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活動レポート

2013年3月

2013年3月30日

建物、宅地の補償

家財の賠償と共に建物の補償の方もようやく始まります。

これについては大きな問題があるのは東京電力のプレスリリースを読んで頂ければ、すぐにピンときます。

それは、固定資産税を元に賠償金額を決めている点です。
つまり簡単に言えば古い家屋は対して補償されず、新築の家もその家の価値分しか補償されないということです。

この問題としたのは、実際に町に住んでいた方のお話を聞いたからです。
その方が仰ったのは「何十年もこの土地に住んでいた。先祖代々の土地に家を建て思いでも沢山ある。家は古い、価値にしたら、なんぼにもならない。家の価値は年数で下がるのは理屈ではそう。しかし住めなくなった家の補償で100万、200万では新しい土地で家など買えない」と

結局の所、またしても割に会わないのはお年寄りたちになります。
長年住んだ方ほど補償が受けられないのです。

全国の方は建物の補償と聞いた時、家を再建できるほどの金額を被災者の方々は貰えて、ようやく助かると勘違いしていませんでしょうか。

実際は杓子定規に価値そのものの補償なんです。
簡単に言えば特は何一つないということです。

これには私は納得はいきません。

月10万の精神的補償を数年分貰っても、数百万です。
人生のすべてを奪われたといっても過言ではないのです。

新しい土地で再建するのは容易ではないのです。
家族、親類、全てが散り散りになったのですから。

逆に問います。数百万あげるから故郷に戻らないでくれと。
危険な物をばらまいて誰も入れなくするから。
その数百万を取る馬鹿はいません。

ベンツ1台あげるから、人生を放棄しろって言ったら
くだらなさが伝わりますか

本格的に被災者目線の補償が始まった分けでもないんです。
当たり前の最低補償がようやく始まっただけです。

除染に数兆円かかり実情があるのであれば、先に人生をやり直せるほどの補償をしてからでもいいのではないですか。

事実今回の補償が終わると次は4年後になります。
その頃には「帰らせる」のではないですか。

宅地、建物補償については十分に議論をやり直す必要があると思います。
また、この部分の金額が正直な話、避難生活を送る方々の救済に真にせまるのではないでしょうか

http://www.tepco.co.jp/cc/press/2013/1225941_5117.html

2013年3月30日

家財の補償について

原発事故被災者の方々への家財の賠償が始まります。

賠償の効率化を考え、定量型賠償とでも申しましょうか
以下の要領で始まります。

中身をよく読んでみて下さい。
正しい理論なのかもしれませんが、なんともやるせない気持ちになる文章があります。

それは地震、津波により倒壊した建物に住んでいた方の補償はその定量の×20%という文面です。

確かに厳密に言えば、倒壊した家屋の家財、津波で流された家屋の家財は原発事故による影響の前に震災により失ったものです。

東京電力にその時点では責任はありません。

しかし本来であればその土地で復興を進められたはずです。
地震による倒壊であれば使用できる家財といったものもあるでしょう。
でもそれらは相当数汚染され根本的に使用できなくなったと考えるものもあると思います。

東京電力は20%という線引きでそれに答えた形になっていると思います。

私は警戒区域内は長期的に帰れない実情を考えれば、ここは柔軟に一律でもよかったのではないかと思ってしまいます。

私が住んでいた浪江町などは沿岸部は津波により原型をとどめていません。
そして福島第一原発が目と鼻の先にあるにも関わらず、当時の風向きの影響でしょうか、線量的にはかなり低いです。
比べるなら「いわき市」と同程度です。

将来的には、町の復興拠点となる計画が正式に上がっています。
つまり、近い将来に原発が目の前にある状態+津波で原型をとどめていない地域に帰らざる負えない状態になるのです。

柔軟な補償という事は理屈に反するものです。
しかし人間が関わる以上、感情というものに対して考えなければなりません。

沿岸部と地震で倒壊した家屋に住まわれていた方々のことを思うと
補償が始まって良かったと単純な思いにはなりません。

むしろ災害の被害者としては、そういった方々の方が大変お辛い思いをされているはずですから。


http://www.tepco.co.jp/cc/press/2013/1225940_5117.html

2013年3月30日

福島県庁からの回答

一つの私の活動の結果がでましたのでご報告いたします。

私がこの原発問題に対して、根本原因に感じたのが原子力産業の秘匿性です。
電力会社の社員でしたから、震災前から原子力の良い所ばかりを取りあげてまるで原子力産業がクリーンで将来を担うエネルギー産業の根幹になると風潮していたことに疑問を持っていました。

それは、被ばくというリスクを知っていながら現地の人達が一生懸命支えている原子力という側面を間のあたりにしていたからです。

単純に多くの犠牲の上に関東圏の生活が支えられていた実情ですね。

それが原発事故で机上の空論の部分が露呈したのは周知のことになりました。

原発事故後、私も信じてしまっていた原子力の安全神話は崩れました。
それより、福島第一の復興の問題は単純に原子炉知識がある有識者だけでは解決できないほどのダメージを負っています。

そして東京電力自体の悪さ加減の事実については社員が一番知っています。
恥ずかしい話、現地の社員の一部には反省もしていなく与えられた仕事をただやっているだけ、遊んでいるような社員もいるのは事実です。

