活動レポート
2013年10月
2013年10月30日
以前一緒に作業をさせて頂いていた方にお会いしました。
今日はたまたま、以前一緒に原発で作業をしていた企業の方に会いました。
平たく言えば原発作業員の方です。
その方は震災後、原発企業を辞められました。
今はいわき市でまったく違う異業種の仕事をされています。
実はこういった方は他にも知っています。
原発企業を辞めたら、どこへ行くのか?
他県へ行かれる方もいます。それは家族が他県に避難しているから。
多くは福島県内で別の仕事をしているのです。
原発ジプシーという言葉があります。あれは半分当たりで半分外れのお話。
作業員の総量に比べれば、少数派にあたります。
なぜか?通常原発で働く作業員の方々のお仕事のメインは、定例点検と呼ばれる原子炉を止めなくても作業できる点検業務がメインなんです。
時にそれが修理なら定例修理とよばれ、その他に定期的に取替と呼ばれる大型工事の仕事があります。
年がら年中仕事がありますから、当然原発立地町村に土着した人間達になります。私風に言うと町の方々なんです。ですから多くはジプシーなんて呼ばれる筋合いすらありません。
でもジプシーと呼ばれてしまう方々がいます。その方々は定期検査と呼ばれる法令で定められて期間で原子炉を停止した時に集められる作業員の方々です。
年1回しかありません。しかもその方々は定期検査時にだけ入る大手企業の作業員の方々です。当然、遠方からそれだけの為に集められる分けですからジプシーと揶揄される分けです。
だから半分当たりで半分外れ
そこで、言いたいのがどちらも原発作業を行うプロの作業員集団です。
でも前者の土着していた作業員の方々は福島原発のプロが付加されているのです。
福島原発で言えばプロ中のプロって分けです。
言わずとも、プロ中のプロが被災者でもあります。
冒頭の方々、ある意味国家の損失だと思いませんか?
被災者であること、原発作業員への支援がないこと、複雑な思いで辞められて
実はどっかへ行ったわけではなく、結構近いところで別の仕事をしているのです。
福島原発の被災者を守ること、福島原発作業員を支援すること
この大切さ、伝わるでしょうか?
こういった事は、現地で働いていたからこそ分かること。
本やネットでいくら福島原発に詳しくなろうが見えてはきません。
原発作業員って言葉の中には、大変複雑多数の作業員の方がいます。
それぞれの状況に応じた支援をしなければ、解決されていかないと思います。
2013年10月28日
作業員の問題が記事になっています。
ロイターの友人から連絡がきました。
原発作業員の問題について強く関心があり、かつ作業員を守る重要性をよく理解している人間です。
今回は福島第一原発の建設系企業のピラミッドの中の作業員の方々の問題をクローズアップしたものです。
反社会勢力がよく関わっていると言われる作業員の問題
結構掘り下げて取材しているのが分かりますのでご一読を
ただ注意点が一点、あります。
この記事の作業員のお話は主に震災後に入ってきた作業員のお話。
現地の作業員達が全員こういったイメージでとってはいけません。
震災前から働く作業員達の多くは、現地に土着した人達。
現在強制避難させられている人達が殆どです。
彼らは原発作業の安全知識も技術も高く、そして人としても立派な方が多いです。
何千人も入る作業員を扱う会社には悪いところもある。
その会社で働く作業員達が不遇である。
原発作業員というくくりの中では一緒の人達、当然社会的に守る必要がある。
そういった認識で読んで頂きたいと思います。
記事はこちらです。
2013年10月28日
冬が来ます。
大分寒くなりましたね。
こちらでは、朝と夕の冷え込みは強く、秋はどこへ行ったのか、もう冬を感じさせる気温になっています。
夏が終われば、今度は冬の寒さが原発の作業を阻みます。
現在も福島第一の現場の方では、暖房なんてありません。
気温が下がれば、下がるほど作業が困難になります。
通常であればジャンバーをはおる事も出来るでしょうが、そうはいきません。
なぜか着ている服が汚染してしまうからです。
その汚染防止の為に防護服を着ます。
あれは紙製です。使い捨ての服だと思っていただければと思います。
当然、防寒機能もありません。
ゆったりと作られてはいますが、その中に厚手のジャンパー等は着る余裕はありません。
通常、ヒートテックといったインナーとスエット、そして作業服でしのぐしかありません。
外仕事をされている方なら、こんな格好で作業する辛さはよく分かると思います。
たまにお年をめした方が、放射線作業を若い人にやらせる分けにはいかないと
ボランティア精神で申し出てくれますが
私は、はっきりと反対しています。
体力的にかなり大変な現場だからです。
来て頂いても、万が一があればそれで作業が止まりますし。
放射線による過酷さがよく言われますが、単純に寒さで過酷な季節になってきます。
これから過酷な冬が来る。
皆さん知っておいてください。
2013年10月26日
byus(バイアス)さんに投稿しました。
byus(バイアス)というQ&A型ニュースメディアをつくっているbyus&co.株式会社の室橋祐貴さんからご依頼があり、福島原発の現地の問題について回答いたしました。
質問に対して、大分長い回答を書いてしまいましたが、とても重要なことを伝えています。
皆さん、ご一読をお願いします。
2013年10月26日
汚染水タンクについて。
連日の雨降りに加えて、台風の影響により、汚染水タンクを囲む堰の中には雨水が溜まり排水が間に合わずトラブルが続いています。
これについて、私は以前から建屋で覆う、若しくは堰のかさ上げを行うといった処置が必要だと言ってきました。
現状を更に調べた結果、それらが大変難しい問題であると分かりました。
まず、建屋で覆うといった抜本的解決案
