福島原発で働く方々と原発事故被災地を支援します
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アプリシエイト フクシマ ワーカーズ

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2013.12.29

集英社様より500,000円の寄付金を頂きました。

集英社様は現在も東北支援活動を続けておられます。
その支援先として私どもの団体が選ばれた事は一重にそれほど、原発で働く人達を守る必要が重大だからです。

いち早く支援の手を挙げてくださったのが集英社様です。
東京電力並びに作業員を直接雇用する元受企業、そして政府は重く受け止めて頂きたいと思います。

福島原発で働く方々が人並みの生活を送り、そして世界で一番危険な原子力で働くのに値する地位と給与を得ることが出来るように一刻も早く改善される事を望みます。

そして原発で働く方々の多くは被災者でもあります。
彼らが一派の方と変わらぬ生活に戻れないのは遅々として進まぬ福島県浜通り地方の復興が理由です。

原発作業員の方々を守る、支援する事は福島県浜通り地方の復興に直接つながるものです。

関東の直接原発に関わらない企業が、問題の大きさを決して他人事と捉えず支援してくださいました。

その思いに報いるためにも、事故の当事者側である東京電力と国策としてきた政府、原発関連企業は積極的に原発事故被災地の復興に取り掛かるべきだと思います。

支援金を頂いただけの実績ではありません。当事者以外が動いたという大きな実績に今回なりました。

支援する方々がいるのに、なぜ当事者がやらない(やれない)のかを問う事が出来るようになったのは大きな前進です。

言い訳が出来ない状況を作り、模範を示す。
こういった変え方も必要だと思います。

2013.12.27

ストーリ3.11の第2巻に出演いたします。

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今日も東京で活動をしてきました。

プロジェクトが進行中で今まで発表出来ませんでしたが、了承を得ることが出来ましたので発表いたします。

ストーリー3.11というコミックを皆さんご存知でしょうか。
3.11、震災は数々の出来事がありました。

ストーリー3.11は、原発事故、津波被災、震災、それぞれの当事者、経験者の方々のインタビューを元に一般の方へ短編漫画集としてお伝えし、そして記録するものです。

KADOKAWAより第2巻が発刊されます。
タイトルは『ストーリー311 ―あれから3年』です。
発売日は来年の3.11になります。

この第2巻に「さちみりほ」先生が福島第二原発で私が経験した事を書いてくださいます。
アプリシエイト フクシマ ワーカーズの代表として私自信も登場いたします。(作家の皆さんは少女漫画家の方なので私も例にもれずイケメンに書かれています。その点はご容赦ください。)

まだ発売になっていませんので原稿をお見せする事は出来ませんが、当時どういった思いで作業していたかの一端は十分伝わる内容だと思います。

またこれにより原発で働く人達の「地位の回復」と「社会支援の促進」に繋がる事を期待しております。

今日は実際に先生のお仕事場にお邪魔してきました。
現在東京電力より公表されている写真を資料として作成されていましたが、やはり資料としては十分ではなく、また原子力発電所があまりに世間とかい離した設備である事に大変苦慮なさっていました。

作品のクオリティ(特に誇張表現や事実と違う表現にならないように)に当事者としてアドバイスさせて頂きました。

添付した画像は現在発売されている「ストーリー3.11」の1巻になります。

震災当時どのような事があったのか知りたい
でも、生生しい破壊された町の写真を見る事自体に抵抗がある
そういったお気持ちをお持ちの方は、親しみのある漫画という媒体からは
いかがでしょうか?

2013.12.24

1月上旬に機能性インナー(例ヒートテック)1100枚をJビレッジに届けます。

今日ようやく来月初旬の機能性インナーの配送手続きの段取りが終了しました。

1月上旬に機能性インナー(ヒートテック)1100枚を届ける事になりました。

これで今までの実績はカイロ9万個、機能性インナー3100枚となります。

たった一人で始めた活動も皆さまの応援のおかげで、現地の方が実感できる物量をおくる事が出来ました。

この物量の多さが更に大きな反響を呼び、作業員の方々の不遇がクローズアップされる事になり、そして改善すべき本来の人達が居住環境の改善、インフラの改善に動きだすことを目指します。

