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活動レポート

2013年11月

2013年11月29日

JR東日本 労働組合様(東日本旅客鉄道労働組合)より講師依頼を頂きました。

活動のご報告です。

今日はJR東労組(東日本旅客鉄道労働組合)様と打合せ兼顔合わせを
させて頂きました。

正式に3月の政経フォーラムの講師を依頼頂きました。

毎月1度、JR東労組本部で行われるものです。
280回を超え、過去に講師を務めれた方々は衆議院議員、運輸大臣、大学教授、代表取締役、会長、etcと各分野で名を馳せる著名人の方々です。

そのような場に、講師として読んで頂けることは、現地で働く人達を守るといった活動の重要性が認められたと言えます。

大役を頂けたことに嬉しさと重圧を感じております。

いわき市まで、中央執行副委員長様と水戸支部執行副委員長様にお越し頂きました。

大変きさくな方々でした。
楽しい時間を過ごさせて頂きました。

少しずつそして確実に活動が前に進んできました。

福島原発で働く方々、それを支えている周辺自治体の方々が救われるよう
活動の幅を広げ、そしてそういった主役の方々がもっともっと注目され、沢山の問題が改善されるよう邁進していきます。

たった一人で後ろ盾も資金力もなく、走り続けた結果、ここまできました。
応援そして支えて下さった皆さまのおかげです。
ありがとうございます。

2013年11月27日

ドキュメンタリー映画のお手伝いに南相馬市に来ています。

facebook名 Toko Shiiki Santosさん(椎木透子さん)と南相馬市に来ています。

アメリカで発表される映画の撮影のお手伝いです。
僭越ながら私も一部参加します。

今日は一日、ずっと一緒にいわき市から警戒区域を通り南相馬市に行きました。

小高区も見てきました。
私も友人が多く住んでいた町です。
避難指示解除準備区域となっています。
この地域は原発事故の被害地域でもありますが、津波でも大変な被害を受けた地域です。

津波の被害を物語る物は、あちこちにありました。
それでも瓦礫の撤去は進んでいます。
でも震災前の姿を知っている者にとっては、直視するのも心が痛む状態でした。

私は浪江町より南の区域については、よく知っています。
しかし、小高区より先は世間の皆さんと同様にTVで知ることしか知りません。

この目で見たのは、歩みは遅くとも進んでいる姿です。でも歩みが遅いことには変わりはなく打開するにはどういった方法があるのだろうと考えあぐねてしまいました。

その後、原町第一中学校の吹奏楽部の練習にお邪魔してきました。
全国大会にも出場される方々です。
今回のムービーのメインは彼女たちです。
震災で苦しむ姿を追う事だけが、現地の実情ではありません。
希望を持ち明日に向かって励む彼女らの姿はまた違った復興の姿を伝えることが出来ます。

その時の私は椎木さんの助手という事で、アプリシエイトフクシマワーカーズとしてではなく吉川彰浩として紹介させて頂きました。

ただひたすらに音楽に打ち込む姿は、私には音楽を純粋に愛する姿が映りました。
時に悲劇のヒロインとして報道されるでしょう。たぶん違います。やりたい事を楽しんでやっているのです。
なんだか、元気を頂きました。
とても礼儀正しくて、まっすぐな子供達。その姿を見て自己の反省を覚えるのは私だけではないと思います。

福島の復興は着実に前に進んでいます。それが体現出来たと思います。
ですが皆さんが「本当?」って思うように、それはまだまだ歩み始まったばかりです。

だからこそ、私達が率先して本来あるべき姿へ努力すべきなのでしょう。

私の団体は原発で働く人達だけを救う事を対象にしていません。震災で苦しみながらも立ち上がる人達を支える団体です。
自分で立ち上がる事が困難な方には、立ち上がるきっかけを作ります。

子供たちと向き合う活動は中々難しいです。原発問題すら道半ば、ですが多くの協力者と繋がることでお手伝いは出来ます。

このたびの椎木さんの活動をアプリシエイト フクシマ ワーカーズが支援する事はお互いにとってメリットがあります。
活動理念にもずれていません。

現地の実情を伝える、その為には現地と向き合う、それは直接原発に関わることだけでは意味がない、総合して問題解決しなければいけません。

貴重な体験をさせて頂きました。

2013年11月26日

現地ドキュメンタリー映画のお手伝いをしています。

今日は椎木さん(アメリカ在住、現地ドキュメンタリーを撮ってくださる方)を
いわき市から広野町までご案内させて頂きました。

現地のガイドをしながらです。
浜通りの交通事情も実際に感じて頂きました。
震災前になかったもの、あったもの説明しながら、気づけば4時間ほど

明日はいわき市から南相馬市までご一緒します。
沢山の現地の実情を写真とムービーに納めて頂こうと思っています。

今週は椎木さんのお手伝いをすることで、高校生や小学生が今どうやって希望を見出しているか、そしてどのような思いで生活しているかを見させてもらいます。

本当に必要な支援は何なのか?
私も今週は勉強させて頂きます。

自分達の活動だけを広げる事は時に自己満足で終わってしまいます。
問題を知り、有効策を練っていく、そのためには「行う側」にこだわらず「使われる側」になろうと思います。

