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活動レポート

2013年6月

2013年6月29日

東京電力でも浮いてしまう原子力部門について。

先日、会社時代の先輩たちに電話をかけました。

今や会社はどのような状況ですか?と私が聞くとあまり看過できないお話を聞きました。

それは原子力関連部門が会社内でも浮いているという話です。

東京電力は巨大な会社です。
原子力部門が約3000人ほどの社員がいますが全体の1割にも満たないのです。
その他の社員からすれば原子力は一生のうち関わり合いになる事もなかった分野です。
本来大きな身近な問題が、少し他人事や厄介事ぐらいに思われている風潮があるようです。

会社としては全社員一丸となり、原発事故に向き合うと明言していますし
各分野の壁を越えて、人事交流を計るようにしています。

しかし実際は多くの社員が1年ほどで今の職場に戻すことを条件としたり
福島に飛ばされないように仕事をするといったことがあるようです。

現地の人間達は線量がパンクする問題もあり、早く人員の補強を要求しています。
また会社が傾いたとはいえある程度の原子力への予算の配慮がほしいようです。


福島に行きたくない
気持ちは理解できます。現地は激務です。
しかし社会にこれだけの影響を及ぼした会社の一員としての責任はあるはずです。
個人の感情を超えた対応をしなければ、自分の生活を支える会社そのものが崩壊する事実を受け入れないといけないはずです。

私の元先輩たちは、同じ会社の中でも孤立したような気持ちを味わっています。

原子力で働くことがタブーの風潮が後押ししているのではないでしょうか

2013年6月18日

福島県白河群鮫川村焼却炉の続報について。

北茨城市で畜産農家の方から相談のお電話がきました。

内容は鮫川村で試運転が始まる焼却炉を止めるすべがないかと。

鮫川村焼却炉の事を知らない方に簡単に説明
いわき市に隣接する白河郡鮫川村に環境省が焼却炉を作りました。
問題になっていることは下記の通りです。
1.なぜ問題になるかというと除染で発生した草木を燃やす焼却炉であること。
2.処理量を200kg/h未満にすることで廃棄物処理法、環境アセスメントが適用されず
  容易に建設してしまったこと(住民には事後報告)
3.試験運用を行うことで実証されれば全国展開すると環境省が明言していること。
4.焼却灰(濃縮された放射能廃棄物)の処分については、いまだ決まっていない最終処分場に持っていくまで鮫川村で保管すること。
5.放射能測定装置はついておらず、煤塵に含まれるセシウムを煤塵濃度で管理すること
  (ただし放射能は代替えで測定はできる理論としては成立っている)

鮫川村の方針としては、村の産業として環境省に強力するというスタンスです。
隣接するいわき市については黙認。
北茨城市は反対姿勢ですが、環境省の対応に半分あきらめぎみです。

7月からは試運転が始まることは決まったようです。
それで落胆のどうにかなりませんかという相談です。

前職では発電所にある焼却炉の保全を担当していましたので、アドバイザー的なことをしていました。
ここに至っては、止めるという事はできそうにありません。

監視委員会を作り、協定を結ぶといった事を考えています。
つまりきちんとやれないなら、停止してしてもらおうという考えです。

私はこの震災に伴い発生した瓦礫や除染のゴミなどを処分することに基本スタンスは賛成しています。
しかしながら、放射能廃棄物であるものを自分達が都合のよい解釈で法律の悪用は正しいとは言えません。
8000Bq未満は一般廃棄物扱い、これは復興を早期化させるウルトラCであることは認めます。ですが可能な限り自主的な放射能管理をするというのはあって然るべきです。
200kg/h未満の処理量にすることで、廃棄物処理法や環境アセスメントを意図的に除外するのは度を越しています。

そして鮫川村は福島の山奥、知らない人が町を通れば「なんて田舎なんだ」という土地柄に住民に知らせることもなく、工事認可をとらずに建設した経緯も含め、意図的な策略が垣間見えています。

