メッセージ
私達AFWは「次世代に託せるふるさと」を描き、作り上げていく活動を行っています。
言うまでもなく、福島県浜通り地方はもとより福島県内各所でも「ふるさと」は福島第一原発事故により壊滅的なまでに破壊されました。
双葉郡では、元のふるさとを取り戻す事は不可能です。ですが、どのような形であれ、そこで暮らしていた方々からすれば「ふるさと」であり、ルーツです。
福島県内外から危険視され、帰還する事自体を否定されようとも戻る方々が必ずいます。
そして人が戻る以上、その土地は次世代へと受け継がれていくものです。
震災から5年目を迎え、変わらない現状を見ると、私達はあまりにも自分達へのふるさとにたいして時間的解決を待ちすぎてしまったと思います。
次世代へ託さざる負えない状況である事が明白であっても、次世代へ責任を持って託す努力を出来ていないのではないかと。
私が専門とする福島原発関連問題では、働く人達の労働環境、生活環境が日本でも底辺といっていいほど劣悪になっています。
原発構内での高レベルの放射能、暑さ寒さを考慮できない労働環境、片道に2時間も3時間もかかる通勤問題、低給与並びに社会的地位の低下、住むところも未だに民宿やプレハブ小屋に頼らなければならない、偏見や差別。
40年以上続く=次世代まで続く、作業と分かっている状況でこれでは「託す」事が出来ません。
また、双葉郡はこのままいけば廃炉産業中心の地域になってしまいます。それは原子力産業で生活する事と同義です。震災前後において原子力という産業に依存した地域という構図は変わることがありません。
日本の高度経済成長期に首都の豊かさを支える恩恵として手をだしたものです。その背景には双葉郡が双葉郡単体の産業では生きていけない経済的貧しさがありました。
また同じ轍を踏もうとしています。
私達の親の世代は受け入れざるえない環境があり、そしてそれにより私達が育ってきたのも確かです。震災から私達が得たのは、生き方や考え方を変えるという機会だと思っています。
私達の世代でこの悲しい因果を断ち切り、地方が地方で生きていける新しい産業を作り「託せるものを残す」ことが必要なのだと思います。
今後、福島県の子供達の職業の選択は大変厳しいものになってきます。
就職難と言われる時代は今後も続くでしょう。そして地方故に職業は限られたものになってきます。
福島原発の被害地域、被害者でありながら、職業の選択先が限られ原発作業員、除染作業員といった仕事を選択していく事になります。
私達親となる、親として子供を育てていく世代は、最低でも大人が無関心故に放置してしまった問題を背負わせる事にないように努力し、そして子供達の選択の幅が広がるよう努力していかなくてはいけません。
学力を上げる事だけが教育ではきっとないはずです。
多くの人と交流しそして視野の広がりが持てるような場を提供することが重要だと思っています。
負の遺産を託さざるえない子供達への支援が必要です。
次世代へ責任を持って託す
これはどの地域にも当てはまる事です。
そして地方が地方らしく生きていけない問題は日本共通の課題です。
ふるさとを守るとも言い換える事が出来ると思います。
現在の双葉郡の状況は福島第一原発の収束無くしては、あらゆる復興がとん挫してしまいます。
福島原発を外部から支援する事、被害地域が廃炉を終えた将来も双葉郡らしく生きていける復興を目指していく事、次世代へ無責任なまま託さず次世代を支援していく事
これらは密接に関係し、そして切り離してはなりません。
私達はこれらを包括して行っていきます。
AFW単体では解決不可能な社会課題です。
「次世代へ託せるふるさとを作っていく」という事は、あらゆるジャンルの方々のご協力なくしては叶いません。
私達と一緒に次世代へ責任を果たしていきませんか。
代表:吉川彰浩
・東電学園高等部卒(1999年)、高等部時代は原子力・火力コースを選択。
・卒業後、福島第一原子力発電所に配属。(1999年)。福島県双葉郡双葉町に住む。
・1年間の当直員(操作員)の研修後、保全部環境施設Grへ配属。
環境施設Grでは各号機の廃棄物処理建屋と集中環境施設建屋の保守管理・現場監理に
従事。
・2008年福島第二原子力発電所へ転勤。福島県双葉郡浪江町に住む。