主役は誰なのか

立ち上がっている人が続けられるように
立ち上がれない人が希望を持てるように

自分の思想を押し付けず、受ける側が無理なく出来るように

出来れば皆が楽しく継続できる

対話を重ねていこうと思います。

2013年11月25日

機能性インナーを発注してきました。

機能性インナーを発注してきました。
数は上下合わせて2000着です。
目標の1/3はクリアーです。

これだけの数を集めてもらうのにお店の方に大変苦労をおかけしてしまいました。
頼んで分かることですが、その年のインナー生産量は決まっているのですね。

購入する数が多すぎるようでした。
ですが、なんとか数はそろうことになりました。

12/5に届けられます。

頂きました募金の中から、2,400,000円使わせて頂きました。

現在、募金合計 3,487,742円です。
支出 カイロ3万個    440,000円
   機能性インナー 2,400,000円+振込み代 840円

皆様の応援のお気持ちが着実に伝わっております。
ご支援ありがとうございます。

2013年11月24日

いわき民報の方とお話ししてきました。

活動の報告になります。

今日は福島民報の記者の方とお話してきました。
いわき市はJビレッジのある広野町の南に隣接する都市です。
福島県で郡山市、福島市、に続いて栄えている都市です。

福島原発から南に40kmほどしか離れていませんが、原発問題についての理解は皆さんとあまり変わりません。

本当は今行っている私達の活動を取材されるはずだったのですが、せっかくの機会でしたので、作業員の方々と被災者の方々の実情についてお話させて頂きました。

ほとんど勉強会です。
個人レッスンに近い形で行いました。

新聞社の方もTV局の方も上辺の報道しか出来ないのは、明らかな勉強不足です。
でも彼らを責めることは出来ません。学ぶ場所も人もいないからです。

今日の成果は、いわき市の賃貸不足から分かる原発問題を来月記事にしてくれる事です。

いわき市は一見復興しているように見えますが、津波被災地域の復興はまだ終わっていません。
それと震災後は被災者と原発作業員を受け入れたことによる問題が起きています。
慢性的な賃貸住宅不足と通勤渋滞です。
あまり表面化していませんが、いわき市民と被災者、作業員の軋轢が起きています。

大きく見れば、同じ原発事故の被害者です。そして同じ福島県民どうしがいがみ合う不幸を正さなければいけません。

いがみ合っても、どちらの子供達も廃炉作業を行うはめになることは、現在も続く廃炉作業を福島県の浜通りに丸投げしている現状からさけられません。

それにしたって、就職すら難しい地域性(経済的に貧しい地域)なのですから

今のうちに作業員の方々が暮らす環境整備を進めることは将来への保険です。
また、その環境整備は町や市の復興と同義です。

本来はタッグを組み、共通問題である福島原発の廃炉を加速させ安全、安定に保つ必要があります。

忘れていませんか?
今も毎時1000万ベクレルの大気放出が続いていることを
海への汚染水流出も止められていません。

福島原発からの放射能流出を一刻も早く抑えなければ、風評被害なんて止まりません。

放射能物質を扱う大前提にある、公衆へ流出させない。
これが守られていない問題から目をそらしてはいけません。

福島原発構内の事だけに注視していても、そこで働く人達の発電所から出たあとの環境整備をしなくては絶対に廃炉なんて出来ません。

今は生活がかかっているからという理由で踏ん張りがきいています。
決して責任感、使命感ではありません。
10年後、20年後、果たして誰がやるのでしょう?

答えは簡単です。そこ以外で働く場所の選べないような人達です。
給料が安い、社会的に低評価、通勤が大変、住む所にも困る、日本で一番放射能不安がある
そんな職場ですから。

東京電力がやれ、国がやれ、行政がやれ・・・・・
その結果、2年8ヵ月経って出来あがったのが、将来に不安しかない現状です。

日本全体が一致団結して解決しなければ、解決不可能な問題になっています。

私には子供はいませんが、いたらこんな負債を今の状況で引き継がせたくありません。きっとそれは孫の世代にも続きますから。

知ってもらう、そして広めてもらう
私の活動で大切なものです。

どうして被害者の自分達が協力しなきゃいけないの?!!
これに対してどれだけ理解を頂けるように説明するか
毎日あれこれ悩んでいます。

理解者を増やしていきたいですね。

2013年11月22日

Jビレッジにカイロ3万個を届けてきました。

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活動の報告になります。

本日一回目の支援物資をJビレッジに届けてきました。

途中運送側の手違いがあり、10時の予定が11時30分過ぎになるなど、トラブルはありましたがカイロ3万戸、段ボールで125箱届けてきました。

今日中にJビレッジ内バス乗り場に置くことは出来ませんでした。

来週に実際に置いてもらうことになります。

写真は分かりずらいですが、Jビレッジ内物流倉庫前になります。

もう一つはご協力頂いた、コメリ四倉店さんです。

全国からの一般の方の応援により実現したことをお伝えしました。

その旨を記載したものも、来週掲示されます。

東京電力へ作業員の方々への境遇改善もお願いしてきました。

現地の作業員の方々を応援している方が沢山いて、そして実際に届けたわけですから

東京電力としても、作業員の方々も同じ福島原発を収束させる仲間であることを再度認識して頂きたいと強く要望してきました。

震災前は自分の事は自分でやる
それが当たり前でしたが

震災後は事故を起こした当事者としての自覚をもち、そして働く方々が自分では解決出来ない悩みを持っていることを理解し解決に努力する

その姿勢を見える形でやらなくてはいけない。

そういった事を伝えてきたしだいです。

東京電力側に模範として、一般の方がやったという事実は大きいと思います。

朝日新聞社の方が取材にいらしていました。

一般の方へは現地を支援する重要性が

東京電力には、やれていない、やれる事がある、作業員の方々を守る考えが加速する意識付けが

伝わる活動だと思っています。

第二、第三と続けていきます。

2013年11月21日

11・21までに集まった募金金額の合計について。

今日は一日中移動で終わってしまいました。

千葉県の滞在も終わり、またいわき市に戻ってきました。
震災前は毎日のように通っていた、義理のばあちゃんのところも今は避難生活中で1,2ヵ月に一度会えるかなといった具合です。

明日は実際にJビレッジに第一弾としてカイロ3万個を届けてきます。
当初は、結局これくらいしか出来ないと思っていましたが、PR活動に力を入れた結果、全国の沢山の方からご支援を頂きました。
継続して行えます。

単価の高い機能性インナーを500枚、1000枚といったまとまった数で買うに見合う金額が頂けました。

今日までの募金金額合計をお知らせします。
3,059,282円です。

明日は受け入れ側の大変さも学んでこようと思います。
善意を届けるとはいえ、相手の都合も考えないといけません。

継続を持たせるためには、どういったやり方が一番お互いにとって楽に行えるか模索してきます。

2013年11月21日

東京FMタイムラインに出演しました。

今日は東京FM タイムラインに出演してきました。

私が先方にお願いして出演させて頂いたものです。
ラジオの趣旨は私の活動を世の中に伝えるといった物でした。

私は私の活動よりも現地の実情を訴えたくて、質問者である上杉隆さんの質問にまと外れな回答をしてしまいました。

今回は私の活動を応援して出してくれたわけで、私の活動を喋りやすいように質問してくれました。
なのに勝手に現地の実情を伝えたくて、自分の活動そっちのけで喋ってしまいました。