わざわざ放射能汚染の少ない場所に作ることも解せません。ましてや農業や畜産が主な産業の町に作るということは、風評被害と叫ばれている昨今を無視しているに等しいです。

以前も書きましたが、後一年もすればこれは皆さんの問題にもなります。
なぜなら実証試験が終われば全国展開するからです。

この本質的問題はこの「全国展開」という所です。ですから反対派の方々はあの手この手で考え行動しているのです。

私は然るべき場所とお金と高い技術をつぎ込んで大型の焼却炉を作るべきですと考えています。
現に原子力発電所には厳しい基準のもと管理された現在進行で使われている焼却炉が既に何十年も稼働しています。
同じ物を作ればすむ話です。

単純にやるなら、ちゃんと正々堂々やりましょってだけなんですけどね。

2013年6月18日

一般の方とお会いして。

水戸で講演会をやった時に聞きに来てくださった方とお会いしてきました。
前回の講演では聞けなかった話が聞きたいとのこと。

震災当時の東電や政府の対応について議論が及ぶといまだに白熱してしまいます。
命がけだったという言葉をよく使いますが、正確にはにおいも痛みもない放射能の恐怖に対して命がけだった分けです。
福島第一の場合は爆発による直接的な危険もありました。

なんど話しても実感してもらえないもどかしさはあります。

当時の事を思い出すのは正直キツイです。とても不安と残念と後悔の気持ちになります。
2年経てども中々引きずっています。

今も現地で頑張っている人間達はもっと辛いでしょう。
避難生活をされている方々も同様に辛い記憶になっています。

自分のこころのバランスと成し遂げたいことを上手く天秤で釣り合うようにしないと
続けていけないなぁーと感じています。

2013年6月15日

フリーライターの方とお会いしてきました。

今日はフリーライターのギルフーリーさんにお会いしてきました。

いわき駅で待ち合わせをしたのですが、6年ぶりに福島第一原発の後輩社員と偶然会ったんです。一目を避けるように行動していて思わず、つかまえてしまいました。
「頑張ってっかい!」って声をかけたら面喰った表情で「お久しぶりです」なんて言われて。。
あんまり元気ないのが気にかかりましたが

その後、ギルフーリーさんと会社の事について話ながら警戒区域までドライブしてきました。
何度行っても慣れない風景ですね。
梅雨時なのでジャングルみたいに草が生えてますし。

ギルフーリーさんの言葉で印象に残ったのが、東京電力のプレスの透明性のなさです。
先日ギルフーリーさんは1Fにプレスとして入ってきたそうですが、対した収穫もなかったそうです。写真一枚撮れないようでした。

東京電力はもっとプレス対応に力を入れるべきだと思います。
あれだけの事故が起こった場所ですから、当然まともな設備だとは誰も思っていません。
それよりも一般の方が知りたいのはその度合いや現状の対策の状態です。
誠実な対応が信頼を取り戻す一歩だと思います。

今日お会いした趣旨はギルフーリーさんがアメリカで福島原発の本を出版される為、その本に作業員や社員の問題を取り上げて頂くためです。
また、福島原発の廃炉を民間会社に丸投げしている日本の仕組みを問題として取り上げてもらうためでもあります。

私が一般の方にも説明しているのが、作業員や社員が技術力と知識を持っている
これは正常な原子力発電所で活きるものです。
現状の壊滅した原子力発電所を適切に処分する技術、知識はこれから養っていくものだということ。やってる本人達が答えを探している段階にすら到達していないのです。

廃炉への道筋は未定です。やってみないと分からないが本音です。
だからこそ、多くの助けがいります。それを世の中に広めていかなければ未来がないと
私は思っています。

東京電力は株式としては日本国の持ち物になりました。ならばこそ、もっと国も監視委員会も積極的に廃炉に関与していただきたいと思っています。
技術支援だけではなく、枠組みとして作業員の保護に力を入れて欲しいです。

2013年6月12日

仙台で講演会を行います。

正式にご依頼を頂いたのでご紹介いたします。
7月の20日に仙台で講演を行います。

○開催日時: 7月20日 14:00~16:00
 開会挨拶、講師紹介(森文子さん)  14:00~14:10
 講演         吉川彰浩  14:10~15:30(1時間20分)
 質疑応答               15:30~15:55(25分)
 閉会挨拶               15:55~16:00                       
○会場:仙台YWCA1階ホール  
〒980-0011 仙台市青葉区上杉2丁目1-10 TEL:022-222-9714

