活動レポート
2014年12月
2014年12月26日
福島県双葉郡広野町に東京からお客様をお迎えし「新しい農業」を始めるための視察を行います。
実際に広野町の方と協議し今後の取り組みを決めていきたいと思います。
双葉郡で農業を行うことに否定的なご意見を多く頂いています。
私達、浜通り地方(福島県沿岸部)に住んでいる者は決して、放射能と向き合っていない分けではありません。
放射能と向き合いつつ、新しい取り組みを進めています。
福島県に住む方々はそれぞれが置かれた環境(条件)を考え抜いた末に現在に至ります。
私達AFWは福島県でこれからも生活される方々、これから福島県に関わる方々に寄り添いながら、応援していきます。
放射能汚染から目を逸らすのではありません。
いくら何を言っても汚染は消えません。汚染された環境で生きていくすべを見出していく、それが今取り組むことと思います。
福島県はだめだ。ではなく福島県をもっと良くしていく。
これを真剣に取り組んでいる福島県の方々を応援する姿勢を私達は変えません。
除染を進め、生活圏を広げ、出来ることを増やす取り組み
これはその土地に住む方々が望み、リスクを承知で(許容は別ですが)進めているのです。
私も一人の福島県民として当たり前に自分達の今を良くする取り組みを進めます。
2014年12月23日
AFWのロゴを作成して頂いた武藤さんが遠いアメリカから浜通りを訪ねてくださいました。
私達のロゴは、よく見るとハートが手になっています。
手を取り合うイメージを表しています。
団体を作った当時、私のふわふわした感覚をイメージしてかわいいロゴを作ってくださいました。
やや駆け足ながら、いわき市から浪江町までご案内し現状を見ていただきました。
遠いアメリカではきっと福島県は誤ったイメージで伝わっていると思います。
ありのままを伝えていただければと思います。
現地ガイドは好評です。
視察で浜通りを訪れる方は今も多いです。
その中に、現地の方がいるかいないかで大きな違いがあると思います。
現地にいるからこそ、伝えられる思い、この思いこそ持ち帰って欲しいと思っています。
2014年12月22日
NHKのディレクターの方にお会いします。
NHKでは震災後から原発事故を追ったドキュメンタリーを作成されてます。
その番組の一つへ出演のご依頼です。
今のところ出演はご遠慮するつもりです。
震災の時、どうだったかを追うものです。
繋がりを頂くと同時に、いち被災者(題材として使われる側の身)として番組のあり方を直接訴えることができると思いお会いします。
誰かの好奇心を満たすために、被災者の方々があるのでは決してありません。
何度助けて欲しいという声を届ければ、状況は変わるのか
きっと変わらないのは、伝えるには限界があるからだと思います。
2014年12月21日
信濃毎日新聞にAFWの活動を掲載させていただきました。
原発作業員の方々の支援に繋がって欲しいと思います。
2014年12月21日
浜通り地方のガイドを行ってきました。
お客様は関西大学の学生さん2名です。
いわき駅前で行われていた「いわき仏教青年会の、歳末助け合い募金」にご挨拶をし(知り合いの方がなさっていました。)浜通りの案内へ
雪降ってませんね
そうなんです。福島県の沿岸部は雪がほとんど降りません。
日中、天気がよい状態なら雪の心配はありません。
私の話はどうしても原発作業員目線です。
当然ながら職業が原発社員でしたから、私の日常は新鮮なようでした。
そしてTVや新聞で知る「原発事故被災地」と現実のギャップにも衝撃を受けられていました。
夜行バスで大阪いらして、夜行バスで帰る
日帰りで来てくれる人がいます。それも勉強しに。
私の活動はまるで、暖簾に腕押しですが
こういった方が来てくれるからこそ、遣り甲斐があります。
現在の状況を放置している、私達未来を切り開く大人が恥ずかしくなってきました。
帰りは笑顔でお別れしました。
きっと今日は一日胸が苦しい思いをされたと思います。
まるで自分の責任のように感じる学生さん。
これははっきりと違うよ、それよりも来てくれただけで嬉しいとお伝えしました。
関西大学、古川ゼミ「3.11後の社会を考える」さんは私のお得意様になりそうです。
若い方にとてもよい刺激を頂いています。
2014年12月17日
12月17日
東京農業大学にお邪魔してきました。
AFWは原発作業員支援だけを行っている団体という認知がありますが、正しくは何十年後の双葉郡がこころ豊かに暮らせる環境を作るために、原発作業員支援と双葉郡復興事業両方に取り組んでいます。
双葉郡の復興の中間ゴールは福島第一原発の収束です。
そのために早期廃炉のために働く方々を支援するものです。
最終ゴールは廃炉が終わったあとでも豊かに暮らせる基盤を作ることです。
双葉郡の豊かを求めることは、双葉郡の皆様が望むものですから双葉郡の方が取り組んでいる現在の農業の復活を後押しすることが正しい道と思っています。