それに緊張して、かみまくりの頭真っ白で・・・
現地の方々の思いを伝えたかったのにと

東京FMさんのご厚意をむげにしてしまったし、現地の方の為にもならない。
自分の実力のなさを痛感しました。

応援してくださる皆さんへ、そして現地で頑張る同僚の方々、作業員の方々へ申し訳ない気持ちでいっぱいです。

自分に都合のよい報告はしてはいけないので・・・

反省して頑張ります。

2013年11月19日

事故直後から働く作業員の方々が抱える問題

作業員の方々が自分では改善出来ない問題について書きたいと思います。

これは教育を受けた方なるものです。
簡単な放射線に対する講習と試験(筆記テスト)を受けることでなれます。

従事者になるとある縛りを受けることになります。
それは5年間で積算100mSvまでしか線量を浴びてはいけないというものです。

震災前の原子力発電所では5年で100mSv以内に収めるのは簡単でした。ほぼ全ての作業員の方が気にする事ではありませんでした。
それほど現場で被ばくする量は少なかったのです。

震災前はあまり問題にならなかった問題が今福島原発で起きています。
原発事故直後は線量管理もままなりませんでした。
それに福島第一構内はその時はどこに高放射能があるかも分からなかった
かなり混乱した現場でした。

ゆえにです。当初から頑張っている人ほど100mSvに近い若しくは超えています。
5年経つとリセットされます。それまで後2年半ほどあります。

現地の作業員の実情を知る私からの報告です。

100m近くになった人、超えた人どうなるか知っていますか。
基本的に事務員になるんです。彼らの本職の仕事ではありません。変わって今は原発作業をした事がない方が入ってきます。
事務員として囲えるだけの資本的体力のある会社はよいですが、下請け構造の下にいくほど、簡単にリストラの対象となってしまいます。

なんて酷い会社だなんて、簡単に言わないでくださいね。
何年、何十年といった時間を一緒にした会社の経営者は会社を守るために苦渋の判断をされています。

命がけの作業をやった結果、かえって自分の仕事が出来なくなる現実があります。

感情論だけでも大変悲しい現実です。

また、廃炉作業を進めていくにはそういった技術、知識、安全モラルを持った方が辞めていくのは妨げでしかありません。

この問題について解決するには、強い政治の力が必要です。
使い捨てにされてしまう現実に対して、法令の緩和や原発作業員が線量がパンクしても雇っていけるよう、原発関連中小企業への支援が必要と考えます。

政治を動かすには民衆の訴えが必要です。それもかなりの数の。
ですから原発作業員の方々を守るという考えを浸透させなくてはいけないのです。

線量がパンクして急にリストラされる不安があり将来設計が出来ない
だから他産業へいく
そういって辞めていく方がたくさんいる事を知っておいてください。

2013年11月18日

なぜ東京電力が機能性インナーといった物を支給しないのかについて

今日までの募金金額についてご報告いたします。

1,368,782円です。

着々と集まっていますが、ご質問も頂いています。

それは作業員の方へ機能性インナーを配るといった事は東京電力がやることではないかということです。

これについて私の見解を申しあげます。

作業員の方々の雇用主は東京電力から仕事を請け負った企業になります。
仕事で必要な作業着はどこから支給されるか、所属している企業からになります。
社会的にこれは普通の事ですね。
ですから、作業員の方々へ機能性インナーを配るといった事は作業を請け負った企業側が本来やるべきことになります。

東京電力がやるべきだというご意見の根底にあるのは、事故を起こした当事者への怒りと、巨大企業がそのくらいのお金があるのだからやれるでしょって考えがあるからだと思います。

東京電力がやらないのは、ある意味筋が通ってはいます。
元受企業には、日立、東芝、大林組、鹿島建設といった誰でも知る大手企業がいるのですから。
彼らにしても1000万なんて端金でしょう。

叩く相手は本当は間違っています。

でも福島原発はまさに戦場であり、私は東京電力は配慮してやるべきではとは思います。

現在東京電力はお金がありません。
コストダウンは福島原発でも行われています。
そして皆さんのお金を使うからこそ、安易に使えない状況にあります。

ですから、皆さんが作業員の方々を守らなくてはいけないと声をあげて欲しいのです。
東京電力に作業員の方々にお金を使うことに大義名分を持たせてあげれば劇的に変わります。

東京電力にも、大手元受企業にも作業員の方々へのあるべき対応の責任はありますが、それと私達が現地を支援する必要がないということには結びつきませんよね。

日本で一番難しい課題に取り組んでいる方々が不遇な状況でも頑張っている。それは私達の生活を守るためでもある。
だから私達は感謝し応援しましょうって話です。

東電がやるべきだからやらない。
はたしてそれで良いのでしょうか?

2013年11月17日

東京都青梅市で講演会で頂いた質問に対して

今日頂いた質問の中で、被災者の方は「反原発デモ、脱原発デモ」にもっと積極的に参加してもよいのでは?

という趣旨のご質問を受けました。

私自信も被災者であり伝えたいこと、そして友人、知人から聞いているデモになぜ参加しないかの感想を正直にお伝えしました。

それは「思い出したくない」という気持ちと、「矢面に立つのが怖い」という気持ちです。

被災者の方々は今も胸の内に大きな傷を負っています。当時の事を思い出すだけで、体が震え負の感情が湧きたち、まともな感覚でいられません。
そして、どこに避難しても差別的な扱いを受けています。

被災者だということを隠す方も多いのです。

まだまだ、現地で苦しむ方の思いが浸透していないのだなぁと思いました。元東電という立場で聞かないでくださいと前置きに、直な気持ちをお伝えしました。

吉川さん自身は反原発、脱原発活動はされないのですか?という質問も頂きました。

答えは、「しません」です。

それは今の脱原発、反原発運動の中にどうしても見えないものがあるからです。

それは現在の自分達の生活レベルを見直すという姿勢が見えない
そして原発に依存するしかない人達へのケアです。

原発が作られた原因は政策という側面はあります
その一方、それがあったからこそ繁栄した事実があります。
そして「社会的、経済的に恵まれない地方」に設置されました。

震災は大きな生き方の方向転換になったはずです。
原発は地方の弱者に押し付けられました。
弱者を犠牲にしての繁栄なんです。

震災後、福島第一原発を例にしても、その後処理すらその弱者にまかせています。
本質は何も変わっていないのです。

自分達の生活を顧みず、進めていく問題では決してありません。

ですから「今の」反原発、脱原発の活動には協力できません。
だからと言って原発推進でもありません。
被災者でもあり、原発事故を間近に経験した人間として、無くなって欲しい気持ちは誰よりもあります。
反原発、脱原発運動そのものを批判するものではありません。
やり方への問題提議と私が出来ること(知識、経験が役立つということ)からの考えです。