これは大変難しいそうです。理由はタンク群を全て収めるほどの建屋となると、大変大掛かりになります。それを建てられるほどの強度を持った地盤になっていません。砂利の上にコンクリートをひいた状態の基礎では建屋は建てることが出来ず、基礎からやり直しする必要があります。
簡易的な建屋を作ると台風に耐えられる強度が得られず、倒壊した場合タンクを損傷する恐れもあります。
また、建屋を作る重機が入るスペースもありません。
建屋で覆うといった事が私の想像よりも、はるかに困難である事が分かりました。
堰のかさ上げですが、これも問題があります。
堰でかさ上げする=雨水をかさ上げした分貯めることになります。
基準値を下回れば、排出出来ますが、基準値をオーバーした場合はどうなるか、これはタービン建屋の汚染水に入れることになります。
つまり現状でも汚染水タンクは十分に足りていないのに、結果雨水を汚染水タンクにいれる事になるのです。
増え続ける汚染水(これは地下水によるものですが)を更に増やすことになるからです。
また、問題の汚染水タンクはレベル計がついていないので、現在は目視での漏れ確認を行っています。堰の中に貯めて置くことは、目視での確認を困難にしてしまいます。
新しく建てる溶接型タンクは雨水対策も行います。それが完成するまでは現状は堰に貯めて、測ったのち排出する又はタービン建屋に戻す、
それを人力で雨に晒され、作業員の方々が行うことになります。
暫くは、続くトラブルになりそうです。
2013年10月26日
朝まで生テレビを見て。
朝まで生テレビを見ていました。
事前に福島原発について討論する事を知っていたからです。
場合によっては、電話しようと思っていた次第です。
今回のは事前収録によるものでした。想像に荒れることを想定しての対処だったのでしょう。
内容は荒れて当然の内容でした。
結構赤裸々にタブー視された内容に踏み込んではいるかな
しかし、いずれも福島原発の実情を知らない、半可通と感じてしまう
ところはありましたが。
パネラーの方で福島出身の方と、大熊町出身の方の言葉が一番的を得てはいました。
一度福島に来て、住んでみなと分からないといったものです。
東京電力の在り方を議論することより、現実の今の問題について合理的に解決に進めていくことを現地の人間は求めています。
恰好よく、さも知り尽くしているが如く、知識者と言われる人達が喋っている姿は、大熊町の方も言っていましたが、現地を知る人間としては「腹ただしい」と思ってしまいます。
かるく流されていましたが、大熊町の方が「作業員の方、東京電力社員の方が毎日現場で頑張ってくれている」「自分の仮設住宅の知り合いが何人も働いている」「いつも心配している」と言われていました。
これって大切な感情です。こんな事を言わせてしまうほど、何も現地には国も世間も支援が伝わっていないよい証拠です。
今日の放送で、現地で働く人達が報われない報道の在り方が問題視されていました。
気づく人は気づいています。
ただただ叩く時代は過ぎているのだと実感した内容でした。
オファーがくれば次は参加者として出てみたいです。
もっとね、実情は大変な事になっていますから。
総論は、世間に関心を持ってもらうには良い機会でした。
でも現地の改善に繋がる内容ではありませんでした。
2013年10月26日
一時立ち入りに行ってきました。
久しぶりに浪江町に一時立ち入りに行ってきました。
以前お会いした方が、現地を見てみたいと言われ、私も暫く帰っていないのでガイドを兼ねてです。
事前に役場で立ち入り許可書を作っておいたので、大分すんなりいきました。
その申請書を貰ってしまえば、特に後は手続きがありません。
検問所で身分証明書を見せる程度です。
いわき市側(南側)から向いました。浪江町に行くには大熊町、双葉町といった警戒区域を通っていきます。福島第一も目視できる距離までは近づくことになります。
でもマスクも防護服もありません。身に着ける義務がないのです。
長時間滞在するわけではないので、瞬間的に浴びる線量が低いということです。
それと今では、通れる所、入れる場所が限定され、私の場合浪江町のアパートが目的地ですから、それまでは車を停めて降りることも、他の地域に出はいりすることも認められていません。
いわき市から浪江町まで、通ったのは国道6号線のみです。
その支流となる横道は全てバリケードが張られていました。
以前はなかったので、懐かしい気持ちから大熊町や双葉町の中も散策出来たのですが、今はそうも行きません。
ただ漫然と走る。私はいわき市の南の外れに住んでいますが、浪江町のアパートまで2時間30分かかりました。
同じ県内、浜通りとは言えども、さすがに遠いと感じずにはいられません。
久しぶりについた、我が家は駐車場の周りがジャングル化していました。
部屋の中は、カビくさく時が止まっています。
玄関で靴を脱ぐことはありません。空いていた窓でどうせ汚染しているし
細かい掃除が終わっていないので、ガラスや陶器の破片を踏む恐れがあるから。
平日の一時立ち入りは人も少なく、私がいった時間は2時頃だったので
4時までには警戒区域を出なくてはいけない事情もあり、町には人はいませんでした。
もうあまり来る事はないでしょう。部屋に置いてある何気ない物が、一つ一つ思いでの品で、持って帰りたくても今のアパートに置く場所がありません。
帰るたびに、帰ってもどうしようという気持ちが湧いてきます。
離れた時間の長さがそう思わせるのか・・・
家から5分と走らず、福島第一の煙突(排気筒)が見えます。
こんな近くがあるんだよなと・・・
一緒に行った方は、終始見慣れる風景と見えぬ放射能からくる不安から
表現し難い顔をされていました。
原発事故だけじゃなくて、地震と津波の被害も大きかったのですね。と言われた時に、戻っても純粋な震災からの復興も待っていると気づき
なお、簡単に帰るという選択が難しい現実を再認識しました。
