Web用ロゴマーク(横 三行) (1).gif

活動レポート

2013年4月

2013年4月30日

群馬県前橋市で講演を行いました。

先日、群馬県前橋市のCoolFoolさんにお邪魔して講演を行ってきました。

長時間に渡り皆さん真剣に聞いてくださいました。

現地の作業員の方々や東京電力社員の状態のことや
福島第一が置かれている状況の深刻さをお伝えしてきました。

私が常日頃から皆さんにお願いしているのが、正しく批判し、正しく評価するというところです。

現地の方々の頑張りや心的ストレスの事は日常話題にあがりません。

私はそれを代弁しているに過ぎません。

できるならば現地で頑張っている人達を応援していただきたいのです。

皆さんが彼らのことを知らないように、彼らも応援されている事を知りません。
それどころか自分の存在意義すら見失うほどのストレスに晒されています。

結果として、経験を積んだ方々が辞めていくのが現状です。
また社会的な関心事としても薄くなり、技術支援を積極的に国もしくは技術メーカーが関与する構造すら作られていません。

東京電力は平常の原子力については高い知識は持っていますが、残念ながら廃炉技術に関しては手探りな状況です。

今の講演で現地の方への思いやりの気持ちは持って頂けと思います。

今は私一人の小さな活動ですが、私の話を聞いた方が友達や家族にまた伝えることで
大きく広がっていってほしいと思っています。

今回、主催してくださった皆さんと、遠路はるばる聞きに来てくださった皆さんに
お礼申しあげます

ありがとうございました。

2013年4月30日

高機能放射線測定器について。

私は今、放射線測定器のモニターをやっています。

facebookを通じてお知り合いになった「株式会社 サンプラス」の代表取締役をされている
大田黒 敦雄さんが開発された物です。

私がなぜモニターを引き受けたかといいますと、単純に性能に惚れたからです。

こちら簡単にまとめると
1.GPSにより携帯者がどこで、どのくらい被ばくしたかがわかる。
2.インターネット上に自動的に記録管理される。
3.1件ではあるが電話番号を登録でき通話できる(トランシーバーの機能を果たす)
4.スマートフォンの電源と共有できるので(差し込みプラグが同じ)充電器があればいつでも充電できる。

しかも楢葉町で実際に除染業務を行っている「東電環境エンジニアリング」の協力を仰ぎ、
改良を重ねたものなんです。

巷にある線量計は、いつどこでどれくらい被ばくしたかなんては、個人が管理しなければならず、実際のところは難しいものです。

私が使う側の人間として、もっているだけで勝手に放射線マップが作れるものがあればいいと常々思っていました。
また、行政が設置したモニタリングポストの値がまるでその町の線量の真値として扱われることについても疑問を持っています。
世の中も「ホットスポット」の問題は大きく扱われているところです。

モニタリングポストを沢山設置すればいいのですが、あれ余裕で1000万円を超えます。
実はこの測定器、2分毎にサーバーにデーターを送るので、少々の加工(雨に濡れないようにとか、電源を確保する)いった事をやれば、当然モニタリングポストの代わりになるんです。
機能としてはその他にメール機能、アラーム機能も当然ついています。

用途としては、原発作業員に限定されるものではないと私は考えています。
例として挙げれば、これを持ち歩き町内を回れば線量マップはすぐに作れます。
幼稚園、保育所、学校、病院といった場所や通学路を放射線管理することができます。

また、線量の低いと分かった若しくは分かっている観光地などは風評被害を払しょくするために用いてもいいでしょう。

また、モニタリングポスト化することで、原発事故当時に問題となったSPEEDI情報が民間に与えられなかった問題も、自分で監視できるようになります。

ご興味のある方は是非「株式会社 サンプラス」さんに連絡を取ってみてください。

連絡先は055-980-4555
FAX 055-980-4556
URL http://sunplus.jp/

新聞でも紹介されています。

2013年4月18日

5/18 八王子で講演会を行います。

活動のご報告です。

以前ジャーナリストの布施祐仁さんのご協力により雑誌「世界」に原発作業員の方々の保護の重要性を訴えさせて頂きました。
(とても誠実で正義のあるジャーナリストの方です。私のFB(Yujin Fuse)で繋がっていますので、是非布施さんのウォールも見て頂ければと思います。)

