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活動レポート

2014年10月

2014年10月29


10月27日~30日間の間、福島市で「福島国際赤十字会議」が行われました。
16カ国の代表の方々が原子力災害対策について議論されました。
4日間のスケジュールでは、実際に被災地への視察も実施。
原発事故の被災者に対する長期的な支援のほか、迅速で正確な情報提供、救援に向けた事前準備などを指針に盛り込む必要性を確認されました。

元国会事故調委員長の黒川清政策研究大学院大学教授が原発事故の概況と人道援助機関に求められる対応などを講話されました。

黒川氏の講演の後には、県内外の高校生のプレゼンが行われました。
AFWとしてお手伝いさせて頂いたのは、高校生プレゼンについての事前講義です。

原子力災害対策を議論した時に、根本の原子力を支える(事故への直接対応)人達の話は今までもあまり議論されません。
原発事故から退避することも備えが必要ですが、同じように事故時と事故後の対応をする人達への支援も、被害度合いを抑えるには重要だと考えます。

AFWのプレゼン内容は福島第一原発で働く方々目線の内容でした。
事故の復旧に直接あたられる方々への備えが整っていたら、働く方が今も抱える問題はかなり解消されていたでしょう。
直感的に感じたことを発表される高校生のプレゼンが大人達の心を動かすことに期待しています。

会場では満場の拍手を頂いたようです。何ヶ月も頑張って準備をされた高校生達に感謝いたします。
スペシャルサンクス.jpg
写真はプレゼンで使われたスペシャルサンクスのページです。
AFWも載せて頂きました。
公の場で「福島原発で働く方々が抱える問題」について、議論することが「腫れ物」に触るようなことではなく、国民みんなで議論すべきことだと認めて頂いた気持ちでいます。

あれだけの原発事故が起き、そして浜通り地方が3年半を過ぎてもおざなりになっている現状を海外の方はどう受け止めたでしょう

「わかりやすいプロジェクト 国会事故調偏」様に貴重な機会を頂けましたことを感謝いたします。
下記は福島民報での報道です。
福島民報報道はこちらLinkIcon

2014年10月26

焼却炉2.jpg焼却炉1.jpg焼却炉3.jpg

双葉郡富岡町に入った際に撮ってきました。
こちらは福島第二原発と富岡漁港の間の海沿いに作られている「大型仮設焼却炉」です。

富岡町の海側は「津波」により壊滅的なダメージを負いました。

現在もその名残は「富岡駅」周辺に残っています。
当時の瓦礫や津波被災した家屋は当時と変わらない状況で残っています

原発事故により大量に発生した汚染瓦礫や除染廃棄物は、「減容処理(焼却してかさを減らす)」ことが出来ずにいます。
こういった大型焼却炉は今後も作られます。

浪江町でも起工式が始まりました。こちらも津波被災地域に作られます。
こちらを見て、私はようやく復興の兆しを感じられるものと評価しています。

いつまでも不完全な状態で、放射能廃棄物が町に散乱していては復興は進みません
環境省主導になりますが、きちんとした放射能廃棄物管理がなされ公衆への被爆への安全が保障されていけばこういった取り組みは「前向きなもの」として捉えていきたいと思います。
焼却炉4.jpg
最後の写真は楢葉町の秋晴れの風景
のどかな綺麗な町です。
でもちょっと目線を変えれば、様々な問題が目視で確認できます。
それぞれの町が前に進んでいます。
なんの為に。。。それは最後の写真のような私達の原風景を取り戻すためだと思います。

2014年10月25

四ツ倉インター.jpg
先日、朝から広野町に行く用事がありました。
写真は常磐道広野IC出口の写真です。
時間はおよそ8時前ごろです。
私達にとっては当たり前の風景になりました。
朝の通勤時間の高速出口は渋滞になります。
常磐道はいわき中央から片側1車線になります。
つまりほとんど交通量がないから、そういった作りになっています。
でもそれは震災前のお話
現在は原発作業員の方々、除染作業員の方々、原発事故で避難生活をされていて一時的に立ち入りに来られる方々で、大変な交通量になっています。
そしてほとんどの方が一般レーンを使います。
原発事故で避難されている方々は高速道は福島県内を走る場合と、福島県をまたぐ場合に限り無料です。ETCを利用すると恩恵は受けれません。
原子力作業に従事する企業社員は福島県への申請で免除になります。
こちらもETCは使えません。
もともと田舎のICです。出口も1車線
一般レーン1つ、ETCレーン1つです。
ここがJヴィレッジ(原発復興の拠点)と一番近いICです。
そういった意味では最前線の一つになります。
3年半過ぎても変わらない風景
福島第一原発の収束のために、国が本当に前面に出ているか?
通勤一つ見れば明らかです。
そいてAFWが浜通りの復興推進は、福島第一原発の早期収束に欠かせないという一例になります。
双葉郡の町の復興は、直接早期福島第一原発の収束に繋がっています。
福島第一原発の現状だけ
原発事故の被災地の現状だけ
ではなく、どちらも繋がっていることを理解することが必要と思います。