未だに帰れないとは言われないことが、本当に希望を与えている分けではないんですよね。
ただただ「生かされている」のかもしれません。
2013年10月26日
福島第二原発に行ってきました。
先日、福島第二原発に入り所長と懇談してきました。
会社を辞めた人間ですから会うのは至難です。
1年以上現地を応援する活動をしてきた事、そして元福島第二原発の東電社員であった事をつげ、正式なルートでアポイントを取って行いました。
ご挨拶がメインではありません。現状の福島原発で働く人達を守る為に必要な事をお伝えする為です。
福島第一の廃炉作業を進めていく上で一番大切なのは、そこで働く人達が安心して長く働いていける環境の整備です。
最近ではようやく社会的にも、福島第一で起きているトラブルが、そこで働く人達の士気が大きく関係していると報じられるようになりました。
しかし、なぜ士気が保てないかまでは言及されていません。
それは現地の実態(浜通りの経済性、地域性、雇用状況、仕事量とそれを行う企業との関係性、発注方法、etc)を知らないからです。
企業のトップ、発電所では所長になります。そういった権限のある人間に本当の実情を伝える事が大切だと私は思っています。
それは、結局のところ現地を改善出来るのは、東京電力しかいないからです。
外の世界で何を訴えようが、実際に行う力を持った人間に働きかけなければ、いつまでも変わらないのです。
作業員を守る、大きな一つの言葉です。
沢山の意味があります。労働環境、通勤環境、健康管理、居住環境、賃金の確保・・・・・
私が特に訴えてきたのは、原発で働く人達に仕事を与えることです。
皆さんは、福島第一の作業が原発作業員の生活を守れるほどの仕事量があると思っています。
大きな間違いです。震災前後で比べれば現在の仕事量は震災前の3割ほどしかありません。
福島第一で行っている作業の大部分は、震災後新に入所した大手ゼネコン企業が行っています。
作業員の方々が辞めていく大きな理由は、仕事がないからです。
ここで言う作業員とは長年福島原発で働く作業員の方々です。
それと入れ替わる形でゼネコンにぶら下がる企業の作業員が増え、一般産業の作業員が人手不足で入ってきています。
総じて技術力や原発で働く知識(主に放射能を扱うということ)が低い作業員の割合が増え、結果ヒューマンエラーを起こすといった事になっています。
現地東京電力社員でも、正しく作業員の雇用について理解している人間は少ないです。こればっかりは作業員の方々と地道にコミュニケーションをとり、知ろうとしないと養なわれません。
それが役職付きの人間ともなると、言葉悪いですが下の実情など見えてはこないのです。
私は作業員の方々の通勤環境や居住環境の改善を行うことを目標に活動していましたが、それは彼らの我慢でいかようともなる問題です。
作業員の方々のお話しを聞けば聞くほど、仕事が無い事が一番の問題であり、そして絶対に自分では改善できる物ではないと分かりました。
どれほどの効果があるかは分かりません。しかし、東京電力が経営重視を福島原発に持ち込み過ぎた結果が、自分達の首を絞めているということは伝わったと思います。
また、それを伝えた人間が現地を知った元社員であるというのが、その問題の信憑性と大きさとして伝わって欲しいとも思っています。
2013年10月19日
ふたばワールド2013に行ってきました。
ふたばワールド2013に行ってきました。
懐かしい面々に会いたい思いと、14年ぶりに行われるという8町村合同のお祭りがどんな物かといったワクワク感を抱えて・・・
印象的だったのが、あちらこちらで再会を喜びあう光景です。
このお祭りの本質は原発事故から立ちあがっていく町の姿を観てもらうことよりも、各避難場所からシャトルバスを飛ばし、途絶えてしまった人の交流をよみがえらせるものでした。
開場に訪れた何千人というお客さんが、ほとんど原発事故で被災した方々だという現実が、楽しいお祭りのはずがなんともやりきれない気持ちになりました。
震災前だと、町のちょっとしたお祭りでも東電社員や作業員の方々に、ひっきりなしに会うものが、今日は殆ど知り合いに会えなかったのが、やっぱりそういったイベントには参加しずらいのかなと思いました。
でも、同じ町の人間同士がいがみ合うのは、とても心が苦しいです。
あえて顔を合わせて、厳しいことは当然言われますが、正直に向き合う事で見えてくるものがあります。それは原発事故により避難生活を送る人達のこころです。
これって自分の心の負担も大変です。でもその一歩がないと何時までも壊れた関係のまま進むことになるのだと思います。
私も旧知の人達に会いましたが、大変厳しい事を言われました。ぐぅの音も出ません。しかし、それに今どう自分が出来る事で向き合っているかをお話させて頂くと完全に氷は解けませんが、話し合うことが出来ます。
そこでやっと本音を言ってくれて何を解決していけばいいかが見えてきます。
今日は土曜日です。会場に行く間、広野町を散策しましたが人の気配を殆ど感じませんでした。
この異様さを放っておく社会にぞっとしました。
広野町の出店ブースがあり、お話させて頂きましたが、民間からどうにか町を復興させようとしているお話を聞きました。
県外や県内でも遠方の町は震災の爪跡も感じられることはありません。
震災前の時のような本来の町に戻っています。
多くの方は現在の警戒区域だけが散々たるありさまだと思っていますが
それに隣接する町は今も大変な傷を負った状態です。
私と会っただけで涙を流してくれた方がいました。
懐かしさだけではないでしょう。
2年半も過ぎても変わらない過酷な状況の中、もがくしかない現状への
複雑な思いがあったからだと思います。
その方は社員ではありません。一緒に仕事をしていた企業の方です。
いがみ合う関係で終わらせたくないほど、一緒に汗を流した思い。