その記事が目にとまったそうで、布施さんからのご紹介により5/18八王子にて元東芝の技術者である後藤政志さんと対談することになりました。

原子炉設計の技術者の方と実際にそこで働いていた社員の対談
今後の原発の再稼働の問題についての議論になると思います。

私は経験則に基づく内容で議論しようと思っています。
その中でどうしても原発の再稼働の問題については現地ではたらく原発作業員の方々の
雇用や労働環境も切って捨てられる問題ではありません。

ありのままに誠実に実情を話すことは傍聴される方々に新たな気づきをもって頂けると
思います。

主催者の方と話を詰めていかなければなりません。
どういった趣旨でこの催しを行うのかということは重要です。

仮告知という形になりますがご報告させて頂きます。

2013年4月18日

福島県が福島原発の規制の乗り出しました。

昨今の福島第一原子力発電所のトラブルに鑑み、ようやく福島県に「廃炉安全監視協議会」が組織されました。

こういった行為自体はやって然るべきです
ただ遅すぎますね。
燃料プールの仮設電源トラブル、地下貯水槽トラブルが世間で大騒ぎしてからの話ですし。

こういった福島県が積極的に廃炉に関与規制していく事の重大さは私は退職してすぐ
福島県県庁に申し出ていたものです。

私からすると、やはり大きなトラブルが発生しなければ私の言ったことの重大さが伝わらなかったのかなという思いと
以前から有識者だけではなく現地を知る人間が必要と強く訴え協力の申し出をしていた私を採用しないことに、いくばくかの不満もあります。

予想の通り、こういった組織のはくをつけるためにと取れる
原子炉専門教授や今までの規制当局の人間を採用しています。
また町役場の方々を採用しているのは、あくまで町との繋がりを強調しているのみに過ぎず
町役場の人は完全な福島原発のど素人ですから。

なんにせよ、一般の方が納得がいくような規制監視ができようもありません。
東京電力の内部をまったく知らない人間達の構成だからです。
これには、無駄な規制監視が横行する危険性もはらんでいます。

言葉は良くありませんが知っているからこそできる便宜という側面が必要です。
言いかえるなら協力するという点です。

例えば、現場の事情と技術的知識がない人が安易に規制監視した場合
重箱の隅をつつくような本質の問題を解決するにはほど遠いことを指摘しかねません。
それに時間と労力を使う事は、規制側及び東京電力ひいては避難生活を送る方々にとって
大きな損失になります。

今回の方向性そのものは良しと思います。
ただやり方が良くない。

私のように自ら、持っている能力をそういった監視の場に活かせないかと、
申し出た人間は多いはずです。

よくこの先を見てください。
きっと東京電力の広報からの情報を再掲載するか、現地を視察して「しっかりやってください。」程度の苦情を提言する程度でしょうから。

これでは組織携帯が変わっただけで、震災前と変わらず「ほど良い距離感を保ったなれあいの監視規制」から脱却できるものではありません。

一人ぐらい福島第一のエキスパートを入れるべきだと強く思います。


http://wwwcms.pref.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=3277

2013年4月16日

仙台で講演会を行います。

活動のご報告です。

facebookで繋がり実際にお会いして共感をもってくださった森文子さんのご協力により
7/20(土曜)仙台YWCAさんの主催で講演会を開きます。

まだ時間など詳細は決まっていませんが、開催することは決まりました。
森さん、仙台YWCAさんに感謝申し上げます。

私がお伝えしたいことに大変興味を持ってくださり、継続的に開催することまで視野にいれてくださっています。

ちょっと先の告知になりますがご報告です。
http://sendai.ywca.or.jp/about.html#pg_what

2013年4月16日

講演会の依頼が来ました。

活動のご報告です。

先日、水戸の市議会議員の方からメールを頂きました。
以前長野県で講演会をやった際に見に来てくださった長野県議員の中川さんから私の話を聞いて、興味を持ってくださったようです。

内容は講演会のご依頼でした。
世間では反原発の動きは制限され、あまり日の目を見ませんが
沢山の団体の方がいます。
そういった方々の方が私に興味を持ってくれています。

