活動レポート
2014年11月
2014年11月29日
huffpostに記事を投稿しました。
新聞や週刊誌などで、騒がれたこともある「原発事故で避難された方々」と「避難を受け入れた都市に住む方々」との間に「軋轢」と呼ばれる問題があります。
その多くは原発事故の賠償格差への不満が避難された方々へ向いてしまったものです。
例えば、双葉郡の人達はお金を沢山もって遊んでいると言う話(誤解ですが。。)があります。
双葉郡の方は当たり前の生活の中に、息苦しさを感じるといったものです。
中には大きなストレスとなり、休日を楽しめない、大きな買い物も出来ない
地域の行事にも参加できない、いわき市に住みたくない、etcといったことにも繋がっています。
いわき市に住む私が感じるのは、いわき市に住まれる方々はみな優しい方です。
私の周りにはむしろ心配ばかりしてくれる方が多いです。
これは対話が上手くいっているからかなと思います。
賠償の話がでる時もありますが、賠償の実情を伝えると理解してくれます。
多額の賠償=多くの貴重なものを失った
そして等価交換(実際等価に及びませんが)でしかなく、もっていたものより多くを得た分けではありません。
原発事故により本来する必要がなり誤解が、共生を難しくしています。
対話の場を作るために奔走されている「いわき青年会議所」様の「心の復興推進委員会」の取り組みには感謝が絶えません。
記事はこちらをクリックください。
2014年11月27日
福島第一原発への視察が決定しました。
これから日時の詳細などを決めていきます。
AFWが企画主催の視察が認められたことは大きな前進だと思っております。
これで福島第一原発内での写真の撮影も認められます。
今後も申請が通ることが出来ます。
定期的に視察に向かうことで、現地の今を正しく伝えることが出来ます。
報道の機会が減った今、自らが情報を得て発信することが出来ることになり
ほっとしています。
大きな一歩が進められました。
2014年11月26日
12月12日(金)
公益社団法人 福島原発行動隊様主催
福島県浜通り地方の現状を知り、改善へ向けていくための取り組みが行われます。
恐縮ながら現地案内ガイドを務めさせていただきます。
福島原発で働かれる方々の現状改善には、「日本の課題」に対して働かれる方々を支える志を持った方々と広く手を結ぶ必要があります。
個人のちからで変えられるものではありません。
状況を訴えるからの先へ
感謝から作業員の方へ具体的な改善取り組みへ
公益社団法人 原発行動隊様は「国会議員を通して、総理への意見提出」が出来る団体です。
一般の方から政治へも
お力をお借りして進めていきます。
作業員の方の生活は同じ地域で暮らす方々も同様です。
町ごとに遅れている復興状況についても、提言できるものだと思っております。
http://svcf.jp/archives/5240
2014年11月25日
以前もお届けした「ふたば商工株式会社」の「藤田 大」さんにお会いしました。
藤田さんとは震災前からのお知り合いです。
藤田さんは私が福島第一原発で働いていた際、食事を支えてくださっていました。
毎日、美味しい食事を提供してくれる「鳥藤」さんがいたからこそ、原発で働く方々は健康に元気に働けていたとはっきりいえます。
現在も福島第二原発やJヴィレッジへ食事を提供されています。
「ふたば商工株式会社」は双葉郡の実情を理解してもらうために作られました。
たくさんの誤解が偏見を生んでいます。
今日はお忙しい中、2時間ほど沢山の思いのつまったお話を聞かせていただきました。
とても元気を頂きました。
双葉郡の現状をもっと良くしたい。
この思いに一途な方です。
上手くいかない毎日があったとしても、何のためにやっているのか?
ひたむきな藤田さんの背中を見習っていきたいと思います。
2014年11月22日
福島県浜通り 双葉郡広野町にて「ひろのオリーブ村」さんと一緒に「オリーブ」の植栽を行いました。
「ひろのオリーブ村」さんの試みは広野町で新たな産業の一助として、オリーブを定着させるものです。
広野町町民が考え、広野町町民で進んでいます。
公共の土地(二つ沼総合公園、中学校、小学校)に続いて、初の一般の土地での栽培になります。
大変な道のりでした。共感してくれる町民の方(畑を貸してくれる方)を探す、理解してもらうから始まりました。
そしてようやくご理解を頂けた土地はまさに「開墾」から始まりました。
最初の写真をご覧になってください。雑多に生えた木々です。この状況から2枚目の畑の状態にするには、何ヶ月もかかりました。
今日は、そこに立派なオリーブが植えられたわけです。
3枚目はその畑の脇を流れる小川です。
オリーブにかける水はこちらからバケツで。
最初はこの場所で出来るのだろうか?不安ばかりでした。
少しずつ創りあげていく過程で希望も見えてきます。
これからどんどん格好よくしていきます。
皆が集える場所へも
夢が広がります。
2014年11月21日
Kerry Anne O'Connorさんとお会いしました。
ケリーさんは、原発事故より避難生活を送られる方々へ「足湯」を通して、こころのふれあいをなさっています。
復興とは何を持って指すのか?