私はこれからの規制側に求められるのは、聖域とも呼ばれる部分にも踏み込む人材だと思っています。

現地の社員の中でも若手は年収200万クラスでも文句も言わず懸命に働いています。
ベテランの社員の中には1000万クラスの年収で遊んでいる人もいる。
2000人近い社員がいますから、正しい精査をしないといけません。
そういった事は規制側には無理な話です。

東京電力から出る、復興の道筋に対しては一般の方々は信用するしかない状況。
でも私の目からみれば、沢山の問題が別で出てきます。

会社の体制、マニュアルなんかも色々問題を感じています。

それらも含めて外部からの圧力というか監査、規制は絶対に必要だと思っています。

そこまでやってどうにか改善が見込まれるのではないでしょうか。

東京電力からすれば痛い話です。しかしそれこそが震災後変わらなくてはいけない部分なんです。
見返りではありませんが、そこまで踏み込んで変わった会社、社員には評価も必要です。
そこでようやく高すぎると言われる東電社員の給与問題や待遇も妥協点が見いだせるのです。
個人的には、現地社員も関東圏の社員も懸命に働いている社員はすべからず評価すべきです。

そこで私が起こしたアクションは福島県庁にアクセスしました。
単純に県知事にメールを送ったのです。
福島県で起きた問題を国や東電に丸投げにするのではなく、積極的に関わっていくことを提言しました。

実際に原子力安全課の方はオフィシャルにお会いして頂けました。
思いのたけをお話しましたし、原発が抱える問題も4時間ほどかけて説明したのです。
あまりに原発に対して無知なことを要因です。

最後に万が一原発事故に近いことが起きてしまった時、責任は東電、国だけの問題ではすまないと申しました。
それは一度起きたことに対しての反省が活かされなかったことを意味するからです。

原発立地県としての責任はあるのです。
起きた事故、継続している不安定な原発、目の前の問題に対して見過ごしてはいけないと考えます。

私は一緒に福島原発の問題を考えていきましょうと申しました。
無償でかまいませんとも言っています。
多額のお金で原子力の専門家を雇うことをしている実績があるのだから、私もその一因に加えてくれませんかと。
原子炉そのものの専門家ではありませんが、そういった方々を有に超える現地知識が私にはあります。
信頼できる社員、そうでない社員の選別だってできるし、仲間も大勢います。

12月にお会いした時に、今ここで回答することはできません。持ち帰り検討いたします。
吉川さんのお気持ちは伝わりました。と言質を頂きました。

本日、その回答がきました。

原文そのままに紹介します。
担当された方は組織の一人であり、この方が決めた事ではないでしょうから、個人名は伏せさせて頂きます。

吉川 様

 福島県原子力安全対策課 〇〇です。
 過日、お申し出のあった福島県のアドバイザー等としての協力につきましては、内部で検討した結果、お受けできないとの結論になりましたのでお知らせします。
 御理解のほどよろしくお願いします。

よく分かりました。必要とされていない。且つ、原発問題に対して福島県は東電、国に丸投げするということです。

震災前と変わりません。お互いが適度な距離感でなあなあとやってください。
私は危険性、問題性について提言しました。
なにかあれば全国の方々は震災時ほど助けてはくれませんよ。

怒りの前に、被災県ですら他人事であることに恥ずかしさと情けなさを感じています。

2013年3月29日

補償の問題について

原発再稼働の問題がだんだん世の中から忘れ去られようとしています。

地震よる原子力発電所の影響については活断層の問題でTVでもあがっていますが、もっと重要なのは津波に対する原子力の余裕度です。

以前ストレステストにより大飯原発が再稼働になったのは記憶に新しい所です。

津波でいかような条件に陥るかについては世の中の方が全容を完全に理解しているとは私は思っていません。

なぜなら国会事故調報告書を改めて全部読み変えしてみても全電源喪失に関わることは書かれていますが、その他付帯設備が津波により被災した事の問題性には触れられていません。
つまり結局は現地の人間が率先して解決の議論に参加していない事が
伺えます。

簡単に言わば「そこを突っ込まれると・・・」って事です。

例えば、こんなことは知っています?
非常用D/G発電機の燃料タンクが津波で被災したこと。
水素爆発を防ぐ為に封入する窒素設備が津波で被災したこと。
原子力発電所の中にある空気作動弁はIAコンプレッサーが被災すれば動かす事ができなくなることを。
原子炉を冷やす水の元である復水貯蔵タンクの水を作る設備が津波で被災したことを。
バックアップとなる純粋タンクは地域の河川から引いており地震の影響で使えなくなったことを。
電源喪失では、単純な建屋内の照明が全て消えてしまい現場作業が困難になることを。
海側には設備を冷やす冷却ポンプが集合しており、それが津波により壊滅すれば電源があろうと原子炉を冷やせなくなることを。
原子力発電所には硫酸、苛性ソーダのタンクがあり津波で流されれば環境に大きな影響を与えることを。
共用プール(各号機で使用された使用済み燃料が相当数保管されるプール)も津波で被災したことを。
原子炉冷却水を作る設備が全て津波でやられ、二度と本設備に戻せないことを。

あげればいくらでも津波による影響を考えなければならない機器、設備があります。

再稼働に関する技術論の話には原子炉に関わる設備全てに目を通す、そして過剰とも呼べる対策をしなければなりません。

これらを原子力規制庁は本当にできるのか?
原発反対派の方は理解しているのか?