ただし、私は反原発の波に乗って一儲けする気もありません。
その気になれば「暴露本」も簡単に書けてしまいます。
でもそれって福島原発の問題を解決することとは違いますよね。

私が伝えたいのは、現地の人間だったからこそ伝えられる
原発事故の問題、それと支える人達の苦労
それを如何に原発事故の復興に結びつけていくかの
講演会です。

そういった旨をお伝えして賛同して頂けるようであれば
こちらこそお願いしたいと思っています。

やるとすれば6月ごろ水戸で開催いたします。

2013年4月16日

原発作業員の方々が喜んでいます。

現地の原発作業員の方々を応援してくださった皆様へ

以前私が年賀状で応援メッセージを送りませんか?
という提案に沢山の方が賛同してくれました。

いわき駅で偶然以前の職場の上司にお会いしました。
応援の手紙届いてますよね。どうでした。という問いに
「すごくびっくりした。全国の人が応援してくれているとは知らなかった。
おばあちゃん、子供までくれたんだ。すごく励みになったし、反響も大きかった」
との事です。

最近は福島第一のトラブルも積極的にTVやネットでも話題になっています。
それについて厳しいご意見をよせることは必要です。
でもその裏には懸命な人達がいるわけです。
彼らからすると「世間的バッシングに負けそうになる」なんですよね。

批判からの先とよく私は言っています。
そこには応援も当然含まれます。

あえて言うなら逆の立場ならどうだろうって点です。

あそこで働くのは、皆さんと同じ「人間」です。ロボットじゃないんです。

また機会があれば「応援メッセージ」はやってみたいと思います。
その時は同じように送って頂けると嬉しいです。

2013年4月16日

4月からの警戒区域再編について。

全国の方々へ
現在警戒区域は福島第一原子力発電所を中心とした6kmまで縮小されました。
南側からですと富岡町まで誰でも自由に入ることができます。
福島第二原発の前を通ることができるようになりました。
今まで週刊誌でしか見れないような地域に入れるようになったんです。

物見遊山はあまりしてほしくはありませんが
福島原発問題に興味のある方は一度ご覧になって欲しいと思います。

原発事故の避難で町がどうなってしまうのか
肌で感じて頂ければと思います。

参考ですが私が持っていった線量計で毎時2マイクロぐらいでした。

警察の方がパトロールしていますので日中をお勧めします。
他県ナンバーは職質されるかもしれませんが、された場合はご容赦願います。

現状を見れば、国の原発事故に対する対処の甘さや被災者の苦しみがよく見えると思います。

今は視察の段階で土地の調査やニーズの調査をしています。

友人達を富岡町まで連れていきました。
かなりの衝撃を受けているようでした。
TVは面白おかしく一部抜粋で放映しています。
現地の人間が現地を案内すれば沢山のドラマがあります。

具体的に進むにつれてご紹介していきます。
言うほど大きな事は出来ないかもしれませんが

2013年4月16日

事業を興そうと思います。

先週ですが東京の友人を浜通りにお招きしました。

それは私が地域開発に繋がる事業を起こす為に、共通の認識を持つ為です。

百聞は一見にしかずではありませんが、被災者がいくら被災地の現状を語ろうとも、一般の方々には上手く伝わりません。
それよりも見て感じてもらった方が何十倍も意義があります。

広野町を知っていますか?
双葉郡広野町は現在皆さんが住む地域と特に変わりません。
それは行政上の扱いという点です。

しかし原発事故後は警戒区域に一時編入され住民が全て避難した経緯があります。

もう少し詳しく言うと、[Jビレッジ」という日本有数のサッカー専門の宿泊施設がある町です。
そのJビレッジは今は福島復興本社となり、原発復興の最前線基地さながらです。
新広野寮といわれる東電社員専用のプレハブ寮があったりします。

町の現状は国道6号線に民宿、コンビニがあるだけで、学校は閉鎖状態、スーパーも原発関連企業の事務所になっています。
家族が住む事の苦しい地域になってしまいました。

私は現在警戒区域、避難解除準備区域になっている、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、川内町、浪江町の将来を如実に表している町が
広野町だと思っています。