人前ではばからず、泣いている姿に嬉しくもあり、こんな涙を流させてしまう
社会を変えなくてはいけないと思いました。
2013年10月19日
前進した一日。
今日は凄く前進した気がします。
まずは、appreciate fukushima workers として口座が作れた事です。活動を続けていく為、寄付を募ったり、また、みんなの力を集めて現地に大きな支援も出来るようになります
そして、双葉町役場では凄く建設的なお話が出来たこと
沢山のお悩みをお聞きしました。私の元東京電力社員だからこそ、活かせる知識があります。設備的な事は勿論のこと働く人達をどう守るか
現地で働く人達を守る重要性について、当初30分のはずが1時間30分を超える時間お話し出来た事は、役場としてもその重要性についてご理解して頂けたものと感じました。
来週、双葉町役場として現地へ激励に行かれるそうです。
私が思っていた以上に現地で働く人達に感謝していました、
私のお話しを聞いて、尚更激励して来なくてはいけないと
仰られていたのは、私も元社員として、熱い思いを感じた次第です。
今までは、吉川個人が世に訴えてきた事が、行政と一緒に行える事は全然力が違います。これは東京電力と国とへ正しい流れで改善要求出来ることを指します。
こんなにすんなりいったのも、10年双葉町で過ごした人間関係があったからです。
最後は町の思い出を語り合いました。
なんて表現したらよいか
とても和やかなムードでした。
協力し合い、現実の問題に立ち向かう
大きな一歩となりました。
明日は、ふたばワールド2013に行きます。
広野町でやります。
きっと懐かしい人達が沢山いるわけで、そして悩みもあるはず
沢山の表沙汰にならない問題を知り、それに今の自分が何が出来るか
楽しみ半分、勉強半分で行ってきます。
2013年10月17日
双葉町役場に行きます。
明日は双葉町役場に行きます。
現町長さんにお会いする為です。
以前から面会を申し込んでいた結果、お会いすることが出来るようになりました。
実は知り合いではあるんです。しかし何年も会っていません。
私は浪江町から避難していますが、双葉町には10年住んでいました。
とても土着していたので町の方とも大変仲良くさせて頂いていました。
現町長さんと知り合ったのも、仕事ではなく町の運動会でのこと
こう見えて、毎年地区のリレーアンカーやっていたんですよ。
小学生から大人までバトンを繋ぎ、運動会の最後を飾るイベント
毎年アンカーは馴染みの顔ぶれで、和気あいあいとしながら本気で走っていたのが懐かしいです。
ちょっと脱線しました。
目的は2つです。
1つは、元東京電力社員の知識が町で活かせないかという事
双葉町役場の方も「福島第一原発の監視」という業務を行っています。
それは本来の役場の業務ではありません。大変な負担と責任が役場の方にかかっています。その部分で協力できないかなと。
2つ目は、私は一時茨城県で瓦屋さんと仲良くさせて頂いていました。
茨城県も震災で多くの家屋が被災し、今も屋根にブルーシートが掛けられた家屋もあります。原発事故の面を抜くと双葉町の気持ちは良く理解してくれています。帰れないかもしれない土地だとしても、今も震災当日同様の家屋のあり様に心を痛めてくれています。そこで茨城県の業者ではありますが、双葉町の保全に寄与できるというのをお伝えすることです。
明日で結果が出るとは思いませんが、私が東電を辞めていて、そして自分の故郷ではなくてもお世話になった場所に恩返しできる状態であることは確実に伝えてこようと思っています。
まずは行動ですね。
明日も頑張ります。
2013年10月17日
TVの企画を練ってきました。
今日は日帰りで上野に行ってきました。
とあるTV局の方と番組の企画をお話する為です。
TV番組(特にニュースでは)限られた時間でしか放送できないところもあり
情報が限定的で根本原因に触れることは難しいです。
それがかえって視聴者への誤解や推測を生んでしまいます。
原発事故はその被害の大きさや秘匿性から尚更観る側が最初からうがった見方になっている状況ですから、大変に慎重に本来報道しなければいけません。
今日お会いした方は、私との交流の中で現在起きている問題の背景こそ問題にすべきだと分かってくれた方です。
その背景問題が、原発への無関心からくる原発差別や現地への無支援であり
現在の社会構造の悪さ加減であるという観点で考えなければいけません。
久しぶりに手応えがある、話し合いになりました。
今後さらに企画を練っていくものになります。
如何に原発に関心を持ってもらうか
そして正しく理解してもらうか
がキーポイントとなりそうです。
悪者を作りあげることよりも
何が問題かを掘り下げ、民間レベルでも改善できることをやっていく
こういった思想を広げていくことで希望ある未来が開けるのかなと
2013年10月17日
ガーディアンの記事に関して。
イギリス、ガーディアンの新聞に私の記事が載っています。
これは前回取材を受けての物になります。
facebookのメッセージで教えてもらいました。
全文英語ですが、私の発言の所はTepco has always wanted to do its own thing. It doesn't want the government stepping in and telling it what to do; it just wants the government's money.
東電はいつも自分のやり方を通したがった。政府が入ってきていろいろと指図をするのを嫌がっている。東電が欲しいのは政府のお金だけなのだ。
They felt l
like they were being bullied, even though they were putting their lives at risk.