2014年10月23

参議院会館内での院内集会が終わりました。
大変貴重な場となりました。
若輩者の私が、年齢も経験も豊富な方々へ主義主張をお伝えするのは、大変な思いでした。
福島県浜通りの問題を訴える
いつもより感情的に話してしまった事に反省しつつも
思いと問題点は繋がったと思います。
その後の懇親会も、いかに現地に還元するにはどうしたらよいか?
とてもよい議論が出来ました。
議員の方ともご挨拶出来、今後問題点を政治へ伝える事が出来ます。
多くの方と手を繋ぎ、問題解決へ進んで行きたいと思います

2014年10月22

Jヴィレッジ(福島第一原発復興の拠点)にご挨拶に行きました。
夏場で作業員の皆さんに支援物資を送った際に、配布、受け入れをして頂いたお礼のご挨拶です。
Jヴィレッジは決して敷居の高い場ではありません。
作業員の皆さんが仕事で使う場ですから、どなたさまでも自由に出入り出来ます。
撮影はNGです。それは作業員の方々のプライバシーを守るためです。
どうどうと正面から入り、そして受付で用件を言えばご対応していただきます。
私は元社員ですが、特権がある訳ではありません。
当たり前のルールに基づき(社会常識)出入りしています。
今日も偶然、以前の職場の先輩にお会いしました。
水処理設備の応援に行かれるとのこと。
福島第一原発の1号機で研修を受けた際には、右も左も分からない私を丁寧に指導してくれたことを思い出しました。
じゃぁ1F行ってくるねと元気そうな顔には、少しずつだろうけど社員として働く環境が良くなっていると感じました。
そんな反面、別な先輩が長期休暇を取られているとも伺いました。
ここで指す長期休暇とは,精神的な病によりお休みしている状態を指します。
おかれている状況、個人のメンタリティーにより、程度は違いますが
事実精神的に追い詰められる方もいるということです。
また、先輩というには歳の離れた、今もお世話になっている方ともお会いしました。
私を気遣う姿勢と元気な顔に「○○さん、お元気そうでなによりです」とお声がけすると、「元気な姿を見せないとな!」と気丈に仰られたのに、私は部下を率いる立場の人はとても辛いなと感じました。
Jヴィレッジ内の売店でおにぎりを買いました。
お弁当やおにぎりがならんでいます。
時間を惜しむように食堂を使わず、弁当ですます人達。
社員も作業員の方々も、冷たい雨の今日
それぞれが職務を全うされていました。
情報が封鎖されている。
現地へメディアが入れないようにしている。
私が感じていることと一致しないことに。
どうすれば分かってもらえるのだろうと思うのです。
殺伐とピリピリとした雰囲気はそこにはありません。
開かれていないのではなく、見えない壁を知らずのうちに作ってはいないでしょうか?

2014年10月22

関西大学の学生さんをお迎えし、いわき市から警戒区域を通り南相馬市までご案内しました。

総走行距離は180kmを超えました。
いわき市の中心部から南相馬市の中心部までは片道90kmほどあることになります。
改めて、福島県は広いです。
とても長丁場のご案内でしたが、またその時間間隔と距離感も大きな学びになったと思います。
本日ご案内した学生さんに「福島大学 開沼博さん」の取り組みをご紹介しました。
大学生の皆さんが福島県の浜通り地方に勉強に訪れるには高い壁があります。
それは染まっていない現地の方々のお話を聞く機会がないということです。
地縁がものをいう地域です。
まったく見知らぬ学生が訪れて、丁寧にお願いをしても応じてもらえない状況があります。
これは地域の方が意地が悪いとかいう話ではありません。
震災後から続く、センセーショナルに語られる報道とそれにより誤解を受け続けた日常、そして声をあげても変わらない現実が続いたことが大きな要因です。
福島大学の「福島学」を学ぶ場は、本当の福島県を知りたいという学生にとってかけがえのない場と感じております。
今日の私の説明は、私の主観であり多くの立場の方のご意見を聞いていただきたいと思いました。
幸いなことにゼミを同じくされる学生さんが、仮設住宅の訪問といった試みをされています。
それぞれが実際に訪れた福島県の実情を語りあい、そして正しく来月開かれる学園祭の場で、一般の方々に共有していただければと思います。