結局は除染が済めば「帰らされる」のです。
殆どの方は避難が長引いていますから新しい町で新しい生活を始めています。
仕事もしています。家族は新しい学校で友達も作っていることでしょう。
つまり若い世代と中間世代の家族は帰る選択をとりません。
戻ってくるのは原発関連の仕事をしている、もしくは50代を越えた人達でしょう。

震災後2年が経ちました。
東京電力もどうやら町のお金をかけて再興する気もないようです。
国も除染はしてくれていますが、その先は未定です。

結局は被災地は被災者が立て直すしかないようです。

私は将来に向けて事業を興そうと思っています。
その為に強力な友人達もできました。

今は視察の段階で土地の調査やニーズの調査をしています。

友人達を富岡町まで連れていきました。
かなりの衝撃を受けているようでした。
TVは面白おかしく一部抜粋で放映しています。
現地の人間が現地を案内すれば沢山のドラマがあります。

具体的に進むにつれてご紹介していきます。
言うほど大きな事は出来ないかもしれませんが

2013年4月16日

福島第一の汚染水漏れについて。

久しぶりの更新になります。

色々と思う所があってお休みしていました。
ここ最近では1Fの地下貯水槽の問題がありましたね。
個人的な考えですが、沢山考えさせられました。

地下貯水槽そのもののアイディアは悪くないと思います。
ただ、そこには原子力産業で絶対に抜かせない「漏えい防止」という考えが不足していました。

私も初めて知りましたが、地下貯水槽の設備は元々溜め池等に利用される技術だそうです。
当然扱うものは汚染されていない水です。
多少の漏えいは許容されるものです。

根本原因は原子力産業の知識がメーカー側に欠如していた事と、電力社員がそれを安易に採用してしまったことです。

私が14年間の会社生活で学んだ事は絶対に放射能は出さないということです。
その為に湯水の如くお金を使うことは多々ありました。

現在の1Fの状況は皆さんが思っているほど楽観視できるものではありません。
地下貯水槽の廻りにあるタンクですが、あれが外にむき出しであることが既に異常なんです。
簡単に言えば、漏えいした場合「確実に汚染が外の世界(要は一般公衆に広がる)に出る」からです。
通常は建物の中に放射性廃液を入れたタンクがあるのが普通です。
万が一漏れても建屋内での処理が可能だからです。

しかし現実は甘くはありません。日に400トンのペースで増える汚染水を処理できる機能がない現状では、仮設のタンクに入れるのが最良になっています。
建物を作って仮設のタンクを入れるのは、設置許可という1年以上かかる厳しい審査を受けなくてはなりません。

原子力規制庁は今回の問題に対して「専門家ではないので防げない」と発表しました。

これらを総合すると
1.原子力の基本的考え「放射能を拡散しない」が企業にしみついていない。
2.メーカーが出す技術を東京電力社員が、汚染水を扱うという観点で技術的に評価できない。
3.原子力規制庁を含む国の機関が協力的ではない

という事がまざまざと分かるトラブルでした。

そして本質の問題「増え続ける汚染水をどうするのか」これについては議論にあがっていないです。

汚染水の問題については、もはや利益企業である東京電力だけでは問題の解決が不可能に近づいています。

国の管理下もしくは協力なくしては解決の糸口すら見失いそうです。

2013年4月4日

皆さんへのお願い。

全国の皆さんへのお願い

皆さんの町の公民館、商業施設の会議室、イベント空間を教えてくれませんか。
できれば少なくとも20人ぐらいが入れる場所です。
そして3時間くらいを借りるにあたってなるべくお安い所です。

講演会の依頼を頂く これがそもそも間違いですね。
自分で開きたいと思います。

簡単に言えば全国行脚のイメージです。

場所と連絡先を教えて頂ければ、それより先は私が自分で計画実施いたします。

お力をお貸しください。

私がやりたい講演会の内容と言うのは
元福島原発社員として培った経験を元にリアルな福島原発の実情を知って頂くことで、そこで働く人間達の思い、苦労といった事を皆さんに知って欲しいのです。
また、原子力産業の秘匿性は一重に、電力会社と一般への繋がりがなかったことが問題だと思っています。
単純に原子力発電所って何をやっていたの?レベルも知って頂ければという思いで、毎度講演会ではQ&Aもやっています。
正しく理解して頂く、そこからの発展性(誤解や偏見、差別をなくす)
これを人が本来もつ他社への思いやりに結びつけていきたいのです。
全国で開かれている原発関連講演会とは趣は違うものです。