今後、広野町で新しい農業事業を始めます。
当然私は素人ですから、プロの方々の力をお借りします。
そのための訪問と人をつなげる活動を行ってきました。
早速26日には、地元の方々と農業分野の専門家、農業法人、投資家などを集めた話し合いを行います。
現地視察も行います。
私が広野町にこだわり続ける理由は、避難解除になって2年半を過ぎた広野町が救えなければ、今後の双葉郡に未来がないからです。
いまやることは廃炉後を見据えた取り組みと、目の前の課題への取り組み両方です。
後手後手に進んでいるように思えてなりません。
自己の活動の主役は自分ではありません。誰がためにの前には自分の活動は臨機応変に変えるべきだと思っています。
支援を待つのではなく、自ら出向いて支援を仰ぎ大きなうねりになりつつあります。
種を未来に向けてまかなければと思います。
2014年12月14日
東京都狛江市で行われた「原発対話の会」主催
「価値選択」の議論と原子力利用に関する社会的意思決定
~知識伝達型の「リスクコミュニケーション」論を越えて~
を拝聴しに行きました。
第一部は、原子力市民委員会のスタッフであり、対話の会の常連参加者でもある水藤周三さんより、川内原発の再稼働をめぐる意思決定の問題についてのお話
住民説明会の紛糾の模様は、心をつくものがありました。現地に住まわれる方々の不安解消に説明が足りていないのが浮き彫りに。
「稼動するための説明会」と「稼動は反対の住民」話し合う場になっていないことを痛感するものでした。
印象は鹿児島県も稼動ありきで、是非を問うことは終了しているとの認識を譲らないのだなと。
特に印象に残ったのは、福島第一原発や福島県の視察は必要ないとはっきり言った鹿児島県の対応には、あきれるばかりです。
第二部は原子力の課題を中心としたリスクコミュニケーションの専門家である東京電機大学の寿楽浩太さんのお話。
リスクコミュニケーションには統治者(原発立地行政)と当事者(原発立地町村の住民)が知識格差をなくした上で、かつ当事者感覚を失わず(どのようなリスクがあるか、被害者となる側から考える間隔)が合わさった上でようやく議論できるものであることがよく分かりました。
現在の原発安全性は事故が起きてからの考えが不足しているように感じてなりません。むしろ事故は起こりえないが前提になりつつあるのが恐ろしいところです。
非常に勉強になったなぁと当事者意識を無視し進めることのしっぺ返しのひどさと、当事者感覚をどのように扱うことが必要かが多少なりとも学ぶことができました。
当日のお客様の中には、1Fで作業される企業の所長さんもいました。
現場の人も聞きにくるほどの内容を毎回行われています。
率直な感想は、東京電力社員に是非聞いて欲しい内容だと思いました。
リスクとは知識ある人間だけで考えてはいけないということ
原発事故の根本は「分かっている(と思っている)人間達」で決めてきた歴史のつけだと思います。
顕著な例が津波対策だと思います。
事故は防げるの考え一辺倒だったことは猛省すべきです。
諸外国のような事故があった後の対応も考える、これは抜けていたからこそ、震災直後あれほどの過酷な収束作業になりました。
今回の対話の会は5回目です。
6回目以降もあります。
考えを変えるきっかけになります。
そしてクオリティの高い話が聞けます。
会のあとには、直接講師の方ともお話ができより理解を深めることができます。
対話の会今後もお邪魔したいと思います。
2014年12月4日
フランス日刊紙「Liberation」の Arnaud Vaulerin様より取材のご依頼を頂きました。
震災当時から約1年の福島原発の動向についての取材です。
私の体験談を語るといったものです。
一つの事実としてお伝えします。
福島第一原発事故の当時の話は、匿名での報道が多いなか私のように公で話す人間にはとかく取材依頼は集まりがちです。
だから「一つの事実」は強調します。たくさんの悲劇や努力の産物、奇跡が当時ありました。
私が伝えることで「センセーショナル」に語られてしまう、福島第一原発のストーリーに一石は投げたいなと
海外からも注目していただけることはありがたいことです。
私は取材の依頼は公表しています。これは記者とはいえ中には個人のイデオロギーで取材内容を利用する方がいるからです。
きちんと何処の誰からを記録し、内容が誤りであれば実名で抗議できます。
それが現地の方々を守ることにも繋がります。
取材依頼の際にこの旨を説明すると「やっぱり結構です。」ってメディアがたくさんいます。
皆さんにお伝えしたいのは、安易に取材を受けて信頼していると手痛いしっぺ返しを受けることです。
中には書いた記事を事前に教えてくださいってお願いしても、書いたらこちらの著作権ですからと断られるメディアがあります。というかそのケースが多いです。
慎重にでも協力的にやっていきます。
2014年12月4日