インフラや経済が震災前の水準になれば復興と言えるのか
私は「こころの復興」をもって「復興に至った」と言えると思います。
ケリーさんはとてもフラットに福島県の仮設住宅への支援を行っています。
現在でも無駄な支援があります。
古着が大量に届いたり、レトルト食品が届くことも。
そういった支援ではなく、長い避難生活で疲れた方々への癒しを提供なさっています。
仮設のでの生活は「生活」をしていくことは出来ても、心平穏にいるのが難しい場所です。
壁が薄い故にプライベートがあまり守られてはいません。
元々大きな家で生活されていた方々にはとても窮屈な建物です。
高齢者にはバリアフリーが行き届いてもいません。
ペットを飼うのは至難です。
毎週のように、会津、南相馬、いわき市と飛び回っているケリーさん
たくさんのお話を聞かせていただきました。
震災から3年8ヶ月が過ぎてもご支援いただけることに感謝いたします。
https://www.facebook.com/groups/591334807565976/883375235028597/?notif_t=group_activity
2014年11月20日
福島県いわき市常磐湯本町にあります「㈱常磐共同ガス」様にお伺いしました。
こちらで勤務され、(公社)いわき青年会議所2104心の復興推進委員会の委員長を務められる「野木和洋(facebookをされています)」様にお話をお伺いするためです。
いわき市には現在もおよそ2万4000人に上る「避難生活を送る方々」がいます。
原発事故により、突然「避難生活を送る方々」を受け入れる立場になった「いわき市」では、様々な表面化しにくり課題が現在起きています。
時に軋轢と呼ばれてしまう「双葉郡から避難された方々」と「いわき市民の方々」との間の誤解や誤解に基づく偏見です。
代表的なものでは「原発事故による賠償額の格差が起因とした問題」があります。
いわき市の方々も原発事故の被害者です。
この問題は、原子力損害賠償紛争審査会が策定した基準に起因しています。
本来向けられる矛先が同じ地域に住む方々へ向かってしまっています。
とてもナーバスな問題です
あえて取り上げない、問題としたくないといった空気感があります。
ですが、そのあえてに切り込み、同じ地域で暮らす方々が手を取り合い「理解しあう場」を創出すべく活動されています。
12月14日には「これからのいわきとふたばのはなしをしよう」と銘打たれた
記念事業が開かれます。
明るい未来のため前に進む活動です。
そして見過ごすことが出来ない、問題への取り組みでもあります。
是非皆様にも知っていただきたいと思います。
http://iwaki-jc.com/news/4395.html
2014年11月17日
11月17日
今日は「ふたば商工株式会社」にて「旧警戒区域視察研修事業」を手がける「藤田 大」さんのお誘いで「東日本大震災支援全国ネットワーク」主催「第9回 現地会議in福島」に参加させていただきました。
今回話し合われた議題は「復興公営住宅のコミュニティ構築の課題とは」です。
皆様は東日本大震災より生(暮らす場所)を失った方達への支援として「復興公営住宅」というものがあるのをご存知でしょうか
地震による家屋の倒壊や津波による家屋の損壊を被った方々が生活を再建するために入居するものです。
福島県では原発事故により避難生活をされる方々も入居の対象となります。
復興公営住宅は福島県内において4890戸が整備予定となっており、現在357個、単純計算で進捗率は7%ほどになります。
今日の集まりでは、既に復興公営住宅へ入居された方々の間で起きている問題を実例を元に発表されました。
キーワードは「コミュニティ」です。
新しく入居した場所にて、公営住宅内及び周辺住民間でも良好なコミュニティが形成されていないことが浮き彫りになりました。
例えば復興住宅と立地地域住民とのいざこざ
住宅内でのコミュニティ形成が出来ず孤立化(相談する相手がいない)中にはアルコール依存症になる方も。
新しくコミュニティを作ることへの壁(同じ地域出身とはいえ知らない者どうし)などがあげられます。