作業員たちは、自分の命を危険にさらしながら仕事をしているのに、苛められてばかりだと感じるようになってしまったのです。
2時間近く取材に応じて、作業員の問題や東電の体質にある問題をお話しました。
私の発言以外の所に取材の結果がでているようです。
東電はいつも自分のやり方を通したがった
これは事実ではありません。
政府が入ってきていろいろと指図をするのを嫌がっている。東電が欲しいのは政府のお金だけなのだ。
これも事実に反します。正しくは現状を理解していない指摘が問題だという事
それに政府のお金だけではなく技術協力と責任の分担です。
協働で福島原発を解決してほしいのです。
作業員のは表現が上手くありませんが、いじめられているのではなく
世間からの無支援になげいているのです。
最近では関心すら持ってもらえないのですから。
せっかく私の存在が広がり、それによって現地の作業員の方々の改善につながると思ったから取材に応じたのに
これでは迷惑かけただけです
それでも原発の事に感心を持ってもらうことには貢献できたでしょうし
中身として作業員の待遇にはふれています。
問題は私の発言部分が問題だということです。
2013年10月13日
ヒューマンエラーについて。
長くなりますが、是非最後までお読みください。
福島第一原発の止まらないヒューマンエラーを起因とするトラブル
どの報道を見ても「東電の危機管理能力が問われる」という〆かた・・
こういった報道しか流れないのは現地への切り込みが足りない良い証拠です。
問題の本質が見えてない なのにどんどん想像の域で報道をすることは
それを見た国民がそれが実情だと勘違いしてしまい、はてはそれが真実扱いされてしまいます。
士気の低下は原因の一つでしかありません。原因は複数存在します。
それぞれが複合し結果、トラブルに通じるという事を分かって頂きたいと思います。
士気の低下は何が起因となっているか
1.社会と現場での認識のずれです。過酷さがいまいち一般の方に伝わらない。
高レベル放射能を扱う不安、作業環境の過酷さ(夏場の暑さと冬の寒さ)
マスクを着用することで体力的つらさ
2.社会的に評価されない職場
解決する問題に対して報酬と評価が低い
報酬とは単純には給与、広義的に言えばあらゆる福利
評価は賛美されることも稀、応援の手紙すら今では届かない、作業員に見え
る形で伝わっていない。
3.体力及び精神面の疲れ
毎日の長時間通勤と作業自体により体力的な疲れが続く
先の見えない廃炉の状況は現状が改善されない事を指す
作業員には被災者も多い。被災者生活と作業員の二重苦になっている。
危険手当のピンはねも横行し、賃金が低いことも精神的苦痛になっている。
共通するものだけでも、士気の低下になる要因はこれだけあります。
個人事には、更に増えるでしょう。
士気の低下だけが原因ではないので、列挙します。
まず現場の管理能力について
これをお話する時に重要な問題があります。それは原発の現場管理とはどういったものかという事。
本来の施工不良による責任は作業を請け負った企業側にあります。
えっ東電じゃないの?と思う人が多いと思います。
分かり易くいうと、皆さんが家を建てる時ハウスメーカに頼みますよね。
その時、家を建てている段階で事故が合った場合、皆さんに責任はありません。
これは納得できますね。こういった関係を発注者と請け負い者といいます。
原発労働も同じです。
東京電力は発注者であり、皆さんが下請けと呼ぶ方々は正しくは請負会社です。
皆さんが一次下請けと呼ぶのは「元請け会社」といいその元請け会社の下にぶら下がるのが「一次下請け会社」となります。
ハウスメーカーが元請け、大工さん、壁屋さん、屋根屋さん、設備屋さんが下請けとなります。
よって本来正さなくてはならないのは、元請け会社の危機管理能力になります。
こう書くと、じゃ東京電力に責任はないのか?といった事になります。
当然あります。それはやっぱり原子力というのは特別な産業で発注の段階で
元請け企業が安全に作業できるように配慮した発注をするということ。
そして作業現場が自分達の設備ですから、協力して安全管理をするという事です。
作業前には、作業手順書、要領書という物を企業側に提出してもらいます。
言わばお約束ですね。こういった手順でやりますといった物に東京電力社員は
社員だから分かる問題を指摘する事が求められます。
震災前は決まった仕事を熟練の企業が行いますから、基本的に指摘することは殆どありません。それは似た仕事を同一の企業に長年作業して頂いた事で過去のトラブルで得た知見が反映されているからです。
これが上手くいかないと、承認された手順によっては間違いを起こすことがあります。
震災後に新たに入った大手ゼネコンなどは一からの作りですから、既存の熟練企業とは違った物が提出されているはずです。
なんせ放射能を扱う作業自体にも大変不慣れなはずですから。
また、私もそうですが現場の実情を覚えるには時間がかかりました。何度も現場に足を運び、作業員と話をし、少しずつ培っていくというもの。14年仕事をしていましたが分からない作業も沢山ありました。それほど現場で覚えることは多いのです。作業員の方々に教えてもらう事は絶えませんでした。
つまり東電社員は現場の事については、作業員の方と雲泥の差があるという事です。
しかし、作業してもらう設備の知識はあります。いかに安全に設備を止めるか。
これは逆に作業員の方は分かりません。
作業の為には、設備を止めるこれが大前提です。広大な設備は複雑に絡み合い、ちょっとした作業でも時には設備を大きく止めなければなりません。
それを行える知識を有するのが社員となります。
あくまで補足するのが社員のお仕事です。
皆さんが想像している安全管理とは現場の現場監督のイメージだと思います。
現場監督は元請け企業の方が行います。作業が複数に及びますから通常は作業班長さんとなります。複数現場を統括する現場監督と班ごとに班長が現場の安全管理を行います。
東京電力社員はその監督もしくは班長が安全管理をしっかりやっているかを
見張るというのが実情です。
この見張るというのが東電社員の現場管理です。
ですから現場のトラブルについては、現場請負企業と東電社員の両方に責任があるというのが正しい見方です。
現場の管理が上手くいっていない原因は
元請け企業側では、作業に適した手順書、要領書が作れていない。もしくは作れていても守らない作業員達になっている。