私が現地電力社員を擁護するのは、これら設備知識について一番の理解者だからです。
以前の職場では、これら問題性について議論をしていました。
会社自体は間違った方向に行っていると言えましょう
しかし、現地の人間の多くは改善に向けて努力しています。

今回の投稿は、もっともっと原発を語るには勉強しなければいけない
ということと、
改善ができる実際の人間達は誰なのか、守らなくてはいけない人間達がいるということです。

2013年3月29日

原発の再稼働について。

原発再稼働の問題がだんだん世の中から忘れ去られようとしています。

地震よる原子力発電所の影響については活断層の問題でTVでもあがっていますが、もっと重要なのは津波に対する原子力の余裕度です。

以前ストレステストにより大飯原発が再稼働になったのは記憶に新しい所です。

津波でいかような条件に陥るかについては世の中の方が全容を完全に理解しているとは私は思っていません。

なぜなら国会事故調報告書を改めて全部読み変えしてみても全電源喪失に関わることは書かれていますが、その他付帯設備が津波により被災した事の問題性には触れられていません。
つまり結局は現地の人間が率先して解決の議論に参加していない事が
伺えます。

簡単に言わば「そこを突っ込まれると・・・」って事です。

例えば、こんなことは知っています?
非常用D/G発電機の燃料タンクが津波で被災したこと。
水素爆発を防ぐ為に封入する窒素設備が津波で被災したこと。
原子力発電所の中にある空気作動弁はIAコンプレッサーが被災すれば動かす事ができなくなることを。
原子炉を冷やす水の元である復水貯蔵タンクの水を作る設備が津波で被災したことを。
バックアップとなる純粋タンクは地域の河川から引いており地震の影響で使えなくなったことを。
電源喪失では、単純な建屋内の照明が全て消えてしまい現場作業が困難になることを。
海側には設備を冷やす冷却ポンプが集合しており、それが津波により壊滅すれば電源があろうと原子炉を冷やせなくなることを。
原子力発電所には硫酸、苛性ソーダのタンクがあり津波で流されれば環境に大きな影響を与えることを。
共用プール(各号機で使用された使用済み燃料が相当数保管されるプール)も津波で被災したことを。
原子炉冷却水を作る設備が全て津波でやられ、二度と本設備に戻せないことを。

あげればいくらでも津波による影響を考えなければならない機器、設備があります。

再稼働に関する技術論の話には原子炉に関わる設備全てに目を通す、そして過剰とも呼べる対策をしなければなりません。

これらを原子力規制庁は本当にできるのか?
原発反対派の方は理解しているのか?

私が現地電力社員を擁護するのは、これら設備知識について一番の理解者だからです。
以前の職場では、これら問題性について議論をしていました。
会社自体は間違った方向に行っていると言えましょう
しかし、現地の人間の多くは改善に向けて努力しています。

今回の投稿は、もっともっと原発を語るには勉強しなければいけない
ということと、
改善ができる実際の人間達は誰なのか、守らなくてはいけない人間達がいるということです。

2013年3月24日

一時立ち入りの問題点。

皆さんは私達、避難生活を送る人達がどのように一時立ち入りという帰宅行為をしているか知っていますか?

今回は警戒区域の南側より入った私の場合を例に紹介します。

まず国道6号線を北上し道路沿いに一時帰宅者の為に誘導員の方がいますので指示通り道を進んでいきます。

すると福島第二原発の敷地に作られたスクリーニング場に案内されます。
そこで、通行許可書の確認をされ、人数分の防護服と線量計が配布されます。これが受付と呼ばれる行為です。
人数確認と防護服、線量計の配布ですから数分で終わります。
特に注意事項とかは言われません。
後は自分の家まで各自勝手にどうぞです。

さて、この後は自分の家に向かうのですが、基本国道6号線を通ります。
後は自分の家の近くになったら枝分かれした小道に入っていくのです。

ここまでで問題点がいくつかあります。
受付の時点で、避難者の方々がどこの町民かの確認をしますから当然
線量の高い区域での無用な立ち入り等を注意すべきですが、それはありません。私は浪江町ですから双葉、大熊町を通過します。
あって然るべきです。

また、防護服を渡すのみで、着る手順や脱ぐ手順の説明もありません。
分からない人はどうすればと聞いたところ、手順を書いた紙を渡すので見てくださいと言われました。
原発で働いていた私としては、手順を読んでも不安が残るところです。
それより、「防護服の着方は分かりますか?」「はじめての立ち入りですか?」といった配慮が必要だと思います。

注意事項を言われませんでしたので、自由きままにドライブしてきました。
周りの一時立ち入りの方々も似た感じです。

大熊町内で車を止め、外で談笑している家族もいました。
双葉町では、何も防護しないで家の片付けをしている家族。
みなさんお墓参りをしていましたが、完全防護の人と防護0の人が一緒だったり、
みんな思い通りに町をドライブしているのが散見されました。

はじめて一緒に入った親は「みんな適当だなぁ、危ないと思っているのが馬鹿らしくなる。こんなに自由なら早く帰せばいいのに」と言っていました。

さて一時帰宅が終わると今度は福島第二原発により、スクリーニングを受けます。
預かった線量計とトランシーバーを返却を行います。

スクリーニングは以下の手順です。

人間に対しては車のドアを開け、降りることなく足の裏だけを計ってもらいます。
車はタイヤの側面だけを測定します。
持ち出す物品がある場合、車から降ろすことはなく計れる範囲の表面を計ってもらいます。