またそれらを改善するために社会福祉協議会の試みやNPO団体の試みでも、解決に至らない現状報告もされました。
私個人は立場としては、この復興公営住宅に入居条件があてはまる人間です。
複雑な思いで拝聴させていただきました。
私の友人、知人でも現在の仮設住宅や借り上げ住宅(みなし仮設と呼ばれるもの)から復興公営住宅への入居を希望する方が多数います。
暗い話だなぁというのが率直な感想です。
転居とは不安と同時に希望に満ちたものが一般的だと思います。
原発事故で避難されている方々や地震津波により避難している方々は、「選択の余地なく」新しい場所で生活されています。
生活の再建も兼ね新たな居住の選択としてある「復興公営住宅」に入ることで想定される問題は辛い現実として立ちはだかります。
冒頭でも書きましたが進捗率が悪いにも関わらず、復興住宅では倍率(基本入居は抽選です)が1を切る場所もあります。
本日話された内容などは、被災された方々から見れば「当たり前に想定出来ること」だということです。
震災から3年8ヶ月を過ぎ、最大の問題は「復興住宅が出来るのがあまりに遅れた」ということがあげられます。
早期に整備されていれば、コミュニティはある程度保たれたと思います。
今日の話し合いの中で、震災前に大熊町にいらした方が大切な発言をされました。
それは「入居するものが地域に溶け込む努力をしなくちゃいけない」です。
これは新しい土地で踏み出す方が自分で立ち上がらなければ、今の社会において関わる方と仲良く暮らすことが難しいことを指しています。
県やNPOの皆さんはそれを後押ししてくれています。
でも上手くいかない
根本的な原因が解決に至っていないからだと思います。
私なりの考察ですが大きく4つに分けられると思います。
1.家屋を失った方々とそうではない方々とで相互理解が足りていない。
津波被害をあわれた方々の生活を理解できない。想像が追いつかない。
2.地震による影響は生活の基盤を失うものではなかった方々でも原発事故により多大な被害を被っている。そうした方々への補償や福祉、支援が不満足なため、原発事故による避難生活をされている方々が「過剰な補償、待遇」を受けていると誤解されている。
3.震災から3年8ヶ月経つというのに進捗率が悪すぎる。
すでに避難生活の長期化により、旧知のコミュニティは崩壊している。
新たな町で既に新しいコミュニティが形成されている。(こちらも捨てがたい大切な関係)
4.復興住宅の場所が「入る人達がどのようなコミュニティで震災前にいたか」が考慮されていない。
友人知人親類まで含めれば同じ町内ではおさまらない。、決められた町の人しか入れない条件では旧知のコミュニティは維持できない。
本日の話し合いではこれらが議論に上がらなかったのが悲しい限りです。
復興住宅に入る条件の一般の方がほとんどいなかったことが、まるで机上の空論のように感じました。
しかし支えてくれる方々が全国に渡り沢山いらっしゃることに大変感謝を覚えたのは事実です。
そして支えてくれる方々が知られていない問題も
復興公営住宅に関する問題には様々な問題が内包されています。
帰り道、福島県内において「復興格差」が大きな問題になっていくのだろうなと自問自答していました。
そして当事者である私達が主体で解決していかないといけないと思いました。
被災された方の思いを真に理解できるのは、悲しいかな被災された方だけです。
以前沖縄における問題解決に取り組む方が「幾度沖縄を訪れても沖縄に住む方の思いを理解するのは困難だ」という言葉を思い出しました。
ある一定程度で理解共有しか出来ないということです。
とても出口が見つからない話になってしまいました。
大切なのは事故解決が難しい状況に陥った方々へのきめ細かいケアをしていくこと。
大事に至る前にケアしていくことが重要ということでしょうか
コミュニティってとても抽象的な言葉ですね。
友達と一緒にいたいっていうシンプルな感情です。
それが実は同じ環境を共有していることが重要だというのが今しみじみと実感するわけです。
そして構築するには長い年月が必要で、0からの出発はとても難しい人間関係が希薄な世の中になってしまったと。