私は最終処分場も決まらぬ今の状態で出来る廃炉は、単純に原子炉から燃料プールに燃料を移すだけのものと知っています。
それが現実です。

私の智識、経験で今やらなくてはいけないのは、福島原発をいかに安定、安全に廃炉にするかです。

その為に作業員の方々、それに関連する東電社員を守らなくていけないのです。

優先順位は目の前にある危機に対処です。
世界で一番危険で不安定な原子力が福島にあり、そしてそれが満足にコントロール出来ておらず、かつ廃炉を進める作業員の境遇改善すら行われていない。
その事に関して、社会的に支えていこうという基盤すら出来上っていない。
負の遺産として次世代に託さないといけないのに。

私は目の前の危機から目を離したくありません。
福島は私を育ててくれた故郷でもあります。

福島原発を安全、安定に廃炉しなくては皆さんの子供達はどうなりますか?
最悪なケースは想像できるはずです。
単純にこのまま劣悪な環境である作業員の仕事をさせることにもなりかねません。

決して他人事ではないのです。

そして単純に苦しんでいる人を助ける
それは人間が人間である美徳ではありませんか。

それは東電、政府が考えるんだ!!!
当たり前です。
でも私達は任せきりにしていませんか

自分の生活すら見直さず、弱者を食い物にしている
この社会の現実から目を背けてはいないでしょうか

皆さんの出来る範囲、余力の中でお願いできませんか?
頑張っている人に思いをはせる。
必要以上の根拠のないバッシング、人権侵害はやめてみませんか

私は東京電力を辞めることで、外から改善することにしました。
出来る事は小さいです。でも次世代へつなぐ種はまかないといけません。
それに水を与えてくれるのは誰でもない、皆さんです。

2013年11月17日

東京都青梅市で講演会を行いました。

昨日は久しぶりの講演会でした。
写真家の小原一真さんとのコラボ企画

写真を通して実感して頂き、共感を得る
私はいつもお話しだけの講演です。写真という媒体が伝えるメッセージ性の大きさに、視覚で伝える重要性を感じました。

百聞は一見にしかずです。中々福島県へ行く機会は一般の方にありません。知らずして当たり前、現地の実情をお伝えするには聞かれる方の身にたった表現があるのだと痛感しました。

私がお届けしたのは、作業員=被災者という現実です。
しかしこれが全てではありません。
当然震災後は原発に縁もゆかりもない方が従事しているのも事実です。
正確な数は分かりませんが、作業員の方の6割ほどが被災者という現実があります。

それを踏まえて、被災者でもある彼らが実は高い技術と知識と原発作業安全モラルを持っていること。
そして彼らが原発事故被災者と作業員の2重生活に疲れはて辞めている現実をお伝えしました。
この疲れの中には、進まぬ復興と現地理解があります。
顔が見えない作業員と言われます。
しかし彼らはどこにでもいる気のいい普通の方々です。
ですが、偏見や差別される。支援(応援、評価するといった意味で)皆無です。

それを行っているのは、紛れもなくこの世界です。
それが如何に非人道的で、そして今後の福島原発の廃炉について無利益を訴えさせていただきました。

今必要なものは現実への理解です。

今日の反省点は、私が講演活動を依頼されるのは稀です。
数少ない現状を伝えるチャンスを活かせなかったこと。
思い返せば、感情的になり理論的にお話しできなかった点があります。

現地で働く方々の思いを伝えられる機会を活かしきれませんでした。

限られた時間の中でいかに効果的に伝えるか
今後の課題として取り組んでいかなければいけません。

次世代に引き継ぐ負の遺産をどれだけ、良い形で引き継げるか

本日お越し頂いた方へ
上手く伝わったか・・・

今度の水曜日 東京FMのタイムラインに出演します。
今日の思いを胸に刻み、慎重にそして効果的に現地の実情を訴えたいと思います。

2013年11月15日

東京新聞さんに取り上げてもらいました。

本日東京新聞さんの夕刊で1面のTOPに載せて頂きました。

私の活動がきっかけとなり、全国の方に原発で働く方々が応援し支えようと考えてもらえればと思います。

そして数十年と続く廃炉作業には絶対に欠かせないものであることを認識して頂きたいと思います。

記事はこちらです。

2013年11月15日

カイロを届ける日程が決まりました。

カイロ3万個をJビレッジに届ける日にちが決まりました。
11/22です。
第一弾として届けるものです。

受け入れ側の復興本社側との調整も終わりました。

平日であることから、私が軽トラを運転して行ってきます。
数が数だけに、復興本社の社員が手伝ってくれるそうです。

皆さんのお気持ちが実際に届くまで、後少々お待ちくださいね。

2013年11月14日

新しい名刺を作りました。

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お名前を発表するとご迷惑をかけてしまうので明かすことは出来ませんが
アプリシエイト フクシマ ワーカーズのメインロゴを作って頂きました。