現場監督者の管理が行き届いていない。
東京電力側では、作業に適した手順書、要領書になっていない事が見抜けない。見抜けない社員達が増えている。
という事が考えられます。
それと私が東京電力側に強く言いたいのが作業員が安全に作業できる環境を作っているのか?という事です。
これを原発では「アイソレ」と言います。「アイソレーション」の略です。
?マークが出ますよね。これは日本語にすると「隔離」と言っています。
原発で使う特殊用語ですが、皆さんに分かり易く表現すると「作業員が作業を行うのに安全な状態を作りあげる」というものです。
簡単な例で言えば、電源設備を扱う場合、作業の為に電源を落とす、つまり関電防止です。
汚染水タンクのホースの件で言えば、ホースを付け替える=水が漏れる、想像がつきますよね。そういった場合、先に水を抜いておくか、弁を閉める事で隔離する。このアイソレは水漏れ防止と作業員が濡れて被ばくすることを防ぐ目的で行います。
東電社員の現場での安全について100%責任があるのは、このアイソレの部分になります。作業本体への責任は前述したように請負企業側です。
現場管理をしていた私の考えでは、段取り8分、アイソレがしっかりしていれば
後は現場作業のプロ(請負企業)に任せるといったものです。
それほど、アイソレが完璧なら基本的にトラブルは起きません。
防ぎようのないヒューマンエラー(猿も木から落ちる的なもの)を除きますが
このアイソレが出来る社員はやっぱり現場を熟知した人が多いです。あらゆる方向性から作業員が危険にならないかを考えるからです。経験が物を言います。
原発社員を守らなくちゃいけないってことは実はこの部分を重視しています。
熟練者が辞め、若い世代も辞めてしまう。
この部分は根気よく人を育てていくしか改善の方法がないからです。
ここは東京電力側できちんと対処しなければいけないでしょう。
長くなりますが、もう少しお付き合いください。
では、現場の作業員側の問題の原因はというと
以前から何度もお伝えしていますが、作業員の質の低下です。
低下には二つあります。
一つは作業技術と知識、もう一つはモラルです。
これらが低い作業員の割合が増えすぎているのです。
震災後、作業員の移り変わりは酷いものです。
熟練の作業員は元々現地の方が圧倒的に多い状況でした。それが被災者になったこともあり、震災後の原発作業をプライベートの問題も含みで続けられなくなり辞めてしまいました。
その穴を埋める形で全国から原発未経験者が送りこまれています。
全国から集められる作業員達が皆悪い分けでは決してありません。しかし福島原発の状況は報道でも伝わる通り過酷なものです。放射能不安も大きいでしょう。結果、全国から集められた人達の中で、原発作業を本来行うには適さない人材が多いのが現状です。
では、この問題はどうして起きてしまうのか
一つは熟練の作業員を守る構造がないことが挙げられます。
熟練の作業員達の多くは原発被災者です。被災者の支援が足りていません。
例で言えば、居住の問題すら解決されていないのです。
また、働く場所がないのです。現在の福島原発の廃炉作業の多くは大手ゼネコンの作業になります。仕事がなければ他に求めるしかありません。
しかし、全国の原発が停止している今、逃げ場がないのが実情です。結果他産業への転職をするしか生活を守る方法がありません。
賃金の問題もあります。故郷を奪われた彼らの心情からすれば、震災前まで耐えられた賃金では割に合いません。それは震災前からさほど賃金の高い職場でなかったことが挙げられます。
辞めるには十分な環境が整ってしまっているのです。
同様に全国から集められた作業員へのケアが足りていないのも問題にしなければいけません。
正直な気持ちは、原発に来てくれるだけありがたいのです。
どんな作業員も最初は未熟です。定着することでいずれ熟練者になります。
賃金のピンはねもなくさないといけない。
震災後に集まった人達なので住む場所がない。居住環境を作ってあげないといけない。
放射能を扱う、原発という特殊な分野の作業を教える場所が必要。
長期に働いていける線量的な問題の解決と仕事量の発注
福島原発で安心して働いていける、長く働いていける環境を整備することが求められています。
文章として長くなりましたが、続くヒューマンエラーの原因が決して士気だけの問題ではなく、複雑なものであるという事は伝わったと思います。
一つ改善すれば収まるようなものではありません。
どれも大切な問題で、かつ解決するには東京電力、国、原発関連企業だけでは難しいのです。
私達民間も原発で働く人達を支えていく社会を作っていかなくては問題があります。
本質を改善していかなければ、永遠と続くことになります。
2013年10月12日
福島除染プラザに行ってきました。
フリーライターの人と一緒に行動していました。
よりよい記事の作成の為、つてを繋いで原発に関わる人達に会ってきました。
いわき市での会食の後は福島市へ
福島県の広さを改めて感じたしだいです。
例えば、いわき市から福島市へいくには片道100kmは走ります。
他県へいく感じですね。
福島市では除染の実情と原発事故当時の話を聞いてきました。
自分も知らない事が沢山あり大変勉強になりました。
それと当たり前のように、福島市では環境省の制服を着た方が歩いているし
私の元の職場、東京電力の人間も多いです。
そして飲食店では元双葉地方の方で、震災後福島市で再開されている人も多いです。
感じたのが、原発立地地域の町の環境が縮図されて福島市に溶け込んでいるなと
福島原発の復旧だけが東京電力の仕事ではありません。
補償や除染にも、多くの社員が駆り出されている現状を見てきました。
そこには、原発で一緒に働いていた東電子会社の方も沢山います。
福島市福島駅から徒歩数分の場所に「除染プラザ」という場所があります。
誰でも入れます。除染の方法や進み具合など展示物を通して分かり易いものとなっていました。
旧知の知り合いがいたので顔を出したのですが、再会の懐かしさもありながら
2時間ほど除染のお話を聞かせて頂きました。
沢山の資料も無料で頂けます。
是非多くの方に活用して頂きたいと思います。
本当に丁寧に親切に教えてもらえます。
ここの運営は「環境省」です。しかしそこで働いているのは双葉郡の方も多く
被災者の方です。
とても親身になって頂けます。
環境省という名前で毛嫌いせず、行ってみる価値はあります。