基準値である13,000cpmを超えていなければ問題なしということで
帰ることができます。

ここで親の言葉ですが「こんなに簡単に終わるんだね。本当に大丈夫?」

こんな感じです。
どうですか、意外に手順が簡略化されていますし自由度も高いです。
世間で広がっている超危険地帯といった風評の地域に入る現状です。

いいか悪いかの議論はあるでしょうが
避難している人達からすると、ずいぶん楽になったと正直思います。

1回目の時は、それは厳重に説明をされ、防護服も着させてもらいましたし、帰りのスクリーニングは全身行いました。車も表面全部を見てもらいましたし、なので何十分も受付とスクリーニングに並んだ記憶があります。

帰ってきてぐったりしたのを覚えています。

現状はこういった手順で入っていることの紹介でした。

2013年3月24日

一時立ち入りで富岡町に行ってきました。

ただ今一時帰宅より帰ってきました。

ちょっとですね。大分気に入らないことが・・

親も連れて警戒区域内に行ってきたのですが
久しぶりの浜通りということで、思いでを振り返りながら色々見てきたんです。

富岡町の駅前に行ってきたんですが
沢山のスーツを着た場違いな方々がいたんです。
まぁ気にせず車を降りようとしたら、SPらしき人が来て
「警備の邪魔になりますので、ここに車を止めないでください」と

怒髪天をつくがごとく怒ってしまいました。
私は富岡町民ではありませんが、浜通りに住む者として全てを故郷のように思っています。
私以外もそういう気持ちです。

それが国会議員の人に「偉い人が来るから、入らないでくれ」って言われたんです。
見るだけだといったんですが、それでもダメだと・・・

国会議員の方、今日は安部さんも来ているようです
ポーズで来ていませんか。
なぜ町の人間が気を使わなくてはいけないのでしょうか。

2年経っても、町は震災後と殆ど変わらず荒れ果てた状態です。
何回も見に来ているのに、一向に改善に向かわない。
物見遊山はやめて欲しいです。
来たなりの成果を示してほしい。

久しぶりに怒りが止まりません。

2013年3月23日

除染手当が支払われていない。

こんなことだろうと思っていました。
1月に不正な除染が問題になったのは記憶に新しいところです。
あれから改善されたとは私は思っていません。

人が行う作業という悲しいかな、どんな産業であろうと不正と取られる行動が起きてしまいます。

それは自分の与えられた業務とやりがいや責任感といったものが
感情という天秤の上で揺れ動くからです。

簡単に言ってしまえば面倒で大変なことは誰もやりたがらない。
ましてや不当な理由で報酬が削られるならば

今回の問題は除染ビジネスが半永久的なビックビジネスであることも起因しています。
予測の範疇においても数兆円産業と言われています。

そこには責任感も使命感もないような企業も当然参入してくるのです。

社員を守るのが会社 人は礎などは幻想であることは
みなさんの生活においても当たり前になってしまっています。

経営層はあの手この手で利潤をだそうとするのです。

労基の立ち入り情報なんて事前に入ってくるのが通例ですよ。
こういった建設関係の産業では、当たり前のようになっています。
抜き打ちなんて名ばかりです。
労基の方からも情報を流しているんじゃないですか?

厳正な処分を願うばかりです。
それはきちんと作業員の方々に除染手当を払うということで
誤って、不当な解雇や会社を追いつめるやり方はしないでもらいたい

避難している立場からいくと、除染だけが頼りなんですから。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130323-00000009-asahi-soci

2013年3月23日

帰還困難区域に行ってきました。

ようやくアパートに帰ってきました。
福島市のホテルに連泊し、日中は帰還困難区域になる浪江町津島の家の片付けにいってきました。

当初は1回の予定が、やはり後4年は帰れないとなると思いでの品が欲しくなったり、大掃除をすることに。

盗難対策なんて事もやりました。(まぁ気休めですけど・・・)

まだ、除染は本格的には始まっていないようでした。
お彼岸のお墓参りが終わると、ほとんど無人に・・・・

広がる風景ははるか先まで山です。
民家すらまばらにある程度。
この広大な自然を除染できるとは、正直思えませんでした。

正直、マスクも防護服も着る気になりません。
どれほどの汚染があるかも分からないし
それより今まで犬の散歩なんてしていた道をそんな格好で歩く気には
なりません。

こまかく言えば全身汚染まみれでしょう。
いつも通りタバコをふかしながら歩きました。
コーヒーも片手に

震災前の基準なら自分がおかれている状態は放射線教育を受けた
人間だけが入れる区域です。
当然飲食は内部被ばくを防ぐ為、許されてはいません。

元原発務めの東電社員ですから重々理解しています。
でも、どうでもいいやって気分です。
それより、昔と同じようにブラブラしたいんです。

途中、警察の方とすれ違い、軽く会釈をすると
住民の者だと思われたらしく、素通りしてもらいました。
向こうは少し怪訝な顔はしていましたが

久しぶりに畑に入ると、イノシシがほじった後が散見され
あれだけ皆で作った綺麗な畑は面影もなく
枯葉の絨毯状態の変わり果てた姿に

私が滞在したこの地区は原発になんのゆかりもありません。
全国で行われた市町村の合併の際に浪江町に編入されただけです。
山のはるか先に発電所があります。
距離にして30kmほどでしょうか