とても可愛く、ほっこりするものです。
私の曖昧なイメージをとても上手に作ってくださいました。

私が届ける話題は、すごく社会的で堅い内容ですが私としては皆が親しみやすい団体を目指しています。

一つの思想で凝り固まるような団体になってはいけません。
そしてその考えを押し付ける、強制する、従わない方を排除する、といったものではいけません。

この場をお借りして、お礼申し上げます

これからの活動が楽しいものになるそんな名刺が出来上がりました。

2013年11月14日

TV局の方といわき市から楢葉町まで行ってきました。

以前から個人としてお会いする約束をしていたTV局の制作の方とお会いしてきました。

毎度毎度、今回は7時間ほど一緒にいわき市から楢葉町まで、ずっと一緒に廻ってきました。

ガイドのような形で、今までの町がどうだったかお話ししながらです。

模擬通勤として、いわき市からJビレッジまで通常作業員の方々が使われるであろう6号線を通ってきました。
多少の寄り道はあれども、往復5時間です。

実際に体験することで分かるものがあります。
どれだけ大変な事かも分かって頂けたと思います。

たかが通勤、されど通勤
東京都心で働く方がマイホームとプライベートを充実させる為、通勤2時間よくある話です。

でもこちらは戦場のような所に自分で選択した分けでもなく、長時間通勤になっています。

通勤で待っているのは戦場のような福島第一orプライベートもないプレハブ住宅
言わずもがなな状況です。

当たり前の事が非日常である人間がいる。同じ文化的にも経済的にも大変恵まれ公平な日本でです。

改めて、改善に向けて自分に出来ることを進めないといかないと思いました。

2013年11月13日

活動の報告になります。

私の社会的認知度はとても低いものです。
アプリシエイト フクシマ ワーカーズも同様です。

ですが、皆さまのご協力とご支援により作業員の方々へ「機能性インナー(例:ヒートテック)上下3000着とカイロ30万個」を届ける活動の資金は順調に進んでいます。

今日はカイロ(第1回目)3万個の発注を行ってきました。
只今、納期待ちです。

第一弾としてカイロ3万個費用として440,000円使わせて頂きました。

現在までの寄付金合計は895,782円です。
目標の一千万まで、およそ1/10ほどです。
現実的に不可能ではないことが分かって頂けると思います。

一人一人の力は小さくとも、集めることで大きな事ができます。
認知度が低くともこれだけ集まるのは、それだけ皆さんが大変高い関心を持っていること、そして皆さん助けたい、支えたいという気持ちが強いことを示しています。

確実に動いてきました。
この活動がきっかけとなり、支え合う社会が実現されることを目指していきます。

2013年11月12日

福島第一原発敷地内だけで考えていないでしょか。

福島第一原子力発電所の中だけの改善では作業員の方々を救うことは出来ません。原発事故被災地の復興は不可欠です。

皆さんはどうしても原発内の事に目が行きがちだと思います。
それも正しい事ですが、部分的に理解しているというのが実情です。

専門家の皆さんも取り上げることがないので、私の方で説明させて頂きます。

原発事故により現在、福島第一原発を中心として半径20kmは人が住む事が許されていません。飯館村、浪江町津島地区などは距離があるものの
当日の風の影響により、20km圏内と同じ扱いになっています。

作業員の方々が仕事を終え、帰る場所は周辺自治体の町となります。
代表される、南相馬市、川内村、広野町、いわき市といった自治体です。
それらは例外なく原発事故からの復興が進んでいません。

一見町は着々と復興が進んでいるように見えます。しかしそれは震災以前の町の風景、風土、を知らない人達から見ればです。
原発事故の影響の度合いは日に日に風化している事が、今も問題が続いていることをあぶりだしません。

本来であれば、福島第一原発の収束作業は国をあげての事業です。
当然周辺自治体は特需とも呼ばれるほどの繁栄が起きるはずです。

ですが、現実は人は遠のき、戻ることも少なく、そして原発で働く人達は邪魔な存在のように扱われています。

そんな扱いを受けるには複数の事情があります。

一つは作り上げてしまったそこで働く人達のイメージです。
作業服を着る彼らは見た目だけでも正に労働者で、一見怖いと抱いてしまいます。それに付け加え、放射能汚染しているといった誤った認識により敬遠されてしまいます。
匿名で報道される彼らは顔も見えない存在として扱われていることもあります。

そして周辺自治体そのものが被災地です。進まぬ復興により苛立ちが、なぜ自分達を取り上げずに原発で働く人達ばかりを取り上げるのだと言った
考えが、根強くあります。

簡単に言えば、周辺自治体に作業員の方を受け入れる基盤が整っていないということです。

この原因は進まぬ原発事故被災地の復興と原発に依存していなかった自治体の無理解があります。

作業員の方々が満足な居住環境を得られないのも、賃貸住宅が原発事故による避難者が優先される背景があります。そして絶対量が足りていません。
物量として賃貸住宅が原発事故避難者と原発作業員をまかなえていないのです。

そして風土が構築されていません。それは原発で働く人達を理解し受け入れるといったものです。これは双葉町、大熊町でも何十年という長いスパンをかけて築いてきたものです。震災前を例にとれば、原発で働くことは何も偏見を受けない社会が出来上がっていました。

全国の原発例外なく言えることは、原発立地町村は作業員の方々を受け入れる基盤が整っており、受け入れる風土があります。
原子力産業とは管轄する電力会社、そこで働く人達だけで保たれているものではなく、そこで働く人達を受け入れる町の機能に大きく依存しているのです。

この基盤は原発に依存している町では自然と構築されるものです。
しかし、ちょっと離れればそれは大変難しいものです。
長い時間をかけて徐々に出来上っていきます。

福島第一原発では、前述の通り、原発で働く人達が暮らす町が失われました。そしてその機能は強制的に原発周辺自治体に隣接する自治体にシフトされています。

何度も言いますが、そこはまぎれもなく被災地であり、復興も進んでいません。

原発で働く人達を救うには、福島第一原発構内だけで考えてはいけないということに繋がります。

原発事故による大ダメージを受けた被災地の復興と福島原発収束は密接に関係しています。

キーパーソンとしての作業員の方々が両方に関わっているのですから。

広野町はJビレッジがあります。収束の最前線基地です。
その広野町の住民が2割しか帰らず、そして町にはコンビニが数件あるだけの町になっています。ただスーパーすらない有様。
病院も個人経営のものが2件、どちらも院長先生お一人しかいません。
昼間は作業員の方々の往来で一見町は活気づいていますが、夜になれば家の電気もまばらな状況です。
町を歩いている人も殆どいません。

これが現実なんです。復興が進んでいると誰が言おうが現実は違います。
進まぬ状態が2年半も続き、将来は過疎化が進み町としての姿を保てるのか不安になる状態です。

被災地の復興なくしては廃炉はありません。

希望的観測でも40年以上かかります。
間違いなく次世代に引き継がざる負えないものなんです。
一刻も早い復興と作業員の方々を受け入れる基盤を作ることが必要です。

この問題に対しては、東京電力だけでは解決できるものではありません。
国が全面に出て、自治体と協同で進めていく問題です。

国が全面に出るのは、何も発電所敷地内の事だけではないのです。

2013年11月11日

福島第一原発で大型休憩施設が作られます。

皆さんこちらの記事をまずお読みください。

東京電力福島第1原発の汚染水問題で人為的ミスが相次いだことを受け、東電は8日、ミスの原因とされる作業員の士気の低下を防ぐための改善策を公表した。原子力規制委員会から求められた「ドラスチック(抜本的)な改革」(田中俊一委員長)に対する事実上の回答で、大型休憩施設の建設や作業手当の増額が示されたが、作業員不足などを解消する長期的な課題は積み残された。