お金もかかりません。実際の測定装置にも触れます。
私が行った時には、環境省の政務官が視察に来ていました。
あまり一般の方に使われていない実情が伝わっていたようです。
今では日に20人ほどしか来られないそうです。
それにしてはもったいない設備だと思います。
除染の事も知れる場所がある。専門家もいる。
活用もしないで、あれこれ言うのもおかしなものです。
出張の説明も応じてくれるそうです。
どうぞ参考に
2013年10月10日
原発作業員の方とお話しをしてきました。
今日はいわき市で福島原発で働き続けている方とお食事をしました。
現地の働く人達の実情を聞かせて頂くためです。
元々知り合いの方だったので、近況報告も兼ねてですが。
実感するのが作業員の移り変わりです。
人集めに大変苦慮されています。
私が何度も取り上げるように、元々いた原発経験の長い作業員の方々は続々と辞めていっています。
その穴を埋めるために入る人材は原発作業経験のない方々です。
言うまでもなく、放射性廃棄物を扱う作業の不慣れにより現場を任せられるような人達の割合が増えています。
それが私が思っていたよりも現在は加速しているそうです。
例として頂いたのが、5人の作業員がいて、それぞれ別会社の人間達といったことがあると伺いました。
私がいた頃(一年前)になりますが、原発作業員の移り変わりはあれども
ここまで酷いことはありませんでした。
最低でも作業を行う班、これを単位としたら班を構成するメンバーは同じ会社の人間です。
非常に重要な問題です。それは意思疎通が図られないから。
想像してみてください。例えば今まで会ったことのないメンバーで何ができるでしょう。言いたいことも言えない。分からない事を聞けない。
皆さんも今までの人生でそういった経験をされた事はあるはずです。
どうしてこんな事になってしまうか
原因は今の福島原発で誰も働きたくないのです。
労働の過酷さは勿論のこと、通勤にかかる時間が長すぎること、貰える給料の低さ、社会的な労働現場として底辺といった扱い
作業員を集めるには短すぎる工事期間
仕事の選択先として、選ばれない理由が多すぎるのが原因です。
そして忘れてならないのが、元々の作業員達が将来的に安定して働いていけるほどの仕事量が原発にないため、別産業へシフトしている問題です。
あれだけの問題しかない現場ですが、原発が動いていた頃(震災前)に比べれば仕事量としては、感覚的な感想を頂きましたが2~3割程度だそうです。
元々の原発作業員を確保しておける仕事量がないのも大きな原因となっています。
整理すると
1.原発労働が金銭的うまみがない、労働現場として過酷
通勤環境の是正といった初歩インフラですら解決されていない
2.長期的で安定した雇用先となっていない
この問題の解決には、東京電力の発電所の仕事の在り方を変えるだけでは不可能だと思います。
「安心して継続して働いていける」この言葉の中には、初歩的に仕事量の問題があります。
原発労働者は福島原発だけでも数千人といったオーダーです。
震災前から仕事量は原発だけではなく、一般産業や火力発電所といった所で補っていましたが、まったく足りていません。
原発労働者が簡単にシフトできる産業の創造が労働者を守るといった事に必要になっています。
福島という産業的に過疎化した地域が負担できる物ではありません。
改めてつくづく思うのが、原子力という産業が周辺市町村とうまく共存できていたからこそ成り立っていたということです。
今はその周辺市町村が「人が住んでいない」それは、原発を除く仕事量が皆無ということを指しています。
私が一つ具体的改善案を出すならば、せめて福島原発の発電所内の仕事を長いスパンで発注するということ。
工事の規模になりますが、通常は1カ月以内から3カ月といった短いものです。
しかし細かい仕事を統合し工事期間とすれば1年といったオーダーで発注することができ多少の改善はできると思います。
工事期間が延びるほど工事費は管理費が増えるため上がってしまいます。
工事期間ほど簡単に行えるコストダウンはありません。
言わば無駄な経費ともいえる所です。
しかし労働者を守るという事に関しては寄与します。
こういったコストの増え方は、いくら東京電力へのお金が国民の税金とはいえ、理解を頂けるはずです。
現在の原発未経験者も長期的に育てていけば熟練者となります。
その為の投資としては十分理屈は通ると思います。
付け焼刃のようなやり方を進めつつ、仕事量の穴を埋めるため新たな産業を創造する。これがベターかなと。
皆さんが認識して頂きたいのは、現地の原発作業のプロが減りつつあるという事ではなく激減している事実です。
原発作業員=技術者です。これを仕組み的に支えていくことが緊急を要する課題となってしまっています。
こういった問題は企業レベルで解決できることではありません。
正に国が主導のもと進めていかなければ出来ないことです。
政治家の方にこそ聞いて頂きたいお話しです。
ですが、皆さんも危機感の共有という意味で知っておいて頂きたいと思います。
2013年10月9日
講演会を行います。
活動のご報告になります。
写真家の小原一真さんの展示企画「3.11 見えない風景」にゲスト出演させて頂くことになりました。
小原さんは震災後、サラリーマン生活を辞め写真家として被災地の実情を伝え続けています。
作業員の問題や警戒区域の実情も書籍化され、精力的にご活躍されている方です。
活動詳細は小原さんのHPをご確認ください。
11.8から11.17の帰還中「ギャラリー繭蔵」さんにて連日開演されます。
私がゲストで出るのは11/16(土曜日) 15:00~になります。
場所は東京都青梅市西分3-127 Dining&Gallery 繭蔵
写真を見ながらの小原さんによるレポートと
現地で働いてきた私の講演(対談式)のコラボ企画になります。
よろしくお願いいたします。
2013年10月8日
講演会の依頼を2件頂きました。
講演の依頼を2件頂きました。
私が伝えたい「現地の実情を知って頂き、現地原発労働者の方々の支援をする構造を世の中で作っていかないといけないと、健全な廃炉は達成できない」という思いを理解された上での申し出は本当にうれしい限りです。
最近では、取材の申し込みも増えてきました。
中には元東電という肩書きだけで、ネタの一つでも聞き出そうとする人もいますが、現地の利益にならない人とは繋がらない、そして担がれないを