私達団体がやる事は本来東京電力がやる事だと、よくお叱りを受けます。
その通りです。

でもだからといって困っている人達を助けない通りはないと私は思っています。

この日本に一人くらい声高に応援する人間がいてもいいと思います。

変わらない福島の現実に私が出来ることは小さいですが
それでも賛同してくれる方々と一緒に歩んでまいります
移送出来る機能を持つことが要求されています。

2013.12.22

汚染水タンク堰からの漏えいについて。

汚染水タンクのトラブルがニュースで報じられています。

21日に1か所、22日に2か所、計3か所の漏えいが発見されました。

貯めている汚染水の濃度に比べ検出されるストロンチウムの少なさから、
堰内にとどめて置いた雨水が構内で今も続く大気汚染による影響で汚染している物と推測されます。

この問題がニュースで簡単に報じられる状況に大変憤慨しております。

現地社員、作業員の方々のご苦労を考えると否定的な文章を書くことは、はばかれる気持ちになりますが、問題をそのままにする傍観する事は一般の皆様への裏切りと考え記事を書きます

まず今後の続報を待つところですが、施工不良の疑いはないか?という事です。
請け負った企業はどこなのか?これも本来明確にする必要があります。基礎がもし施工不良であったのであれば、それは東京電力の監督責任を超え施工した企業に本質的問題があります。

次に確認したいのが、発注段階での仕様の間違いはないかという事、これに関しては東京電力に全責任があります。

それと、堰内に雨水をためておくやり方をなぜ国と福島県は黙認しているのかという事です。
明らかにされずとも過去の経緯から、雨水自体は放射能を含んでいなくても堰内に貯めることから汚染されることは、過去の堰内雨水が汚染していたことの結果から容易に想像がつくことです。

堰内雨水を漏えいさせた責任は東京電力にありますが、汚染した雨水を堰内で保管するやり方を黙認していた、国、原子力規制庁、そして言いたくありませんが福島県庁も同様に責任があります。

また、本来の堰の役割はタンクからの漏えいを外部に漏らさずブロックするものです。
そこに雨水を貯めておくこと自体が使用目的に外れていることを認識しなくてはいけません。

この問題を根本解決するには、汚染水タンクを建屋で覆うことが必要です。
放射能廃液を内包するタンクが雨ざらしにされている異常さを誰も指摘し改善させないことが根本原因です。

通産省令第62条「原子力発電設備に関わる技術基準」において放射能廃液を内包するタンクは建屋内にあること、そしてそれが漏えいした事が分かる検出器機能を持たせること。堰内に漏えいした場合、自動で検出しかつ移送出来る機能を持つことが要求されています。

福島第一原発を除く全国の原発で守られています。

福島原発はなぜ守らなくてよいか
それは今も非常事態宣言中だからです。
これは国の了承を得ているものです。

福島原発が非常事態中である。
私も激しく同意します。
しかし、表向きはアンダーコントロールされていると言います。

非常事態中だから守れないが本質で、実際は非常事態宣言中を理由に守らなくてよいになっているのが実情です。

汚染水タンクの増設が急務であった時代、ほんの一年前ですが、それは緊急事態ですから、法令を超えた現場作業が優先されるべきです。
しかし現在はある程度落ち着いています。
そうした段階では事業者(東京電力)はコスト度外視で法令要求に自主的に答える必要があります。

原子力に関わる法令は原子力電力社員とそれに関わる規制側しか知りません。
言わなきゃばれないでは困るのです。

私は本職がこの放射性廃液の保守管理でしたから、東電社員の中でも限られた放射性廃液法令に明るい人間だから出来る指摘です。

汚染水タンクの実情を東電発表をそのまま報じる報道機関に、大変な勉強不足を感じています。

こうやって書くと大変な問題だと思われるでしょうが、最後に皆さんに思い出して欲しことがあります。

福島原発は水素爆発とメルトダウンした原子力発電所です。
当然敷地内は常軌を逸した汚染をしています。

雨が降りました。
堰内の雨水だけが汚染しているとお思いですか?
当たり前に敷地内に出来た水たまりは全部汚染しています。

堰の周りの水たまり、測定していませんし公表されませんが、堰内の水と同様の汚染をしています。

汚染された水が堰から漏れた
大きな問題ですが、漏れようが漏れまいが、漏れた場所の水たまりも同様に汚染しているのですから、水が移動したに過ぎません。

震災から2年9カ月、雨が降るたんびに雨水は汚染され、土中にしみこんでいるのです。

本当の問題は、汚染水の管理がなっていない事なんです。

外部できちんと指摘出来る人間がいないから、いつまでたってもレベルの低い管理方法がまかり通ってしまう。

そしてそれを当たり前に感じてしまう事が問題です。

汚染水タンクの周りに堰を設けて、しかもそれをかさ上げし雨水をためている。
それをなぜやっているかも書いておきます。

一つは今も続く地下水の流入によりタービン建屋地下と洞道に溜まる高濃度放射性廃液(通称汚染水)の増量を止める手段がないこと。

仕方がないので汲み上げ、地上の汚染水タンクに移送していますが汚染水タンクの容量が追い付かないこと。

堰内に溜まった雨水は「設備内廃液」となり、例え堰外の水たまりと同程度の汚染であっても、飲料水レベルの基準値が適用され、構内に捨てることすら許されず、タービン建屋地下に際移送し汚染水を増やすことになってしまう事。