少し前に有名になった飯館町の南側に位置します。
上水道はありません。井戸水を飲料水として使うような地域です。

町に流れる川にも行きました。
昔と変わらず川底が見えるほど透き通っています。
見た目だけは何も変わらないのです。

綺麗になった家の居間で家族で食事をしました。
水も火も使えないからコンビニ弁当ですが

皆でここに勝手にすんじゃおうか、なんて冗談を言いながら
水も火も使えないし、トイレもままならない状態でしたが
やっぱり居心地が良くて
ついつい滞在が長引いてしまいました。

もう本当にしばらくは帰れない故郷です。
心の整理はついたとは言えません。
つかの間の震災前の日常を味わいました。

今日はただの日記です。
つまり避難している人達にとっては「日常」と呼ばれるレベルで
こういった事をやってたりしているという事です。

2013年3月22日

両親の笑顔。

20日は祝日であった為か、帰還困難区域である浪江町津島地区に多くの方が訪れた。

4月からは容易には入れなくなる

皆がお墓参りと家の片付けに追われていた。

震災後、久しぶりに会う友人知人に話がはずむ。

内容は元東電の立場では胸に突き刺さる内容ばかり。

それでも会えたことの喜びが上にいくのか、

皆笑顔が絶えなかった。

私の両親も笑顔で機嫌がいい。

しかし、昨日と今日と連続で立ち入るのは

4年は帰れないから故の片付けと心の整理だと思う。

震災後、東京電力社員でいた私を一度もなじることなく
体の心配ばかりしてくれる

自分のちっぽけなプライドで嫁を巻き添えにして

無職を貫き、原発で働く人達の為の活動を続ける私をどう思っているのだろう?

嫁の両親からすれば人生の全てを奪った会社の一因だった人間

しかも東京電力社員擁護の活動をしている。

また、自分の娘を巻き添えにして

一緒に片付けを手伝いながら、複雑な気持ちになる。

複雑な関係の中でやれることをやらなければならない。

道は見えず、障害も多い。

原発事故の収束は、東電批判で終わらせた先には決してない。

むしろ現地の人間を守ることで開ける問題

仲間は少ない、でも間違っているとは思わない

いつまで続けられるかの問題

心を強くありたいと思う

2013年3月20日

納得いかない区域再編。

明日というか、もはや今日だけど
福島県双葉郡浪江町津島に行ってきます。
ここは現時点では宿泊はできませんが、立ち入りの制限はありません。
いつ行ってもいいし、いつ帰ってきてもいい。
検問所もないので、普通の格好で誰でも入れちゃう区域です。

なんで行ってくるかというと、4月より帰還困難区域とされる為、自由に出入り出来なくなるから・・・
ちょうどお彼岸ですし、お墓参りも兼ねて家の大掃除に行きます。
千葉に避難している嫁の両親も一緒です。

今までは、ちょくちょくと何時でもこれたので、帰れなくなった感は薄れていました。
しかし、4月からはバリケードが張られ、指定した日に防護服を着ないと入れません。
区域の扱いは双葉町や大熊町の高線量区域と同じになります。

もう帰れないかもしれない・・・・口には出さないけど両親も感じています。
それに今まで幾度となく出入りしていたのに・・・安全ではなかったということかと
またも裏切られた気持ちになっています。

納得がいかないのですよ。帰れるような雰囲気を出していて・・・・結局後4年は絶対解除しない。
それでもって今日も含め気軽に入れるようにしておいて、今後は入れないようにする。

私も両親も何回も行っています。一度もスクリーニングをしていません。
当然どれだけ被ばくしたかも分かりません。
そこの責任は何処にあるの?自己責任ってやつですか

簡単にまとめると

明日行く津島は双葉大熊の高線量区域と一緒ですが3月中は誰でも入れます。
スクリーニングはやりません。てかありません。
私の住んでいた1Fから数キロのアパートは低線量区域ですが決められた日にしか入ることはできません。スクリーニングも受けます。
これは同じ浪江町内の話です。

4月からは
津島地区は決められた日しか入れません。スクリーニングをやります。
私のアパートの地区は何時でも入れます。スクリーニングをやります。

ほぼ逆転の現象が起きます。

このやり方は誰でも「おかしい」と思いませんか?
震災から2年経った今のお話です。

被災者の受難は続きます。これは私の例ですが、津島地区の何千人の方が同じ思いをされています。

原発避難の問題はまだまだ現在進行中です。

2013年3月19日

原発作業員の居住環境。

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これなんだか分かりますか?
正解は原発作業員の方が生活してる仮設の住宅です。
勘違いしないで欲しいのは
被災者の方が避難生活を送っている仮設住宅とは違います。

これは福島県双葉郡広野町にある二つ沼総合公園の中につくられた
原発作業員の方々専用の宿舎です。

どうですか?私はなんて粗末なんだろうって思います。
私も東京電力が作った似たような寮に入っていたので、その粗末さが分かります。
まず、箱形のスーパーハウスを2段の重ねて並べただけです。
エアコンがついていますが、これは夏場などとんでもない暑さで人が死んでしまうからです。
冬場もとてもじゃないですがエアコンがなければ住めません。

壁も異常に薄く、となりの部屋のいびきなんて余裕で聞こえますし。
2階の人間の声も足音もドアを閉める音も聞こえます。
プライベートがあるようでありません。

部屋の広さもベット以外では横になれるスペースもありません。
何より町の機能が回復していないので、お店も目の前にコンビニがあるだけで買い物をしようと思ったら隣接された「いわき市」まで行かなくてはなりません。