業務は集中環境施設建屋(廃棄物処理、焼却設備)の保守管理を担当。
・震災時は福島第二原子力発電所で被災。震災後の復旧業務は福島第二原子力発電所で
行う。
・2012年.6月退職。
・Apprecaaite FUKUSHIMA Workers 代表
「次世代に託せる”ふるさと”を描く」活動を行っている。
活動内容は、福島原発支援と正しい情報発信、住民主導型産業支援、次世代学習支援
自身と家族親類も原発事故により避難生活中。
・一般社団法人 国際マンガ協会「どろんこマンガ村実行委員会」所属
(撮影:『 Christopher Patrick-Nima Asadian 』)
(クリスさんのHPはこちらです。)
沿革
外部から、劣悪な福島原発作業員の労働環境、生活環境、社会からの度を越えたバッシングを正す為東京電力を2012年6月に退職。
2013年11月まで個人で活動するも、変わらない現地作業員の状況を目の当たりにし、団体で活動する事で大きな改善を目指すことに。
個人、団体での活動を通じ多くの人との交流を持つことで、福島原発作業員支援を行い福島第一原発の安定した早期廃炉を目指す事だけがゴールではないと気づく。
2014年3月より、原発に頼らざるえなかった地方が、地域性と産業を維持して生きていける環境を作ること。40年以上続く廃炉作業に関わる人達が安心して働いていける環境を作ること。その地域で育っていく次世代に夢を持った将来の選択先を増やしていくよう努力すること。それらを「託せるふるさとを描き、次世代に責任を持って活動する」と題して理念とし、活動していくことになった。
パートナー
・「ひろのオリーブ村」さん
ひろのオリーブ村さんのHPはこちらです。
双葉郡広野町にてオリーブ栽培に取り組んでいます。
現在、広野町は法的に制限を受けない地域ですが、一度避難区域となった経緯から住民帰還は2割程度にとどまっています。
将来に形として残せる希望を作るため奮闘されています。
オリーブは平和の象徴でもあると共に、1000年を超える寿命と放射能の影響を受けにくい特性を持っています。
町民の方が自ら立ち上げ、将来を作る産業を応援していきます。
・「AAO-Act for Achievement of Orbit」 さん
AAOさんのWebサイトはこちらです。
「AAO設立の経緯より抜粋」
福島第一原子力発電所の事故責任の一部は電力の消費者である都市住民にもある。私たちは今回の事故で影響を受けた人々の生活環境の改善のため何らかの活動を起こすべきであると考える。ただしその行動は一貫して科学的、かつ政治的中立で、根本的問題の解決につながるものでなければならないが、残念ながら従来の活動の多くはそれを満たしていない。また、特に学生や若者に対する、将来を俯瞰した支援活動は事故から三年の時が経とうとしている今でも不十分である。上記の目的を達成すべく、活動を行うべく本団体を設立した。
現在、広野町中学生の学習支援事業を行って頂いています。
代表の森さんは慶應義塾大学生です。メンバーの方々は関東の高校生、大学生など総勢12名です。
基本学力の向上だけではなく、社会活動で得た経験や各個人の専門とする活動を伝えることで、勉強の動機付けや社会的視野拡大に繋がる活動を行って頂いています。
国際マンガ協会さんのWebサイトはこちらです。
「どろんこマンガ村」の活動を福島県で進めていきます。
「どろんこマンガ村」とは、原発事故の影響を受けて不安を感じている子ども達や、震災孤児になった子ども達の笑顔を取り戻すために、そして、成人になるまでサポートを続けていくものです。
具体的な取り組みとしてはマンガの力を使って、自然エネルギーやバイマスエネルギーを使った循環型社会を実現する活動を分かりやすく紹介したり、日本の伝統工芸を支えている現代の匠や、名工の技に触れられる体験教室を開催して、各地の子ども達の相互の交流を深めて参ります。そして、この活動をマンガを中心にしたマンガ情報冊子の発行し、インターネットで、世界中に配信します。
現在、福島県双葉郡広野町にて広野町役場さんと協議を進めています。
代表の吉川は「どろんこマンガ村 福島準備室 室長」を拝命し共同で進めています。