貫き通した結果、本当に理解してくれて取り上げる記者の方も増えています。
いい傾向ですね。
東京電力=悪を作ってはいけないし、東京電力=善なんて考えもいけません。
単純な過酷で苦労している人達、ちょっと考えればその人達がいなくちゃ自分達の今の生活が成り立たない
じゃあ、助けましょって簡単なロジックを言ってるだけです。
とっても簡単な事をお伝えしています。
でも、皆さんご存知の通り、本丸の問題は大変大きな問題
「いかに福島原発を安全に健全に廃炉にするか」
世論から変えていきましょう。
まだまだ想像を絶する過酷で危険な状況
コントロールも収束も適当な言葉ではない
私的には「かろうじて冷やせているだけ、廃炉への道のりのスタートラインにすら立てていない」
危機感を共有し、そして皆で解決に向かっていく
そこまでいけば、時間はかかるとも実現可能になります。
2013年10月8日
ふたばワールド2013が開催されます。
ふたばワールド2013が14年ぶりに開催されます。
日時は10月19日(土曜日)10:00~15:00
場所は福島県双葉郡広野町中央台一丁目5番地 広野町総合グラウンド
最寄りの公共機関はJR常磐線 広野駅になります。
車で行かれる際は東京方面からは国道6号線をひたすら北に行けば、迷う事なく行けます。
最寄り高速道路は常磐道広野ICになります。出口をまっすぐ行くと国道6号線にぶつかります。ぶつかった後は右へ(南へ)行くとすぐです。
原発事故後、散り散りになった町が集まりイベントが開かれます。
TVでは相馬野馬追が有名ですが、当然各町に文化があり双葉伝承隊による双葉地方の伝統芸能が行われます。
双葉地方の復興への取組、PR、思い等も展示されます。
このイベント、避難生活を送っている私達には当然届きました。
でも、あまり知られていません。
私個人の意見です。
こういった涙ぐましい試みを、被災者だけが共有してはいけないと思うのです。今では原発被災者の思いなどが分かるイベントは少ないのが実情です。
このイベントの趣旨は避難生活を送る人達への希望を与える物でしょう。
でも他県の方が行かれた場合、原発の最前線の町で開かれるイベントを違う感情で見れるのではないでしょうか。
イベントの開催される広野町にはJビレッジがあります。
原発作業員達の拠点です。
また、少し北に足を延ばせば楢葉町に入ります、そこは未だに人が住んでいない「避難解除準備区域」です。分かりやすく言うと警戒区域です。
原発事故により強制避難させられた町の姿があります。
日中はどなたでも入ることが出来ます。
ただ何もない時に被災地に行く人はいませんよね。
よほど関心の強い方々だけ。
でもこういったイベントがあるタイミングで行かれるのはどうでしょうか?
感じて欲しい現地の息遣い
世間でなんと言われようとも、そこで生きていく、そこでしか生きられない、そういった人達が生活している町
実際に行ってみようかなという、小さな勇気で得られるものは多いと思います。
2013年10月7日
東京電力の分社化について。
東京電力の分社化の話がでていますね。
これの本筋としては、福島原発を東京電力から切り離すことで経営重視の考えを根絶し、日本国資本の元全力で福島第一原発廃炉に取り組むことです。
基本的に賛成です。現在起こっている汚染水タンクのトラブルがお金の問題でもあることから、そうあるべきです。
しかし福島第一原発とそれ以外に分社というやり方はないかなと。
繋がりは消えないでしょうし。福島原発はお金を生みださないから、結局東京電力からの支援も必要とする。そうなると、トカゲのしっぽ切りなだけで、経営がキツイからお金が出せないなんて事になれば、意味がない。
分社ではなく、国が母体の新設が必要です。
原発公務員といったイメージです。
現在の原発東電社員を雇い入れると同時に作業員の方々も雇い入れる。
世界でも有数の問題に取り組むのですから、それなりの厚遇でです。
それがそこで働く事の誇りや責任感に一番寄与します。
冷遇され続ける作業員の問題も解決できます。
東京電力一社で考えるのではなく、原発作業員問題も解決できるような形で福島第一原発を切り離さなくては意味がありません。
このお話しで、原発社員以外は責任から逃れて安穏とできる、おかしいというのを目にします。
原発社員以外の社員は電気の安定供給の為に日夜頑張っています。
社会的には「東電社員=悪」というレッテルで制裁を受けています。
一緒に仕事をした分けでもなく、名前を知らない人達が、何の努力もせず厚かましく生きているなんて、具体的根拠もないのに叩く考えが分かりません。
こんなことで、またやる気をそぐような風潮は作ってはいけません。
盛り上げるなら、現地を救う方法での分離の仕方をみんなで考えるべきではないでしょうか
2013年10月7日
東京駅に行ってきました。
昨日は東京駅で私に関心を持ってくれた方とお会いしました。
遠路はるばる京都から来てくれました。
どうして私にアクセスしたのですかと聞くと
福島原発に興味を持っている
ネットや新聞、TV等で情報を収集しているが実情が見えない
そして何を見ても具体的解決案が出てこない
現地の実情から具体的に行動を起こそうとしているのを調べていたら
私に行きついたそうです。
長々と毎度ですが、5時間ほど、どうすれば福島原発の廃炉が進んでいくのか話し合いました。
現地で働くを支えていく重要性
なにをやれるか、これが難しいから悩んでしまう。
でもやらなきゃ始まらない
お会いした方は一般の方です。
今度いわきまで来てくれます。
印象的だったのが「私にも何かできることがあると思う」という言葉でした。
人を動かすのは心です。
心で実際に動く。すごく大変高い壁です。
世の中の殆どは、変わっても心止まりです。
ニュースを取り上げ、自分の想像で現地をなじる。
トラブルが起きるのは、その背景に問題があるからだと考えない。
私の記事をシェアするのは構いません。問題定義しているつもりが、都合よく相手をなじる材料に使うのは私は良く思っていません。
私が書けば書くほど、現地に迷惑がかかるのではと思っています。
実際に行動に移している人は尊いです。
相手を思っての記事を書くならまだしも、何ら解決にも繋がらない画面上での一方的な物言いはどうなのでしょう?
少しずつですが、周りで現実を見て行動される方や、現地を支えていこうという気持ちを持ってくれる方が増えました。
でも少数派です。
少数派でいるうちは、福島原発の廃炉なんて夢のまた夢でしょう