2014年10月20

HUFF POSTの記者の方とお会いしました。

今日は取材ではありません。
近況報告です。
一度の取材でご縁が終わることもあれば、長く続くこともあります。
その違いは会社の方針はあるでしょうが、私が感じるのは福島県を好きになってくれた人は長いお付き合いになっています。
プライベートでも訪れてくれる方がいらっしゃいます。
今日もたわいもない話から、今後のAFWのプロジェクトの紹介など
気が付けばあっという間の3時間でした。
私はお会いした記者の方々には、私達以外の福島県で何かしらに取り組んでいる方をご紹介しています。
自分達だけが脚光をあびるのではなく、誰のために何のために取り組んでいるかが芯にあれば、こっそり後方支援するってありだと思います。
忙しい合間にお会いしていただき、また楽しい時間を過ごさせていただきました。

2014年10月18

福島市へ「福島アニマガフェスタ」を見にいきました

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こちらは郡山市で行われている「B-1グランプリ」の影になっていますが、同日で福島駅周辺で行われています。
実際にマンガ家さん、声優さんに触れ合える企画です。
今日は以前お世話になった「ストーリー3.11 あれから3年」というコミックを作成されたマンガ家の方々にお会いするために行ってきました。
「KADOKAWA書店」から出版されています。
実は私が福島第二原発で経験したことをマンガ化して頂いています。
こちらに関わる収益は全て東北復興支援へと寄付されるものです。
明日も行われます。
北斗の拳のケンシロウの声を務めた神谷さんや「ゆでたまご」先生も来られます。
B-1グランプリと一緒にちょっと足をのばし「福島市」へも行ってみませんか?
ご家族連れにもおすすめです。

2014年10月18

読売新聞朝刊、コメントを載せさせていただきました。

10月18日の読売新聞朝刊の社会面にて、福島第一原発を視察された記者の方のルポが掲載されます。
私もしめの言葉として発言させて頂く事になりました。
皆様お読み頂ければ幸いです。

2014年10月17

河北新報社いわき支局の方より取材のご依頼を頂きました。

河北新報社様は仙台市に本社を置かれる新聞社です。
この度の取材の内容は、今までの取材とは赴きが違います。
福島県知事選挙を控えた今、福島原発で働く方々は選挙をどのように見ているのかといった内容です。
どの候補者がといったお話はいたしません。
ただ私は現地の方々の思いを代弁させていただきます。
どの候補者の方々も、県内全域の廃炉を掲げています。
福島県の浜通り地方特に双葉郡に住まわれていた方々が原子力産業に関わっていたことは皆さんご存知だと思います。
その原子力産業で生活されていた方々が今も同じ仕事をしているか?というと実はそうでもありません。
原子力を稼動をしていたからこそ設備安全を保つため、莫大な数の機器を点検していました。これが彼らにとっての生活の糧です。
福島第一、第二原発では震災以前のような仕事は激減しています。
福島第一構内の仕事のほとんどは大手ゼネコンが請け負っている状況です。
つまり元々双葉郡に根ざした企業の出番がすっかり減ったということです。
生き残りをかけ、大手ゼネコンの下請け構造の中に組み込まれるようなやり方でしのいでいる状況です。
そういった方々は当然福島県民です。もう一つ加えると原発事故の被災者の方々でもあります。
原発の再稼動を認めるべきだということではありません。
廃炉を訴えた先に生きる場を失う方がいて、それらが議論にあがらないことを問題としているのです。
また、福島原発で働く方々が被爆労働を一番の苦しみに置いているということが誤解されています。
現在の福島原発構内で1ヶ月従事した積算線量は平均で約0.8mSvまで下がっています。
ご参考に震災前で比較的線量をあびないとされる東京電力社員でも年間10mSVほどあびる人もいます。
私個人は月によって変わりますが、月で1mほどあびたこともありますし、1時間ほどで0.5mあびたこともあります。
震災前より働く方々であれば、月平均が0.8mというのは決して高い数字(原発事故を起こした発電所ということも加味して)ではありません。
震災前の水準には至らないものの、3年半を過ぎ、被爆労働現場としては成立できるまで改善が進んでいます。
現在の県政にも通じることですが、原発作業員の方々が住まれる双葉郡は中通り、浜通りの経済規模と震災前から比較できる対象ではなく、浜通り地方の方々が震災前から抱いていたのは、県政は浜通りに特に重点をおいていないのではないかということです。
双葉郡の行政は各町単位で行われています。
地方ののどかな町を運営するには問題のない、普通の町の方々です。
そのごく普通の方々が営む小さな行政に原発事故後の対応をまかせっきりで現在にいたります。
作業員の方々が今も苦しんでいるのは、生活そのものです。
どこの地方でもある当たり前の水準に届かない生活をされています。
これを改善することが必要です。
今回の取材内容はあくまで「原発で働かれる方々が選挙をどう見ているか?」という内容です。
ごく当たり前に自分達の生活に直近した問題から選挙を見られています。
そして候補者の方々が掲げるものには、自分達の生活を改善する具体案が特にだされていません。
正直な言葉として「あまり興味がない。誰でも一緒でしょ」と伺っています。
私として残念ながらどの候補者の方も福島原発についての知識や現地理解が足りてないと思っています。
願わくば、福島県で生きていく私達そして遠く離れても福島県民である方々がポジティブになれる政策を打ち出していただければと思います。
福島の県知事選挙ですから。