2年経ちましたが、こんな状況なんです。

私が改善したいのは、こういったところに入らざる得ない作業員の方々です。
居住環境ですら、満足に扱われていないのです。

2013年3月19日

警戒区域に行ってきます。

数ヵ月に1度、町から指定された日に自分の家に帰れるようになりました。
でも、帰るといっても一時的な滞在しか許されていません。
時間にして4時間です。

家に置きっぱなしの家財を取りにいったり、震災後の散らかった家の掃除など、大したことはできず何時もやりきれない気持ちで帰るはめになります。

私がいたアパートは震災の影響で、窓が空きっぱなしです。
部屋の中もそれなりに汚染した状態になっています。

町の殆どの家屋が屋根の瓦が落ちたままです。
家の中はカビだらけになっています。

行ってなにが出来る分けではないのですが、面倒な手続きを踏んででも見に行きたくなるのが人の心情ではないでしょうか。

現在は昔ほど、立ち入り時に面倒な手続きがなくなりました。
防護服はいりますか?なんて聞かれます。
いやいるでしょ!双葉、大熊町だって通るのだから。
ちゃんと計っているんだか分からない数分で終わる、スクリーニングを受けて帰っています。

放射線測定器は時定数というものがあり、ちゃんと計ろうと思ったら
車単位なら数十分はかかるはずなのに

防護服を着るかどうかも、知識のない被災者まかせ
スクリーニングも数分

私は三回目の立ち入りになります。
今までの経緯も知ってて、あえてリスクがあっても帰りたいから帰ってます。

でも最近になって初めて入る人もいるでしょう
2年という月日が単純に放射能がある生活の感覚を麻痺させてしまったんでしょうね。

リスク承知で行ってきます。

2013年3月19日

原発作業員の方々も県の最低賃金に左右されています。

福島県の最低労働賃金をご存知でしょうか

一時間当たり640円ほどです。

福島県の殆どの求人がこれを基に給与を決めています。

原発労働者の賃金は低い所で12万、高いところで20万ほどです。
現在は福島第一で働く方々は危険手当がつくということで30万ほどを提示されていますが、調べたところでは
やはり16万ほどで働いているようです。

私はこの福島県の最低賃金がネックになっているのではないかと思っています。
当然最低賃金が上がれば、労働者の賃金は上がります。

それが全国でも下から数えた方がいいレベルでは、雇用側のやりたい放題です。

国としては現代の生活を維持できる賃金レベルに最低賃金を上げるよう努力すべきではないでしょうか

2013年3月18日

放射性廃棄物のお話し。

皆さんはTVでも使用済み燃料の話が盛んにやるので、原子力発電所では使用済み燃料と呼ばれる廃棄物が発生することは知っていると思います。

でも、それ以外の放射能廃棄物についてはご存知ですか?

実は原子力発電所を運営していく過程で避けては通れない廃棄物の問題があるのです。

全国の原子力発電所は大飯原発を除き全基停止中です。

しかし、原子力発電所は停止していても必ず放射性廃棄物が発生するのです。

原子炉及び燃料貯蔵プールは常に水に満たされ循環冷却されています。
その水は配管から出るゴミ等によって徐々に汚れていきます。
すると、そのゴミが放射化という現象によって放射能物質に変わります。
それをほおっておくと水の放射能値が上がってしまいます。
その状態を防ぐ為に、通称デミと呼ばれる樹脂を通して綺麗にしています。
樹脂に吸着させると思っていただければと思います。

だんだんその樹脂も汚れてきますから、定期的に交換するんです。
汚れた樹脂はどこへ行くかというと使用済樹脂貯蔵タンクと呼ばれるタンクに行きます。
そこで保管されて終わりです。
なんでかというと、そこまでしか原子力発電所を作った時に考えてなかったからです。
呆れてしまいますよね。

私がいた東京電力ではSRタンクと呼ばれる貯蔵タンクが一杯になるとFSTRタンクと呼ばれるタンクへ移送する方法で終わっていました。
簡単にいうとSRタンクが一杯になったから、更に容量の多いFSTRタンクへ移すってだけです。

言葉は違えど全国の原子力発電所にこのタンクはあります。

一度そのタンクの清掃工事があって、水で希釈した状態ですが2000mSvを超えていたのを覚えています。

この使用済み樹脂の処理方法については技術的にも確立されていません。
あまりにも高線量というのもネックになっています。

しかもですね。このタンク地下設備にあるんです。
福島第一原発では汚染水に浸かったまんま、現在も状況は分かりません。
私はいち早く状況を確認すべきだと思っています。

タンクに穴が空けば、汚染水がさらに高濃度に汚染されると思っているからです。

使用済み燃料だけが問題ではないのです。

2013年3月17日

保全部部員のお仕事 発注編。

具体的な発注についてです。

現地の社員は工事の元ネタは作りますが、どの企業に発注するかとか契約に関しては殆ど権限がありません。

東京にある本店の資材部という所でやっています。

何をやっているかと言うと、吉川という保全部の人から「△△工事」の契約依頼がきた。
ふむふむ、2000万の予算をはじきだしてるな、工事の内容はどうだ?、電源関係か、△△会社に発注しよう
という感じです。
本店の資材部が選定した、複数の会社に吉川が作った書類を送ります。
A,B,Cといった会社があった場合、この中で一番安く札を入れた会社が請け負い会社となります。
通常、10%ぐらい現地の社員が積算した金額から減らして発注するという形になります。

