私はこういった意味で東京電力単体に復興を任せる事をよしとしていません。
規制側も早期安定安全廃炉に向けて適切な指摘改善要求をすべきです。
解決の一番の近道は善良でしかも福島原発に明るい東電社員をひっこ抜くことです。
彼らを交えた外部監視組織が出来れば、劇的に福島原発の現状は変わります。
浮き彫りにならない作業員の方々の境遇改善も一気に進むと思っています。
最近の悩みはなぜ現場を知らない人達で福島原発を監視しようとするのかです。
新聞社もTVも行政も規制委員会も。
専門家不在での監視、規制が実はトラブルを招いている事に早く気づいて欲しい限りです。
2014年1月10日
楢葉町町長様と面会させて頂きました。
楢葉町町長様とお会いしてきました。
楢葉町は現在避難指示解除準備区域です。
近い将来、住民帰還が許可されます。
しかし長期化した避難生活によりいざ町に帰ったとしても、震災前の暮らしを始めることは困難な状況です。
楢葉町は一つの選択として、福島原発廃炉に伴う産業を軸に町の復興を進めています。
現実的に町の復興を早期化するには最前の策とは言えます
ですがそれは苦渋の選択でもあります。
本日は私の活動のご紹介と、今後住民帰還が始まった際に必要な防犯パトロールの企画の提供です。
こちらは活動の中で知り合った放射線計測器を作成されたサンプラス様の企画になります。
サンプラス様で開発された測定器はGPS機能のついた自動放射線マップ機能を持ち、放射線測定機能、電話機能までついた優れものです。
それを防犯会社に持たせることで、街の防犯機能と町の放射能管理を一遍に行うという企画です。
楢葉町の復興の一助として紹介させて頂きました。
また、私の在職時代に培った知識を役場で使って頂けないかというお願いもしてきました。
青天の霹靂により、今まで経験のない原発監視を町は求められています。
原発知識は勉強しても学べません。
実際に働いてようやく培えるものです。
福島原発情報を手に入れても、町では大変な悩みどころとなっています。
簡単に言えば、中身がよく分からないです。
ですがそれを非難することは的外れな事で、知っている人間がフォローすればよいと思っております。
使って頂けるかは分かりませんが、もし福島原発構内の問題でお困りごとがあれば、いつでも気軽に使ってくださいと申し出てきました。
大変なご苦労をなさっていることもお聞かせくださいました。
一つ勇気を出せば、会って話をすることが出来ます。
少しでも浜通り地方の復興に繋がっていけばと思っております。
2014年1月10日
広野町で児童支援を行ってくれる団体のご紹介をさせて頂きました。
広野町中学校様と広野町小学校様へ、今後始める児童支援のご紹介とご挨拶に行ってまいりました。
こちらは私達団体が直接児童支援を行うものではありません。
私のこれまでの活動で知り合った関東の学生たちが、広野町の小中学生向けへの支援団体を作ってくれることになりました。
来週14日に広野町に実際に学生達が来てくれます。
現地を知らずして支援を始めるのではなく、ありのままの広野町の実情を勉強させて頂いたうえで、一過性のイベントではなく継続性をもった支援を行って頂く予定です。
どちらも急なお願いにも関わらず、校長先生が対応して頂けることになりました。
こちらは今後どういった事が出来るか良い意味で未知数です。
スタートを切るためのパイプ役として活動してきました。
作業員の方々だけを支援しても、共存する町の復興がおざなりではいけません。
作業員の支援と町の復興、比べることもなくどちらも重要な案件であり、
共存する以上どちらも進めていき、良い意味で融和していくべきです。
広野町役場の教育委員会の方にもご協力を頂きました。
小さな一歩ではありますが始まろうとしています。
AFWは児童支援にも積極的に活動してまいります。
2014年1月10日
Jヴィレッジに機能性インナー(例ヒートテック)を上下550着お届けしました。
先月から発注しておいた機能性インナー(例ヒートテック)をJヴィレッジに届けてまいりました。
今回お届けしたのは上550着、下550着です。
4回目の支援になります。配送会社も現地で受領に立ち会って頂く作業員の方々、社員ともに最早なれたもので、無事届けることが出来ました。
日本全体に大寒波がきていることもあり、大変寒い一日でした。
この寒空で作業される方々の一助になれば幸いです。
また今月も送れたことは全国の皆様のお気持ちあってのことです。
ご理解を頂きまして、ありがとうございます。
写真を添付いたします。
今日搬入した段ボールの写真です。
12月にお届けした際にJヴィレッジで配布して頂いた際の写真になります。
東京電力社員に配ってもらっていますが、皆さまのお気持ちで届けられたものである事を掲示物を通してお伝えしております。
(配っている机に張り付けて頂いています。また口頭で伝えてもらっております。)
復興本社にもご挨拶に行ってきました。