 東電の広瀬直己社長は10月に規制委の田中委員長と面会。今回の改善策は作業員の被曝(ひばく)低減など、その際の要請に応えたものだ。東電は構内の除染を進め、今月11日からは意思疎通の妨げとなる全面マスクの装着範囲を3分の1まで縮小する。作業員の日当も1万円上乗せし、元請け会社へ支払い額を増やす。

 作業員の休憩施設として1200人を収容できる地上8階建てビル(平成26年末完成予定)や、社員向けの新事務棟(27年完成予定)を新設する。作業員らの食事を賄う給食センターも整備する。

 広瀬社長は記者会見で「収束作業は30~40年続くので使命感を維持してもらいたい」と述べ、「野戦病院」に例えられる収束作業の現場を「恒久的な設備に衣替えしなければならない」と話した。

 改善策は応急措置的な位置づけで、作業員の被曝低減など大幅な環境改善には時間がかかる。広瀬社長は「(改善策が規制委のいう)抜本的かどうかは分からない」と言葉を濁した。

さてこちらの私の見解を述べさせて頂きます。

まず大型休憩施設について、今までは免振棟がそれを担っていました。
あくまで緊急用の施設ですから、休憩施設としての機能を持っていません。
大型休憩施設には食堂も作られることから、大幅な労働環境の改善に繋がると期待しています。

作業員の日当を1万円増やす。これは発注段階の積算につかう作業員単価に1万円上澄みすることを指しています。
これは注意が必要です。あくまで、それは元受会社に入るお金だからです。中間搾取が続く状況を改善しなければ、中間搾取額が増えるのみになる危険性があります。簡単に言えば、作業員の手に渡る時には雀の涙に代わってしまうということです。

私が言いたいのは、これで作業員の士気が上がると言えないという点です。
彼らが抱える問題はこれだけではありません。それよりも問題と言えるのが彼らの居住環境です。
今だにプレハブ住宅暮らしは続いています。民宿大部屋生活も続いています。それらが通勤に容易い所にあれば別ですが、多くの現地作業員は片道2時間という生活を送っています。
それも家族と離れ単身生活を送る方が殆どです。

この問題は、原発事故により壊滅状態にある町と福島第一が同一の場所にあることが原因です。
原発で働く人達が会社を離れ、生活するのは近隣の町になります。
それが原発事故の影響より復興できていない。
ですから、通勤に2時間もかかるような所に住まざる負えないということになっています。

ですから、作業員の方々が安心して家族と暮らせる作業員宿舎が必要なんです。
また、家族が暮らせて行ける環境整備も必要です。

新規で入る作業員の方々を訓練する施設が必要です。
無用なトラブルを避けるためと原発作業における安全知識を養う為に必須となります。

賃金の問題に対しては、国と協同で原発作業に関わる方に直接お金が入る仕組みを作り上げなくてはいけません。

原発作業員の方々を守るには安定して働いていける仕事量の問題があります。定期的な仕事がなくなり、スポット的仕事がしかないのが廃炉の実情です。それでは、働く人達は将来を描けないのです。

原発で働く人達の士気を上げることは、最早発電所敷地内の環境整備で終わるものではないことを知っておいてください。

周辺自治体と東京電力と国がタッグを組み、被災地の復興と絡めて進めていかないといけないのです。

こう言えば伝わりますか、大型休憩施設が出来ました。皆さん働きに来てください。
皆さんの答えは当然「No」ですよね。

厳しい事を言いますが、当たり前の事がようやく始まってきたに過ぎません。部分的改善です。
これで士気があがるなんて思わないでください。

添付は東京電力が発表しているものです。
休憩施設がどんなものか分かります。

記事はこちらです。

2013年11月8日

福島第一4号機、燃料取り出しについて、そして展望。

福島第一原子力発電所
4号機の燃料取り出し作業が始まろうとしています。

1500本を超える燃料集合体を4号機使用済み燃料プールから、福島第一原子力発電所内共用プールへ移送する作業は1年間という長い期間での作業になります。

どの記事を拝見しても書いてあることですが、燃料集合体を破損した状態で自ら出せば、致死量に相当する放射線をだす、潜在的に非常にリスクの高い作業です。

この作業のリスクとしては、燃料プール内にある瓦礫が抜出作業中にかじりを生み、燃料集合体に傷をつけてしまうことと、キャスクと言われる燃料集合体を保管する入れ物を運搬している際に地震が来ることです。

瓦礫については、大型の瓦礫の撤去は済んでいる状態です。
燃料プールの映像が公開され、作業内容についてはTVの特集である程度詳しく報道されました。
モックアップと呼ばれる、細かい瓦礫までも再現した実物大の訓練施設で実際に作業される方々が日々訓練に明け暮れています。
まずは細かい瓦礫の撤去がなされた上で慎重な取り出しが始まります。

地震への対策も打たれています。燃料取り出し装置自体に巨大なばねを取り付けています。揺れを緩和する装置です。
キャスクをトレーナーに移す際には、これは慎重に行うしかありませんが
仮に落とした場合でもキャスクは衝撃性に優れ、凹むことはあっても中の燃料が破損したり、露出する構造になっていません。
落下試験等も当然行われています。

私は4号機の燃料取り出しが安全な作業だと言っているのではありません。事実として、対策は打たれているということです。
原子力を知らない皆さんが想像するリスクについて、現地のまさに最前線にいる人間達は想像していないと思いますか
危険性については、彼らほど知っている人間はおらず、万が一の時犠牲になるのは彼ら本人なのですから。

燃料取り出し自体は、頻度は多くありませんが全国の原発で行われていて
ノウハウが蓄積されています。

今回違うのは、瓦礫があることと、自動制御で本来行うものが瓦礫の問題により作業員が目視で確認し、一つ一つ人間の判断で行うことです。
通常ならば、取り出し位置を自動で合わせます。燃料集合体の上に垂直に取り出し装置が自動で合うようになっています。
それが今回出来ない。瓦礫があるからです。

燃料は垂直に取り出さないと、燃料プール内の格子に引っかかる恐れがあります。すると燃料が傷がつく可能性があります。
それに自動だと引っかかりといった異常があれば、自動で止まります。
警報もでます。しかし今回は、それを人間の判断でやらなければいけません。非常に人の力に頼った部分が多いのが問題です。