すると、現地の吉川の席に請負会社の方がいらっしゃいます。
初めて関わる会社だとはじめましてですが
通常、毎年やってる工事だと、今回もお願いしますになります。

ここでようやく工事が始まるという分けですが、
工事期間というものを工事積算の際に決めています。
例でいうと
8月着工工事の場合、7月にはごあいさつは終わり、工事要領書というものを請け負い企業に作ってもらいます。

これは、発注した内容に対してのオウム返しになりますが、どのようなスケジュールでやるかといった工程表
対象機器毎に定めた手順書、工事に関わる会社の体制表などが含まれます。

つまり依頼した内容を請け負い企業が「こうやります」という書類です。
それを依頼した内容に合っているかのチェックを行います。
スケジュールも原子力発電所の当該設備の運転状況とマッチングするかもチェックします。

それが終わると、社員は請負企業が点検できる状態を作る仕事になります。

原子力に関わる設備は、いつでも止められるとは限りません。
ほとんどが安全に関わる為、原子力の運転状態に合わせてやる必要があります。

その為、PTWという作業許可申請書を原子炉運転員にだす必要があります。

運転員はPTWに記載された点検内容、機器、安全処置を吟味し保全部員に、点検できる日を通達します。
このPTWという書類の作成と操作員とのやり取りを行うのも仕事です。

点検とは通常分解点検を指しますので、電源を切る必要があります。また弁等が対象であった場合は放射能を含んだ水を漏らさないように、対象となる弁の前後の弁を閉める必要があります。
作業員の方が安全に作業できる環境を作ることを安全処置といいます。

安全処置が多ければ多いほど、いいような気がしますが、なんでも止めればいいという分けではありません。
作業員の安全は第一ですが、それで原子炉安全が保てなくなるなんてこともあります。

ですから、作業員の安全が保てない場合等は出来るタイミングが来るまで「おあずけ状態」になったりします。

この安全処置と通称「アイソレ」といいます。
ベテラン社員と呼ばれる方は、アイソレを作るのが上手いと言われます。
要は原子力設備をよく知っていて、作業員の安全も守るし原子炉安全も守る、また工事スケジュールも守る
ことができるからです。

経験の浅い社員は、作業員の安全を守るアイソレが作れない、作れても原子炉安全が守れない、もたもたしてると工事スケジュールが遅れていくということがよくあります。

工事の発注が終われば、工事期間中はひたすらPTWを作って、作業員の方が安全に作業できる環境を作るのが保全部員の業務の仕事になります。

2013年3月17日

保全部部員のお仕事。

具体的な保全部員のお仕事を書きたいと思います。

保全部員は各担当者毎に年間の業務割をもらいます。
それは「あなたは今年、これだけの工事を担当してもらいます」というものです。
その人の力量に応じて、管理者であるチームリーダーが指名することが多いです。

工事といっても新しく何かを作るわけではありません。
通常は「長期計画」と呼ばれる点検修理の周期表をもとに「点検工事」を起こすということです。
業務をスムーズに行う為、「長期計画」と呼ばれる点検周期表は「件名工事」と呼ばれる単位で作成されています。

例えば「3W 電気設備点検手入工事」という「件名工事」があった場合、その工事を担当するものは
この工事の「長期計画」を開きます。
H24年度は、○○ポンプの電動機と△△ポンプの電動機、それに××電源の点検を行うのだなと
読むわけです。

それができたら、工事積算という行為を行います。
システム化されたものがあり、東電社員しか触れないシステムを使います。
そこで、例にあげた○○ポンプ電動機の点検にどれくらいの材料と人件費がかかるかを積算するのです。
これは過去の契約実績や現場経験を活かし入力作業を行います。
この入力が工事費の肝にあたるわけです。

簡単に書きましたが、実は工事の規模によっては点検対象が何百となることも多々あります。
その一つ一つに材料費、人件費を当てはめる為、大変な時間がかかります。
その中では、作業員の方の危険手当も入力しなければならないので、こと細かなものとなります。

その工事積算が終わると、今度は工事契約の書類「仕様書」というものを作りあげます。
お金の計算が終わりました、でも具体的な何をどのように点検するかの書類を作らなくてはなりません。
それが仕様書になります。

工事を請け負う企業が分かるように作らなければいけません。
簡単に言えば、どこまでのルールで作業をすればよいか、免責になる部分、ならない部分の文書の形で示すものです。

対象機器一覧表をまず作ります。長期計画からの写しなので簡単です。
そして大変なのが仕様書です。
その対象機器一つ一つについての点検内容を全て書かなければなりません。
例えば○○ポンプ用電動機点検 仕様書 といった感じで、作業準備から始まり、点検、検査、片付けまでを細かく書くことになっています。
点検内容には、各種基準値等も明記しなければなりません。
これを対象機器に対して作るのですから、何百ページにおよぶ場合もあります。

その他、工事の組織体制や請負企業に求める書類の羅列など
工事に関わる全てを一つにまとめた書類の作成が必要となります。

これらを作りあげるのに、大体2週間から1ヵ月ほどの時間を要します。
そして出来あがった書類の承認行為をとるのも仕事のうちです。

工事積算をすると、場合によっては数億円の規模になることもあります。
工事の規模に応じて、関係するグループや上司に印鑑をもらいます。
印鑑をもらうだけで数日かかることもよくあります。

ここまでは、本当にただの事務仕事で机にかじりついてやってます。
ここで紹介したのは、保全部員の仕事の一部です。

知って欲しいのは、点検だ、修理だと簡単にはできないということです。
点検、修理は実際には外注しています。
その元ネタを作るのが社員のお仕事だと思って頂ければと思います