今年も作業員の方々および社員の支援継続をしていく事と、今後の更なる境遇改善をお願いするためです。
復興本社社長の石崎さんとも面会する事が出来ました。
直接、作業員の方々を守る活動をしてくださいとお願いすることが出来ました。
作業員の方を守る重要性を再確認し取り組むが加速してくれる事を願っております。
2014年1月9日
1月5日の毎日新聞で活動が掲載されました。
1月5日ですが、毎日新聞において私の講演活動の写真とAFW(アプリシエイト フクシマ ワーカーズ)の記事が掲載されました。
紙面の1/3ほど割いて頂きました。
本文の一部を抜粋させて頂きますと「福島第一原発は今でも世界で一番危険な原発。東電や国に任せるだけでなく、社会全体で作業員を支えないと、数十年続く廃炉作業を次世代に引き継げなくなる」と訴える。
限られた文字数ですから、誤解を生むこともあります。
お伝えしたいのは作業員の方々、現地東電社員の発電所外で抱える問題の解決は、東電、国だけでは難しく、社会の支援が必要という事です。
それは原発事故被災地の復興が未だ進まず、そして被災地の復興は民間でも可能だということを指しています。
次世代とは私達の子供、孫の世代です。残念ながら託さなければなりません。その時、十分に働いていける環境(地位、給与、住みやすい地域性等)を作りあげていく必要があります。
AFWは今は支援物資を送る活動と啓蒙活動しか出来ていません。
しかしきっかけを作ることを目的としております。
徐々に理解者が増え、広野町を起点とし活動が始まります。
新聞に取り上げて頂き続けれるよう活動を進めてまいります。
近い将来にはAFWだけではなく、多くの企業、一般の方、団体の方が浜通りの復興にチャレンジして頂きたいと思っております。
明日は、Jビレッジに機能性インナーを届けてまいります。
また、児童支援を始めるのあたり学校と広野町役場さんにご挨拶に伺います。
2014年1月8日
1月の活動予定報告。
今年初の支援物資の送付は10日になります。
機能性インナー(例ヒートテック)を1100枚届けます。
また株式会社サナヴィータ様より健康食品228万円相当分を進呈して頂きました。こちらは1月14日に届きます。
赤ブドウレスベラトロール(ポリフェノールの一種)により、自然免疫力強化 → 害ある細胞の自滅機能促進(アポトーシス) → アポトーシスによるガン細胞の自滅 → 健康な生活。
といった効果の物です。
サナヴィータ様のお考えは、健康不安の払拭の一助になればという事でした。
今日の報告はもう一つあります。
以前からお付き合いのありましたロイター通信社から連絡がありました。
東京電力対応を行っている方からの取材依頼です。
今日電話をさせて頂きました。取材というよりは勉強したいという申し出でした。
あまり国内のメディアにはない姿勢です。
勉強であればいくらでも付き合います。
正しい報道を目指して頂かないと規制になりませんし、また、意味のない批判や差別を生んでしまいます。
今年も変わらず、地道に人に会いながら現地の改善を目指してまいります。
2014年1月6日
浜通りの復興にご協力を頂く為、会合を開きました。
今日は東京新橋にて会津電力株式会社副社長の山田様と国会事故調査委員会事務局員の石橋様とお会いしてきました。
お忙し中お時間を頂き、私が唱える浜通り地方の復興の形を説明させて頂きました。
お二人には今後、浜通り地方、特に広野町に力を入れて頂けるようにお願いをしてきました。
少しずつでも協力者を増やし、実行に移してまいります。
2014年1月3日
1月より双葉郡広野町の小中学生向けの支援活動を始めます。
11月から進めていた事が今月より現実化に向けて具体的に進まります。
それは広野町の子供達に対しての支援です。
私は元東電社員という肩書きもあり難しい事も外部の行動力のある学生にお願いする事で可能ではないかと考えていました。
一度学生団体にお願いしたのですが、中々同意を得られず暗中模索の状況の中、動いてくれる学生からご連絡がありました。
昨年年度末に打ち合わせを行い、まずは現地視察をしてもらう事になりました。
一度見てもらい、無理のない範疇で支援を行ってもらうものです。
私は将来的に心配している事があります。
福島第一に近い自治体の子供達は将来の収束先として原発作業員を選ばざるおえなくなるのではないかといったものです。
浜通り地方で就職先を探す事は難しい状況にあります。
比較的大都市のいわき市の求人を見ると、未だに原発関連企業の募集が多く出ています。
子供達は住む場所を基本的には自分で選べません。
将来の選択肢を増やすような支援が出来ればと思っています。
どのような支援がよいのか、地元の子供達ともお話して決めていければと思っています。
また広野町でモデルケースが出来上がれば、今後避難が解除され戻る子供達へ繋げられるとも考えています。
戻る事になった子供達と一般の子供達との差を埋める事が少しでも出来るように活動していきたいと思っています。