雑誌の記事等を拝見すると、危険性についてスキャンダルに報道したいのか条件を無視した報道がなされています。
東日本が壊滅するといった表現を見ますが、それは言い過ぎといってもよいでしょう。
1500本全てが傷がついて、かつ全て水から露出させる。そしてそれを空中散布して拡散させるぐらいの事をすれば、起きるでしょうが。

1本ずつの作業、水中での作業、キャスクに入った後はキャスク強度自体に強固に守られている。そして潜在的リスクに対して、忠実に再現した模擬原子炉で訓練を行っている。
最近では海外からの技術協力が入る報道がありました。
万が一の避難訓練も始まっています。

何度も言いますが、潜在的リスクは非常に高く、危険で長丁場の作業です。

今回この話題に触れたのは、反原発運動を進める材料、ネタのように扱われている記事が散見されているからです。
その中には、現場での対策すら取り上げず、原発を知らない人達の推論を根拠として、また取り上げた推論を展開している記事が大変多いです。
結果、半端な情報だけで分かった気持になってしまった方々が、あらぬ方向へ批判の目を向けてしまっています。
そしてそれが真実のように広まっています。

私は、福島原発の危険な実情を知る一端として扱って欲しいと思っています。それはそこで働く人達へ意識を向けることとなりますから。

原発情報を得て、それを広めるのも良い事だと思います。
ですが自分の原発への思いの為だけに利用してはいないでしょうか。
福島原発でのトラブルは身近な問題です。生活にも直結します。
どの記事のコメント、シェアに添付したコメントを読んでも、中々そこで働く人達を思う言葉は見つかりません。

記事を書く方もまたしかりです。

それほど危険な作業だと認識があるのであれば、そこで働く人達を守ろうという気持ちが自然とわくはずなのに。

現在の作業員の方々の待遇が劣悪なのは、東京電力、政府の責任もありますが、想像力の欠けた私達の責任でもあります。

作業員の方々に任せっきりにしているのは私達も同じです。
そして彼らに比べれば安全な場所で恵まれた環境で無視していると言ってもいい状態です。

私はこの4号機の燃料取り出しの話題が、現地の方々を思うきっかけになって欲しいと切実に思います。

あらやる対策を打っても、非常にリスクの高い、この日本を守る作業が始まるのですから。

2013年11月7日

ユニクロ ヒートテック「世界応援プロジェクト」に応募しました。

こちら皆さんからの情報提供により知りました。

ご協力頂けないか応募させて頂きました。
協力頂けたら、一気に活動が進みますね。


記事はこちらです。

2013年11月6日

HUFF POST JAPANに載せてもらいました。

HUFF POST JAPAN 様が掲載してくれました。

福島原発作業員の方々の過酷な冬の作業への警鐘と
私のホッカイロとヒートテック上下を届ける活動を合わせた内容になっています。

私の無理なお願いを、こうして分かりやすく纏めてくださっています。

明日の7時頃までは、TOPに掲載されます。

是非ご一読をお願いいたします。

HUFF POST様 ありがとうございます。

大きな歯車が回り、作業員の方々の境遇改善に繋がっていって欲しいと
切実に思います。

HUFF POST JAPANの記事はこちらです。

2013年11月6日

東京電力の皆さんへ。

私の活動は作業員の方を限定したものではありません。
福島原発を支える人達を対象としています。

当然ながら、現地で働く東電社員も支援の対象です。

本当は現地で懸命に働いている姿を伝え、皆さんに応援して頂きたいのですが、結果の出ない日常がそれを困難にしています。
ですから、そのような中現地社員が頑張っていると伝えることがかえってあらぬ反感をかってしまうのが実情です。

しかし何もやっていないわけではありません。
これは社員の方々に知って頂きたくて書いています。

みんなが萎縮して会社の上層部に訴えれない過酷な日常について
私は辞めた身ですから、言いたい放題言える立場です。

発電所や復興本社、そして町で会う上役の人間達を捕まえては皆さんの思いを代弁しています。

元同僚の方は知っていますが、怒っている時の私は相当怖いです。
元から理論派なので、ぐうの音も言わせない論破をしています。
しかし、喧嘩ではありません。切実に訴えています。

結果が出なくて、実感も出来ないだろうけど、上にはきちんと伝えていますから。

それと皆さん(社員の方々へ)知っておいてください。
被災者である町の方の多くは応援しています。

私が直接役場に行った際も現地の人達が必死に廃炉作業をしていると理解してくれています。
とある町長さんは、こころを込めて激励しなくちゃいけないとも言ってくださいました。

テレビでも大熊町の方が、社員の方々も守らなくちゃいけないって涙を流しながら、訴えてくれていました。

でも覚えておいて下さい。それも安全安定した廃炉作業が出来た上での事なんです。

辛いでしょうがそれが現実です。

世間ではようやく現地で働く人達の苦労に報いるよう支援しようって動きが始まりました。

それと対応するように報いてもらいたいと思います。

私が出来るのは、外部から境遇改善を促すことです。
現場の事は皆さんの頑張りにかかっています。

行政側と一緒に皆さんの境遇改善も訴えていく予定です。

応援しています。

2013年11月1日

映画に出演させて頂きます。

Facebookを通じてお友達になったToko Shiiki Santosさんの映画に
来年の春出演する事になりました。

Tokoさんとは幾度もメールや電話を通してお話しをしました。
最近の映画や書籍は現地で働く人、生活する人に希望を与えるものではありません。

悲劇を伝える事も大切ですが、そこで生きていく人達が希望を持てる、持って生きている、それを伝える重要性があると私は思います。

私は元東京電力社員として出演しますが、昨今溢れる告発するものではありません。そこで働いていたからこそ分かる地域性や作業員の問題をお伝えし、将来を見据えた改善を訴えたいと思っています。

アメリカで公開されるものですが、福島原発の問題は日本だけの問題ではありません。
世界の問題です。
それは原発事故の影響と世界のエネルギー事情を考えれば、大げさではないと思います。

予告ムービーになります。
また、椎木さんにご興味のある方、支援したい方、いらっしゃいましたら是非アクセスを。

アメリカに在住の方ですが、考え自ら原発問題に対して活動されている方です。

2013年11月1日

最近心配していること。

最近すごく心配している事があります。

それは匿名でネットに投稿される、現地作業員の方々の生の声です。
世間的にはそれは、そこで働く全ての人の境遇ととられ広く伝わります。

不遇を訴える、これ自体を否定する分けではありません。
しかし多種多様の作業員の方が出入りする現場です。
同様にそれら作業員毎に応じた対策を現場では行っているのも事実です。

簡単な例で言えば、線量計が振り切れるような現場で働かされると書けば
今だ福島第一原発内は線量管理もされず、命の使い捨てととられる作業員の方々の使い方をしていると取るでしょう。

私はその情報の信ぴょう性をまず疑います。線量計がいかなる物が知らない作業員の方も多いのは事実ですし、測定レンジが低ければ当然振り切ることもあります。もっと言えば、高線量区域は当然あるし、逆に極低線量区域もある。
作業毎に放射線管理員をつける約束になってもいます。

なにが問題なのかがいまいち見えてこない投稿が多いです。
1.ルールを知らないのか?
2.ルールを破るよう強制させられているのか?
3.ルールを知っていて守っていないのか?