他人のちからを借りないと出来なくなってしまっている。
便利になり、電話やネットで瞬時に人と繋がれる利便を手に入れても、人と人とのつながりって「顔」を突き合わすことや「言葉」を聞き、その声の抑揚や温度を感じることなんですよね。
タブレットでコミュニティって話もありますが根本は違う気がします。
今でも大熊町や双葉町といった原発事故により帰還困難区域に指定された町の方が「帰還」すると言う方がいるのは、そういった部分がとても大切(拠り所)にしているからじゃないかと思います。
個人的には「気持ち」に寄り添って行動したいと思っています。
受け止めないといけないと自分に言い聞かせています。
2014年11月17日
双葉郡広野町にて「ひろのオリーブ村」の皆さんと、新しい植樹に向けた土作りを行いました。
土を作る
新しい感覚でした。
土地の肥料をまく。そんなイメージでいた私にはとても新鮮でした。
農業をされている方からしたら笑われてしまいますが。。。
当然格好だけの私はへたれ腰で作業することに。
20kgほど入る袋を50袋
みんなで汗をかきながら半日の作業です。
来週には、新しい畑に8本のオリーブが植えられます。
少しずつですがオリーブの栽培が進んでいます。
2014年11月17日
HUFFPOSTに初回記事が掲載されました。
HUFFPOSTブロガーとしての活動も始まります。
初回の投稿は、福島県に住む人にとっては当たり前の内容です。
県外の方は有名都市は知っていても、県のどの地域のことかになると意外に知らない方がほとんどです。
また浜通りと言った言葉を使っても「何処の通り?(道路ですか?」となります。
福島原発事故に関わる記事を読まれる方がどの程度の「福島県への知識」があるかは分かりません。
まずは基本情報の積み重ねが必要だと思います。
内容がある記事ではありません。
それでも個人のfacebookよりは遥かに発信力があることは「シェア」「いいね」「ツイート」から伺えます。
福島県内で起きている問題、そしてその問題解決に取り組む方々
現地目線でより多くの方に知っていただけるツールが出来ました。
投稿した記事はログとして残ります。
どんどん記事を投稿していこうと思います。
http://www.huffingtonpost.jp/akihi…/fukushima_b_6167752.html
2014年11月16日
今日はNHK福島のディレクターの方とお会いしました。
取材の申し込みを頂いたのですが、直接会って活動内容をお話させてくださいとのお願いに快くお応えくださいました。
長い時間、震災後の原発作業員の方々と被災地域の方との共生についてお話しました。
被災地の方々は原発作業員の方(震災後働き始めた方)を直接悪く言うことはありません。
でも、仲良くすることがあるかと言うとそれもありません
ある程度の距離感があります。
原発事故への責任は東京電力にあります。ですがその責任をどうしても働く方々にも向けてしまう住民感情というものが存在しています。
私が作業員の方々を支援する理由の一つに共生があげられます。
震災前の双葉町、大熊町等では原発で働くことはなんらデメリットはありませんでした。偏見もありません。
同じ町民として楽しく暮らしていました。
それは長い原発とともに暮らした時間がそうさせたのだと思います。
一つの文化として原発が定着していました。
今のいわき市や広野町では原発で働く人達の割合は人口からしたら微々たるものでした。
原発に依存しているとは決していえない地域です。
そいった町でありかつ原発事故の被災地でもある町に、事故が起きた場所や産業で働く人達を容易に受け入れる「基盤」があるかというと、3年8ヶ月経とうとする今も、取り組みや仕組みとしての構築はありません。
福島第一原発の復興が進まない要因の一つとも言えます。
難しい課題です。
私は解決の糸口は正しく理解することだと思っています。
これは正しく評価するにも繋がります。
福島第一原発の現状解決は誰がやっているのでしょう。
そしてそれは「いち地域の小さな問題」でしょうか?
誰もやりたがらないことに毎日取り組んでいるのは評価に値しませんか?