2014年10月11

art space 寄す処さんで講演を行いました。

先日、京都市 ArtSpace「寄す処(よすが)」さんで講演をさせて頂きました。
私が福島県のことを話すのは大変おこがましいとは思いましたが、限られた時間の中で「福島第一原発」に関わること以外に福島県の現状をお伝えしました。
福島県は皆さんが思うよりも平常を取り戻しています。
という言葉を発した際に大変眉をひそめられました。
私も福島県に住む人間として、良いこともお伝えするべきだと思います。
福島県の浜通り、双葉郡では避難区域が今も続いており、除染も進まぬ場所
短時間滞在するには問題ありませんが、住み続けるには危険とされるべきところはあります。
福島第一原発は放射能の封じ込めが完全ではありません。
しかし避難指示解除準備区域である楢葉町では、町役場駐車場にて仮設の商店街が日中開かれていたり、避難解除に向けて、日中、家屋修理や除染業務が行われています。
現地では前を向いて、改善に取り組まれそしてゆっくりであっても効果、結果をだされています。
中通り、会津地方では表向き(これは観光客の方々が見たとき)問題を感じることが出来ないほど、平常になっています。
いわき市、相馬市、南相馬市でも、他県の方では気づくことが出来ない状況にまで復興は進んでいます。
なんといいますか。
福島県の方々の努力で震災から3年半で平常と感じられる状態に戻したことが伝わっていないなと思います。
そしてその現実を受け入れてもらえてないなと。
私も福島県の浜通り(特に双葉郡)にて起きている問題、解決されていない問題について伝えるとき、福島県のどの地方で起きている問題なのか、きちんと伝えないといけないと感じました。
福島県の方々は窮状を変えるため、たくさんの方が他県で講演されています。
とても大切な取り組みです。
でもその中の一人として、福島県の風評を陥れてしまっているのは自分にも一因があるのだと思う今日このごろです。
私が「福島県に遊びに来てください」といった時の意外そうな顔が印象的でした。
福島県はとっても良いところです。
これが言っては悪いような風潮。そしてそれを頭ごなしに否定することが問題ないとされる風潮。
このお化けのような雰囲気が「最大の問題」だと感じます。
福島県の良い状況を伝えること。
福島第一が大変な状況であること。
正しく丁寧にありのままを伝える
その難しさを感じる講演になりました。

2014年10月1

AFWとして新しい試みを始めます。
それは福島原発への技術提供のご案内です。
福島第一原発の状況改善について、現在は東京電力にお任せな状態にあること、そして現地の状態は中々前に進んでいないことは皆さんもご存知の通りです。
日本は技術大国であり、様々な視点から見れば福島原発の改善に有効的に使える技術があります。
この度、TIアサヒ様とのお繋がりを頂くことになりました。
3Dスキャナ機能は現在、瓦礫(高放射能瓦礫)が散乱した原子炉建屋内把握に大きな力を発揮します。
私のお願いを聞いてくださり、デモプレイ及び商品紹介をしてくださることになりました。
また、この機械を福島第一原発へ導入するには、様々なハードルがあります。
そのハードルについては機器調達を行っていた私の過去の経歴により熟知しているため、福島原発へ機器納入をされている企業さんへ、プレゼンさせていただきました。
急なお願いに対応していただき、懇談の場を持つにいたりました。
導入への判断は今後の展開次第ですが、TIアサヒ様はじめたくさんの企業さまのお力をお借りして進めてまいります。
短時間での詳細現場把握は、作業員の方々への被爆低減にも繋がります。
自分の持ちえる人脈は現場の技術改革に繋げられるものだと思います。
外部支援のあり方にはこういった取り組みもあると思います。

http://www.pentaxsurveying.com/