急場しのぎで作ったタンクが施工不良と耐久不足が発覚し今後使えないこと

そういった汚染水の行き場のない、やりくりの中生まれたのが、堰内に保管するといったやり方なんです。

攻めどころは、進まぬ汚染水処理の実情なんです。

このやり方に問題は多々ありますが、これしかやり方がないのが現場の実情です。
もしこれをやめれば、タービン建屋地下と洞道に汚染水が過剰に溜まり、溢れることにより、超高濃度汚染水が海へ放出される事になります。

それだけは絶対に防ぐ必要があります。

皆さん、忘れないでください。
今もかなり逼迫した状況で汚染水対処をしています。

堰から漏れたことを叩くことを否定しませんが、それの背後にはもっと恐ろしい末路が隠れています。

それを防ぐ為に現地社員と作業員の方々が奮闘し、これ程度で済んでいるともいえる状況です。

最低でも覚えて頂きたいのは、汚染水処理は今もぎりぎりの綱渡り状態で保管していること。

汚染水タンクが建屋で覆われるまでは、この手のトラブルは永久に続くこと。

建屋で覆われていない事は本来法令違反であることです。

じゃあさっさと建屋を作ればよいのでは?
これも理由があるのです。

汚染水タンクを一刻も早く建てる必要があったため、膨大な数のタンクが出来ました。
その為、後で建屋を建てるための重機を入れるスペースがなくなったのです。
それに超重量の建屋に耐えられる基礎地盤になっていません。
やりたくても出来ないのです。
これは完全な東京電力の落ち度です。
非常事態宣言中だから、法令を守る必要がないという考えがどこかで根底にあったからと推測できます。

現在は雨どいをつける対策をとっています。しかしそれはシートで雨水を堰外に導く応急処置で60%ほどの雨水しか排除できません。
堰のかさ上げも鉄板で上げただけです。
いつ水圧に耐えられず漏れるか分かりません。
普通やりません。急場しのぎです。

今この問題を再燃する事も当然必要でしょうが、私がお願いしたいのは
狭い重機スペースでも大型の建屋を建てれる技術はどこかにないかといった事です。

これが本当の技術支援ではないでしょうか?

世にごまんといる自称原発専門家の方々、なぜ指摘しないのですか?
肩書きは飾りではありませんか?

堰から漏れても、周辺水たまりと同様の汚染ですから問題にならないのでしょうか?

掘り下げれば本質的な問題が浮き彫りになります。

もっと問題にすべきは処理が進まぬ汚染水の実情のはずです。

汚染水タンク堰漏えいのニュースはこちらLinkIcon

2013.12.21

ひろのオリーブ村さんにお話しを聞いてきました。

先月からお邪魔させて頂いています。

広野町は福島原発復興拠点である「Jビレッジ」がある町です。
厳密にはJビレッジは楢葉町と広野町にまたがった大型サッカースタジアムです。

震災後から現在まで、ここが福島原発復興の重要拠点となっています。

本来、国の重要課題である福島原発を収束させる為に必要な重要施設がある町は、復興も進み地域開発されるはずですが、実際は震災前よりも町の経済水準は低い状態です。

町には現在、コンビニ、弁当屋、ガソリンスタンドといった原発作業員向けの細々とした商店があるだけです。
それと真逆にかつて閑古鳥に近かった民宿等は盛大な発展を遂げてはいます。

しかし本来住民の広野町の方が住むには、満足な環境は整っていません。
それを表すように、現在制限のない町にも関わらず住民5000人のうち1000人ほどしか帰還していないのが実情です。

かつて稲作が農業の中心であった町は風評被害から立ち直ることができず、新い産業もありません。

そのような厳しいなか、広野町住民の方自らが立ち上げたのがオリーブ産業です。

現在はオリーブの苗木を育てる技術を培っている状態ですが、将来的には稲作に代わる産業を目指しています。

その活動に私達も関わられせて頂くことになりました。

主役は広野町の方です。
私達は広野町の方が自立できる状態を後押しするにすぎません。

現在どのように支援する事がよいのか
それを調整しております。

町の方が作り始めた「希望の芽」を咲かせるお手伝いを始めます。

作業員の支援と同時に生活を共にする町の発展に取り組んでまいります。




2013.12.18

長野市、信州善光寺様にて「東日本大震災復興支援 善光寺出開帳両国回向院 収支報告会に参加させて頂きました。

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本日は長野県長野市にあります信州善光寺様にご招待され、「東日本大震災復興支援 善光寺出開帳両国回向院(ぜんこうじ、でかいちょう、りょうごく、えこういん)」にて集められた浄財の寄付先として、マスコミ向け収支報告会に参加させて頂きました。