被災県である福島県民が中心的に解決にのぞんでいます。
今年も多くの高校生が原発産業に就職しました。彼らの思いは「誰もやらないなら自分がやる」といったものです。
福島第一原発で働く方々を守る。
これは将来の福島原発で働く子供達を守るにも繋がっています。
放射能汚染の問題で「子供を守る」と声だかに叫ぶ社会において
福島原発で働くことになるかも知れない現在の子供達の将来を守る話は誰も言いません。
次の世代への礎を今作らないといけないのではないでしょうか
ここで必ずでるのは「それは東京電力が!!」「それは国が!!」です。
違います。
私達も東京電力も国も「みんなで守る」が正しいです。
AFWは皆が手を取り合える「つなぎ」の存在としてありたいと思います。
。
2014年11月10日
上野にて、ザ・ハフィントン・ポスト・ジャパン様にてブロガーを始めるにあたり、ご担当者の方と打ち合わせを行ってきました。
私が想像していたよりもずっと自由度は高いものでした。
ざっくり言えば、好きなタイミングで好きな話題を取り上げて自由に発信してよい、記事を書くにあたり取材が必要な場合、ハフィントンポストとして取材申請書をだして頂ける、です。
ハフィントンポストのブロガーとしての地位を使っての活動も認められています。
現地の実情を取り上げる祭、多くのメディアは福島県で信頼を失っています。
それは現地の方が取り上げて欲しい内容とメディアが伝えたいことが一致していないことが原因です。
そのゆがみは、記事を読まれる方々にとってセンセーショナルな内容がうけが良いということがあげられます。
記事の商業価値が優先されジャーナリズムが置き去りになっています。
福島県の浜通り地方(海に面した自治体)では「当たり前の日常」に戻っていく様が「復興」の位置づけです。
それは当たり前故に事故直後の状態を知らない方々からすると「ありきたりのつまらない情報」にも写ります。
その当たり前に近づくための経緯を知らない時、その変化に伴った地元で働く方々の努力は報われることがありません。
私は福島県沿岸部(浜通り地方)の人達からすれば日常や常識からブログを始めることにしました。
ログ(記録)として記事は履歴が追えるようになっています。
その積み重ねがやがて大きな意味を持つと思います。
福島第一原発第二原発で働く方々の目線
自身や親類も避難区域から避難生活中であることから、被災された方々の目線
両方を発信できるブロガーは私だけだと思っております。
今まで抱えていた現地で前を向き行動されている方々への取材も視野にいれています。
チャレンジしてみます。
現地理解促進、そして復興へ向けて歩みを進める方々への後押し
自分に出きる地域貢献を念頭においたブロガーでありたいと思います。
2014年11月10日
今日はとても嬉しいご連絡が
広野町在住の高校生と新しい試みが出来そうです。
こちらは以前、広野町の学習事業のプレを行ったときにお会いした方からご案内を頂きました。
詳しいことはこれから
始まるかもこれからです
それでも私達AFWに頼って頂けるってことに嬉しさを感じます。
それと同時に若い方々が関わってみたい、一緒にやりたいって思える「大人の取り組み」と「仕組み」が整っていないことに問題を感じます。
その方がやりたいことを応援、支援することから始めます。
この場で皆さんに協力を仰ぐこともあるかもしれません。
何かやりたいって方を応援、支援する
それだって大切な事です
こういった地域の若い方への応援は、復興とか団体の理念とか関係なしに
地域の「大人」として支えるべきだと思います
どんなことをやりたいのかなぁ
今からとても楽しみです
2014年11月10日
公益社団法人 原発行動隊様から福島県浜通り地方のガイド依頼を頂きました。
現在詳細についてつめています。
先月、参議院会館の中で講義させていただきました。
一般非公開としたのは、福島原発で働く方々を救済するといった事で真剣に議論もしたかったからです。
若輩者の私の意見はひどい言葉もあったかと思います。
ですが、こうして現地視察をしたいとのお願いは「共通の問題に取り組む者として手を取り合いましょう」と言ったことへのお返事だと受け取りました。
まずは第一歩目です。
これからは共同して大きな現地改善へと繋げてまいります。
2014年11月8日
福島県双葉郡広野町にて「ひろの秋祭り」が開催されました。
私達AFWは「ひろのオリーブ村さん」のお手伝いをさせていただきました。
「ひろのオリーブ村」さんは、現在300本近いオリーブを町内の公用地を中心に育成しています。
当日はこれまで育てた苗木の販売を通して、町民の方々や町外のお客様へオリーブの取り組みをご紹介しました。
AFWとしては,オリーブを育てる過程で個人が出きる楽しみ「リース作り」をご紹介しました。
復興やオリーブでの6次化を掲げて活動することも大切なことかもしれません。
でも根本的に大切なのは「自分達も取り組んでみたい」という動機付けです。
動機に対して有効的なものは「楽しい」だと思っています。
写真はオリーブでのリース作り体験教室の一こま
始めてしまえば、皆真剣に今日始めて会った人達と会話しながら楽しく作っていました。
若い方も年配の方も一緒に楽しめる
良い企画になったと思います。
オリーブの灰で作った釉薬で焼いた磁器を展示させていただきました。
こちらも「オリーブ」の有効活用でチャレンジ中のものです。
ご紹介していると、とても熱心に聞いてくださるご婦人が
展示のみで販売はしていませんと言うと、どうしても欲しいということで「それではお持ちになった写真を撮らせてください」「値札もありませんから、試みを廻りに伝えてくだされば差し上げます」と伝えました。
「恥ずかしいので旦那呼んできます」との事でお待ちしていると・・・
なんと「アルパインローズ」の西シェフでした
サッカー日本代表専属シェフの奥さまだったわけです
西さんは「オリーブの苗木」も購入してくれました。
まだまだチャレンジ中の「オリーブ釉薬の陶器」は「アルパインローズ」で展示してくださることになりました
これは嬉しいサプライズですね!