お近くの方いらっしゃいましたら、是非覗いて頂ければと思います

2013年6月11日

東京電力を変えるきっかけになったみたいです。

久しぶりに先輩から電話がきました。

会社の重要会議で私の新聞記事が取り上げられたそうです。

現地の作業員や社員を保護しなくてはいけない事に議論が進み、改善に動くことになりました。

なんというか
ポカーンとしてしまいました。
自分じゃまだ何も出来ていないと思っていましたし、思うように活動が進まない焦りを感じていましたが、東電という会社を動かす後押しが出来たようです。

重要会議でやると決めたからには、予算も労力もガンガン投入するのが、あの会社のいい所でもあります。

会社の中では、末端社員で何も変えられない
外部から変えるんだと息巻いて辞めて1年
一つ結果が出ました。

先輩からは、激励とお礼の言葉を頂きました。

しかしながら、現実にはまだまだ世間では福島原発の問題は認知度も低いものです。
また、興味のある方々も現地を正しく知ってると言い難い状況です。

まだまだやらなくちゃいけないですね。
長年原子力の中枢で働いていると原子力を過度状態に陥れるにはどうすればよいか
知識的には得てしまっています。

知識を悪用すれば、取り返しのつかないことが起きてしまいます。

私が原発労働者を手厚く扱う必要があると講演しているのは、情だけではありません。
今起こり得る危機への対処を促すためでもあるのです。

銃を手にした集団が正面から襲う必要はないのです。
静かに確実にそういった事を起こすことは難しいことではありません。
正規の手続きで作業員として入域し、事を起こすだけで済んでしまいます。

正直これを書くのはためらいました。
不安をあおるだけなのかなと。
しかし重要ですし、改善できると私は思っています。

私達のこの何気ない日常は多くのモラルある原発作業員達の頑張りと我慢によって
ぎりぎりのところで保たれているといったことは認識して頂きたいと思います。

2013年6月5日

東京新聞さんに取り上げて頂きました。

東京新聞さんに取り上げて頂きました。
少しでも多くの方に知って頂ければと思い、最近は新聞の方とも仲良くしています。

きちんと聞いて貰いかつ、理解して頂くことで私が伝えたい事を載せてくれます。

でも、伝えたい事はもっとありますし
実際はドラマより悲惨で厳しいものです。

やれる範囲をもっと広げなければいけないですね。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/ibaraki/20130602/CK2013060202000133.html?ref=rank

2013年6月2日

新聞を通して知ってもらう & 私がやりたいと思っていること。

今日の講演会に来てくださった毎日新聞と東京新聞の方が
講演の模様を新聞に載せてくださる事になりました。

短い文章ではありますが、現地の作業員の方々、東電社員、そして被災者の方々の思いが伝わるものと思っています。

今はまだ小さな発信しか出来ませんが、ようやく記事として取り扱って頂ける身分になりました。

沢山の方に知って欲しい様々な問題があります。
これからも続けていけるようにしなければなりません。

私ごとですが、広野町でどうにか作業員支援事業が出来ないかと、ここ数カ月東京の友人達と模索していました。現地視察をしたり役場のお世話になったりと・・・
悲しいことに元々の私の資金力の問題で企画段階から先が進まない状況でした。

今回、新しく企業しようとする人間を支援してくれる団体の企画に私の事業を応募しました。
一次選考が来るのは後2週間後

講演会だけでは、やはり現地支援には遠いと感じています。
直接支援できること
それもきっと、作業員の方々は身近に欲しいはず

メディアで支援し、かつ現地も助ける
都合の良い理想ですがどうにか実現したいと思っています

2013年6月2日

茨城県水戸市で講演会を終えて。

今日は茨城県水戸市で講演会を行ってきました。

作業員の方々や避難生活を送る方々の実情をお伝えしてきました。
初めて聞く話ばかりで、戸惑いの表情が印象的でした。

きっと皆無関心という分けではなく、単純に知らないだけなんだと思います。
もっと大きな問題である福島原発関連の諸問題を広く知って頂けたらと思いました。

新社会人の若い方が興味を持ってきてくれました。
若い世代でも、問題だと考えてくれていますが、お友達の間では今ではなかったかの様な扱いになっていると嘆いていました。

どうしたら興味を持ってくれるか
私の課題でもあります。

講演の場を広げないといけないなぁと思っています。