来週、長野県善光寺様に取材に行きます。
私のウォールでも何度かご紹介していますが、長野県善光寺様では東北大震災復興祈願に合わせて、福島第一原発で働く方々(作業員の方も東京電力の方も)への安全祈願をなさっています。
安全祈願の模様を取材させていただくことになりました。
また今年の冬には善光寺様より多額の寄付を頂き、1000枚を越える防寒下着を現地を届けることができました。
これらAFWの活動と善光寺様の安全祈願を切り口に廃炉に関わる方々を社会的に支援することの必要性を記事化します。
取材申請にご協力いただきました「若麻績敏隆」様に大変な感謝を申しあげます。
また、当日には信濃毎日新聞の方がAFWを取材してくださいます。
新聞という媒体にご協力をいただき社会的に発信もさせていただきます。
福島第一原発の廃炉が福島県だけの問題ではないことをご理解してくださっているからこその取材です。
自分が出来ることをこつこつやっていきます。
2014年12月2日
Jヴィレッジにて東京電力の社員の方と、福島第一原発視察についての打ち合わせを行いました。
企画書って本当に大切ですね。
視察の目的がしっかりしていることで、民間ボランティアが主催の視察が可能になりました。
今回の視察は、福島県内で起業されている方、福島県内で復興事業に取り組む方、そしてメディアの方との複数で行います。
福島第一原発の視察自体は多くの企業(特に福島県内)が行ってはいます。
ですが行ったことを上手くフィードバック出来ていません。
福島県内のほぼ全ての方が福島第一原発の実情を理解していないことが、それを示しています。
行っただけで満足しているのではないか?
せっかくの機会を活かせていないと思います。
8月22日に他企業の随行としてAFWも視察を行いました。
私達も上手くフィードバックできませんでした。
その反省点を活かしたのが今回の視察の企画です。
福島県内で生活される方々にこそ、実情を理解してもらいたい。
現場の改善状況の中に福島県で生きていくことに安心を覚える(希望)をお伝えできる。
また、改善されていない状況を正しく知ることで「いたずらに不安」になることを防ぐことが出来ます。
多くのメディア、個人はトラブルしか報じません。
それでは希望はありませんし、不安をあおることにも
風評被害とは不安が原因となっています。
正しい不安感だけならよいのですが、行き過ぎた不安感を煽る状況は皆さんも知るところです。
現地の改善状況を正しく伝えないこと、見てきたことを伝えないのは、現地で奮闘されている作業員の方々、東京電力社員の方々への冒涜だとも思います。
良いも悪いも正しく伝わらないなら、伝わる手段を自らが講じる
そんな視察です。
たくさんの方の力をお借りして、より多くの方に情報が共有できるよう努めます。
2014年12月1日
・帰還しない、帰還できない方々への取り組みを
現在原発事故による避難生活を送る方々が、町の行政や政府にはっきりしてもらいたい問題があります。
それは帰還出来るのか、出来ないのかです。
そして帰還とは「生活」していくことが可能かどうかを含みます。
放射能以前に生活していく糧「仕事」があるのかが重要な「帰還の要素」になっています。
双葉郡広野町のケースから目を逸らしていないでしょうか
広野町に帰還している方の多くは「高齢で働いていない方」「自営の方」「廃炉、除染の仕事をされている方」「隣接するいわき市で働いている方」です。
徐々に帰還が進んでいますが、避難区域解除になって2年半以上経ち、震災前の人口の3割程度です。
今後帰還が予定されている楢葉町や浪江町は、このままでは広野町の二の舞です。
帰還困難区域や居住制限区域が多く占める、双葉町、大熊町、富岡町はなおのことです。
残念ながら明確にビジョンを打ち出すことが出来ていません。
「帰還しない」「帰還できない」を選択することを法的に支援する試みが未だありません。
原発事故を被災した町が「帰還に向けてここまでやれている」といった明るい情報を目にするにあたり、ご苦労とひたむきな姿に感謝を覚えます。
ですが同時に帰還を選択できない、しない人達への取り組みがおざなりになっていることに不安を感じます。
もうすぐ5年目を迎えます。
決して短い期間ではありません。
ほとんどの方が現在の住まいで生活の基盤を築いています。
原発事故で被災された方々は帰還に伴い、「2度目の」生活の基盤を失うことに不安を感じています。
宙ぶらりんに「帰れる希望」があります。
それは「帰れない権利」と「帰らない権利」への取り組みがなされていないからです。
避難されている方々は「帰還する」を前提に進められていく町の復興に、疑問と不安を抱えています。
原発事故で被災された地域の「復興」は震災前の状態に戻すことではありません。
新しく作り直し、帰還する、しない、できないのいずれの選択をしても心豊かにそして平穏に暮らせる状態を創り上げることです。
帰還しない、できない方々への支援を望みます。