当日のお祭りでは「2014MIKANカップ フットサル大会」が行われました。
こちらは広野町小学校に隣接したフットサル場で行われました。
沢山の子供達と親御さん達
女の子も男の子も
終始声援が途絶えることなく、子供達の楽しさが爆発した声が会場には響いていました。
秋晴れの中
楽しい秋祭りに参加させていただいたことに喜びを感じています。
子供も大人もおじいちゃん、おばあちゃんも「みんなが」笑顔になれる「町」へ
これからも「町民の方の目線」を大切に取り組んでいきます
2014年11月6日
双葉郡広野町へ行ってきました。
11月8日に開かれる広野町文化展に「ひろのオリーブ村」の皆さんと一緒に出店します。
AFWの担当は「オリーブで作るリース作り体験教室」です。
飾りつけ「グールガン」というものを使います。
プラスチックを溶かして接着剤として使う銃(ガン)タイプの接着機です。
写真は電源確保のために購入した「コンパクト発電機」です。
お祭りごとはお客さんも楽しめるものがあるとよいですよね!
当初の苗木販売から、「オリーブ陶器の展示」「リース作り体験教室」が加わりました。
盛り上げと「オリーブの栽培認知」に貢献していきます。
今日は「ひろのオリーブ村」の皆さんと当日販売するオリーブの苗木の選定を行いました。
商品化できるほどの実がなっていませんが、実がついたオリーブもあります。
当日のお祭りに向けてあと数日
準備が進んできました。
2014年11月4日
今日は広野町の町民の方と町内の花壇に「パンジー」を植えました。
こちらは広野町役場様から町内企業へ発注されたものです。
町内美化活動とでも言いましょうか
私にお声がかかったのは、町内で作業する方が中々集められない実情があります。
何回か経験させて頂いてますが、「日雇い」で働いています。
今度花を植えるから手伝ってくれないか
これが私にとってはとても嬉しいご依頼です。
私は元々浪江町に住んでいました。
原発事故で被災された地域の復興と原発で働く方々への支援をするため現在は広野町で活動しています。
元々の職業(東京電力社員であったこと)そして他町民である私が些細なこととは言え必要とされることに喜びを感じます。
明日以降、双葉郡広野町で6号線沿いに植えられたパンジーが双葉郡で日常を営む方々にとって少しでも癒しになればと思います。
時に作業服、時にスーツ、時に私服での活動と
毎日が忙しくいられる事が前進していることを実感させてくれます。
明日は広野町でオリーブ栽培のお手伝い
そして午後からJヴィレッジにて福島第一原発で働く方々への新しい企画についてのご相談
気が付けば、団体を作ってちょうど一年が過ぎました。
あっという間の一年でした。
農業スキルと対人スキルはとてもあがったと思います。
楽しみながら邁進していきます!
2014年11月4日
今日は広野町の町民の方と町内の花壇に「パンジー」を植えました。
こちらは広野町役場様から町内企業へ発注されたものです。
町内美化活動とでも言いましょうか
私にお声がかかったのは、町内で作業する方が中々集められない実情があります。
何回か経験させて頂いてますが、「日雇い」で働いています。
今度花を植えるから手伝ってくれないか
これが私にとってはとても嬉しいご依頼です。
私は元々浪江町に住んでいました。
原発事故で被災された地域の復興と原発で働く方々への支援をするため現在は広野町で活動しています。
元々の職業(東京電力社員であったこと)そして他町民である私が些細なこととは言え必要とされることに喜びを感じます。
明日以降、双葉郡広野町で6号線沿いに植えられたパンジーが双葉郡で日常を営む方々にとって少しでも癒しになればと思います。
時に作業服、時にスーツ、時に私服での活動と
毎日が忙しくいられる事が前進していることを実感させてくれます。
明日は広野町でオリーブ栽培のお手伝い
そして午後からJヴィレッジにて福島第一原発で働く方々への新しい企画についてのご相談
気が付けば、団体を作ってちょうど一年が過ぎました。
あっという間の一年でした。
農業スキルと対人スキルはとてもあがったと思います。
楽しみながら邁進していきます!