1については、所属している会社の監督責任が多きいです。労働者に必要な教育をしていない。
2については論外、そのような会社は即刻排除すべきですから是非教えて頂きたいと思います。
3については、事情もあると思います。例えば線量のパンクをさける為破らざる負えないといったものです。ですが、基本的にはNG、でもそれを守れるように会社に働きかけることが出来ます。

非常に酷な事を言えば、匿名ゆえに改善できないといった悪さ加減があります。
でも匿名で行う気持ちは分かりはします。

心配というのは、愚痴を聞くことは出来ても改善出来ないことと。
原発作業員という看板の発言が、信ぴょう性が判断できない一般の方にとっては事実として伝わってしまうことです。

私も気をつけてはいますが、非常に自分が思った以上に世間に影響を与えてしまうことがあります。
時には、その情報を自己曲解し偏見思考を誘導してしまうように使われることがあります。

それほどナイーブな問題について、喋っている自覚はあるのかなぁと言うことです。

最低でも現地で働く仲間達(作業員の方々と東電社員)にとって、迷惑がかかるような発言ではないか、十分に検討して頂きたいと思います。

2013年11月1日

広野町役場に行ってきました。

今日はもう一つ用事がありました。
それは広野町役場に顔を出すというものです。

何度か尋ねるうちに私の顔も覚えて頂き、以前より腹を割ったお話をさせて頂きました。

何の事はありません。その人それぞれの話し方で、役人という立場を超えて一人の町の人間としての本音を聞かせてもらいました。

当然、私の素性は知っています。
元東京電力社員という物は一生ついてまわります。
それでも、表面上ではなくお互いに今ある問題についてならば、協議できるのです。

大変厳しい町の状況に根本的な解決策が見つからない苦悩は、痛いほど伝わってきました。

広野町にはスーパーがありません。
こんな事が住民が戻らない要因になっています。

どんどん作業員向けアパートが建っています。
町民からは治安の悪化を不安視する声や、原発作業員の町になることの嫌悪感があると伺いました。

私は作業員の方々をよく知っていますので、これらが想像で作られた偏見だと分かっています。
しかし、震災後続く空き巣や暴力事件があることも事実です。
駐在所の警察官の方が毎日のようにいざこざに呼ばれるという話も聞きました。

現実として、作業員の方々と町民が共存共栄しなければ未来はありません。
誰が見ても「作業員の町」となっているのです。

どっちがいいとか悪いとかのお話をするつもりはありません。
単純にそれを改善できる方法を模索していけばいいんです。

震災前とは言え、双葉町、大熊町ではそれが実現していたのですから。

町の住民の方が住みやすい町を作っていく。
かつ作業員の方々にとっても住みやすい町を作っていく。
施設や制度だけではありません。空気を作っていくのが重要です。

今は東京電力も町も「手を取り合って、同じ問題解決に向かう」という事が
上手く出来ていません。

両方を知る、私はどちらも手を差し伸べてくれればと思っているのは知っています。
簡単に言えば、気持ちの誤解です。

私はかけ橋にはなれないのかなぁと、今日は考えていました。

問題を解決しようと思ったら、現地の最前線の力のあるところに行かなくては一歩も進まないと改めて思う次第です。

現地を知らずして、語っても現地の人の心には響きはしません。

2013年11月1日

福島復興本社に行ってきました。

今日は先日からお約束を取り付けていた、福島復興本社へ行ってきました。
場所はJビレッジにあります。

福島復興本社とは、本店にあった賠償機能を福島の現地に持ってきたものです。より実態に沿った賠償を行う為、組織及び人材を最前線に置くことで改善を図るものです。

作業員や現地社員の待遇についても検討される部署でもあります。
また、被災地域との折衝の機能も持っています。

私が訪れたのは、現在起こっているトラブルの本質理解をして頂くため。
私が見て聞いた事、そして東電社員だったからこそ見えてくる問題点をお話してきました。
それと、私の活動でどのような形で作業員支援が出来るかを相談してきました。

担当された方は、私が福島第一時代にやんちゃを働いていた際、大変かばって頂いていた方でした。
本当にどこに行っても知り合いばかりだと思う半面、気兼ねなく話せる相手でよかったと思っています。

今日のお話会いでは、作業員宿舎を検討して頂くこと。
作業員及び社員教育設備(原子炉作業に必要な知識を学ぶ場)を作ること。
そして私が作業員向け支援物資を送る際には、Jビレッジ内バス乗り場のすぐ近くに置いて頂くこと。
Jビレッジ内社員寮(プレハブ寮)を改善すること。
浜通り地方立地町村と連携を深め、町の復興と作業員支援をセットで考えて頂くこと。
などをお願いしてきました。

確定したのは、私の活動は認めて頂き、且つ支援物資の受け入れ等は柔軟に対応してもらえるということです。
その他については、当然その場で決定できる事ではありません。
福島復興本社社長と協議(持ち帰り)という事になりました。

私は以前、今の活動を続ける際に友人に言われた言葉があります。
それは「吉川がいくら訴えても、実際にそれを行動に移せるのは東京電力なんだよ」という言葉です。
働きかける場所を履き違えてはいけないと言う事です。

実際に一人狼で活動を始めた私も、ここまで踏み込めます。
元東電とは言え、実際に勇気を出して相手を訪ねる。
粘り強く交渉する。意外と上手くいきます。

ただ今、企画を練っています。
団体を作りましたが、資金集めはその有効利用が定まっていない為まだしていません。
受け入れ先の了解も取れ、後は行動するだけ。

近々発表したいと思います。