2013年3月10日

健康管理室というのが発電所にはあります。

東京電力の原子力発電所には健康管理室というところがあります。
総務部に所属しています。

簡単に言うと、学校の保健室に似ています。
違うところはちゃんとした医者の先生と看護師の方がいて、薬も頂けるという点です。

ですから、通常の病院に行ったのと同じ様にきちんと料金がかかります。
発電所内で怪我をした時や風邪を引いた時などに行く場所です。

私はよほどの事がない限り一般の病院には通ったことはありません。
大概の事は健康管理室で十分に見てもらえます。

病弱なんでよく通っていました。花粉症の薬ももらっていました。

本来は原子力発電所という所は放射能を扱う職場ですから、現場での有事の際、一般のお医者さんが入るというわけにはいきません。
常駐している健康管理室の方があたるということになっています。

原発事故の際には、大変なご苦労をされていたのを見ました。

今も原発で働く人達を支えてくれています。

皆さまも、知っておいて頂ければと思います。

2013年3月8日

保全部の組織。

私はこの保全部という部に入社してから14年間ずっと所属していました。

保全部について説明します。

まず保全という言葉について、「ある設備を構成する機器を定期的に点検修理を行うことにより機器を正常な状態を維持する為の行為、考え方」と言えます。

保全部の使命は原子力発電所の運営を合理的に考え(コスト的にですね。)点検、修理で支えていくものです。

原子力発電所を構成する建屋毎にグループが分かれています。
下記のグループで分かれています。

原子炉建屋の機器を所管する:原子炉グループ  40~50人ほど
タービン建屋の機器を所管する:タービングループ 40~50人ほど
廃棄物処理建屋を所管する:環境施設グループ   20人ほど
原子炉建屋及びタービン建屋の電源設備を所管する:電気機器グループ 40~50人ほど
原子炉建屋及びタービン建屋の計装品を所管する:計測制御グループ 40~50人ほど
上記グループの予算管理を行う:保全計画グループ 20人ほど
各グループ(保全計画を除く)所管の電動機、ポンプ等の診断を行う:保全革新グループ 40~50人ほど

所属するグループ員はグループ毎に異なりますが大体40~50人といったところです。


よく皆さんが目にする原発作業員と呼ばれる下請けの方々はこのグループ員からの依頼によって、原子力発電所の点検、修理、取替といった作業を実際にされている方々です。

それでは、東電社員は何やってるんだ?ということになりますよね。
簡単に言うと管理業務です。

建屋や設備機器毎でグループ分けされていることは分かっていただけたと思います。
そのグループ毎に1年間の工事のスケジュールが決まっています。
その工事の発注業務と工事管理業務を担当者毎に割り振られます。
工事とは「点検工事、修理工事、改造工事」に分かれています。

つまり、計画された工事を下請け企業へ発注し、下請け企業が受けた工事が依頼通りすすんでいるかの工事管理をし、検収行為を行いお金を払うということをやっています。

仕事の内容の詳細は長くなりますので、別な記事で詳細を書きたいと思います。

2013年3月7日

原子力発電所の組織。

私は保全部に所属していましたので知ってる範囲でのご紹介になりますが、

発電部の仕事についてご説明します。

私が働いていた福島第二原子力発電所についての説明です。

発電部は運転管理部と発電グループに分かれます。

運転管理部とは事務所の中に席があり運転操作をするグループ員の業務をサポートします。
事務仕事がメインになります。
手順書と呼ばれる書類の作成を行ったり、運転操作員の当直割を決めたり。
保全部と運転操作員の中間をつないでくれたり。
発電所で発生する液体廃棄物の管理、運営業務等 多岐にわたります。

発電グループに運転操作員が所属します。
原子力発電所そのものの運転業務をする人達です。
中央操作室というところに常駐しています。
常駐する為3交代勤務になっており、1班、10人ほどで、A班からF班までの6班編成になっています。
福島第二原子力発電所は1号機から4号機までありますから
10人×6班×4号機分=240人ほどの運転員がいる計算になります。
原子力発電所は起動さえしてしまえば、当然のことながら後はコンピュータ管理で勝手に発電します。
操作員の人達は緊急時対応として常駐しているのです。
サーベランスと呼ばれる仕事をしています。
サーベランスとは、緊急時に動かす設備がきちんと動くように試運転を行うことをいいます。
これを毎日行っています。
また、毎日3回のパトロールも彼らの仕事です。おおよそ2時間ほどかけて全ての建屋を見て回ります。
異常の箇所を見つけた場合は修理点検依頼を保全部へ依頼します。
保全部から点検修理の為の、設備停止依頼に応じるのも彼らの仕事です。
私が会社に入った頃は男性の職場ですが、今では若干ながら女性もいます。
運転操作員は当直長、副当直長、主任、オペレーター、操作員といった役職に分かれています。
操作員から出世していき、当直長がトップになります。
大体10年ほどの経験でオペレーターになります。
オペレーターになってベテランの域といったところでしょうか。
訓練業務も多く、訓練のほとんどが原子炉の異常状態をいかにクリアーにできるかをやります。
シュミレーター室という中央操作室と寸分変わらない訓練設備で行います。
原子炉事故をいかようにも模擬できる専門の訓練室です。
操作員になってから、定年を迎えるまで、ずーっと定期的に行っています。