よろしくお願いいたします。

2013年4月4日

復興への道のりと再確認。

一昨日になりますが、改めて双葉郡広野町までドライブに行ってきました。
それは原発作業員動向を見に行く為です。
私が常々考えている事は、福島原発の収束に直接寄与している原発作業員の方々を支える環境がないという問題と、それを解決しようと具体的に動いている企業、行政がないという問題です。

これを感じるには単純に、彼らが生活する範囲を直に見てくるのがてっとり早いです。

まず感じたのがインフラ整備
元々福島県の浜通り地方は国道6号線しか生活道路として機能していません。震災前から朝夕の通勤渋滞は最早当たり前の光景でした。
しかし、それでも我慢がきく程度です。
現状は広野町圏内は、原発作業員渋滞が我慢がきく一歩手前の状況でした。わき道から合流するのが困難なほどです。

路面店はほとんどなく、広野町から主要経済都市であるいわき市まで
20km以上ありますが、コンビニが2件あるだけです。

通勤渋滞回避の為に、広野町に住んでいる作業員の殆どはプレハブ住宅もしくは民宿生活でした。震災後とさほど変わっていません。

つまり作業員の方々の多くは片道1時間以上かけて「いわき市」から通っている状況です。
その間、旧警戒区域により壊滅的に何もなくなった6号線を通るほかありません。

過酷な労働+過酷な通勤といったところです。

これは一刻も早く改善に取り組む問題ですね。
過酷な労働は改善するのは、東京電力、国の問題ですが
それ以外は一般企業レベルで改善できることです。

浜通りの震災からの復興は「原発労働者が抱える問題」と切り離す事はできません。

支援の行うことで復興へも繋げる
今私が考えて実践すべき課題です。

今日も東京へ日帰りで行ってきました。
この問題を考えだけでなく、実践する為です。

支援しましょうから支援するへの転換です。

難しい問題ですが希望も見えました。
頑張ります。

2013年4月4日

復興を自ら興します。

活動のご報告です。

今、福島原発事故により警戒区域内及び警戒区域隣接市町村は大変なダメージを負っています。

特に警戒区域に隣接する町で顕著に影響が出ているのは双葉郡広野町と南相馬市です。

警戒区域の縮小に伴い、旧福島第一原発から20kmから30kmの地域は、現在特別地域としての支援を受けず通常の町の戻ったという扱いになっています。

それは規制上のお話で、実際は一度強制避難させられた経緯から、今も多くの住民が戻っていません。
住民がいませんから当然の如く、生活を支える基盤となる商業、学校、病院、といったインフラが壊滅状態です。

この問題に対して、本来であれば行政が取り組む物ですが
待っていられる状態ではないのが実情です。

よく被災地が訴える、復興が進まないという声がそれを表しています。

私が今行っていることは、友人、有識者と共にそこにある問題解決の為の事業を起こす為の下地作り。

以前東京に人に会いに行きました。とご報告したのはそれの打ち合わせだったりします。

私が考えたのは「なんで国は!(怒)、なんで町は!(怒)}からの先を実践するのが大切ということ。

そして一被災者の立場として全国の方の支援の恩返しは、自分達で自立して問題解決に率先して行動を起こすということ。

全国のボランティアの方々は、私達が復興への足がかりを支援してくれた事を忘れてはなりません。

最近
講演活動って意外と需要がありません。
私は規模も場所も気にしていません。
求められれば例え一人でも行く所存です。
ですが現状は厳しく、求められてはいないのかなと思っている日常です。

ですが遊んでいるのはちょっと違うので、実はこんなことを始めていました。
以前、とん挫した作業員支援住宅建設の延長上にあるものです。

明日というか今日、東京に打ち合わせに行ってきます。

えーっとですね。何が言いたいかというと
新しいこと実は裏で動いていましたって事と
恥ずかしい話ですが、誰か私のお話聞いてみませんかということです。