出開帳(でかいちょう)とは、普段は拝することのできない寺院の秘仏や霊宝を一定期間公開し、特別に拝むことが出来る催しです。

平成25年4月27日(土)~5月19日(日)の期間で行われました。
江戸時代に行われた回向院(えこういん)での善光寺出開帳では60日間で1603万人の参詣があったと言われています。(1778年、安永7年)

本来の出開帳は寺院の修繕費を補う為に行われますが、今回は東日本大震災で亡くなられて方のご供養と被災地の復興支援を目的として行われました。

そうして集められた浄財の寄付先として、選んで頂きましたことを大変感謝しております。

先日の投稿でもご紹介しましたが、善光寺様では毎朝、福島第一原子力発電所で作業される方々の安全をご祈祷くださっています。

こうして支援を頂けますことを、実行委員長の若麻績 敏隆(わかおみ びんりゅう)様のお言葉をお借りしますと正に仏縁であると感じる次第です。

今回の収支報告には、地元長野県のTV局、新聞社が多数取材に訪れていました。
各メディアの前で短い時間でしたが、原発作業員の方々を守る必要性について訴えさせて頂きました。

この度多額の支援とメディア露出への機会を設けて頂きました、善光寺様、回向院様に大変感謝いたします。
そしてその思いを現地で働く人達に還元することをお約束いたします。

本日、アプリシエイト フクシマ ワーカーズ以外に支援を頂いた団体様をご紹介いたします。
東北という繋がりを持ち、同じ被災者として、今日伺ったお話しは涙をこらえきれない物でした。
どうか、皆さまも下記団体様のご活動を調べ、思いを共感して頂きたいと思います。

震災から2年9カ月経ちましたが、未だ復興の道が険しい事が伝わると思います。

(敬称略)
石巻市立病院開成仮診療所
ふくしまキッズ実行委員会
如意山金剛寺(陸前高田市)
(公財)全国青少年教化協議会
NPO法人総合型りくぜんたかた
栄村
南三陸研修センター
要害観音堂(陸前高田市)
海岸山普門寺(陸前高田市)
地域創造基金みやぎ(さなぶり)

2013.12.16

京都市、寄す処(よすが)さんにて行った講演会が新聞に掲載されました。

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先日の京都市の寄す処(よすが)さんで行った講演会の内容が新聞に掲載されました。

京都新聞社、毎日新聞社、朝日新聞社 計3社に掲載されました。

当日お越し頂いた方は24人ですが、こうして掲載して頂くことで沢山の方に私がお伝えしたい趣旨が伝わります。

関西方面では福島原発の情報は、殆ど入ってこないそうです。

読まれた方の一人でも多くが、福島原発で働く人達に思いを馳せて頂ければと思います。

そしてその声が大きくなった時、東京電力や元受企業、地域行政、国が作業員の方々の保護に動いてくれます。

現地の方は声を挙げられません。

私達が彼らを救うことは出来ます。

彼らの声に耳を傾け、変わりに声をあげることが遠回りに見えて
最大の近道だと思っています。

応援している人がいる
それだけでも、現地の人達にとっては心の支えになります。

彼らを孤軍奮闘させてはいけません。

世界で一番危険な原子力に立ち向かう彼らを支える社会基盤を作ることが必要不可欠です。

2013.12.15

京都市、寄す処(よすが)さんにて講演会を行いました。

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本日の活動報告です。

Art space寄す処(よすが)さんにお世話になりました。
無事京都講演を終えることが出来ました。

福島原発で起きている事もそうですが、そこで働く人達の生活環境について詳しく説明させて頂きました。

お越し頂いた方のご感想は
「世界有数の問題に取り組む人達が、低給与や居住問題を抱えているとは知らなかった。改善して欲しい」
「高い士気を保っていると思っていたが、実際はやる気や生きがいを失っていると知った」
「福島原発内の情報すら断片的にしか知らなかったが、作業員の方々が大変な負担を強いられている事を初めて知った」
「東京電力という会社には言いたい事もあるが、現地で頑張る社員は別、応援したい」
「被災地の復興と作業員の保護は同時に行うべき」
「東京電力、国、地域行政は作業員の保護にもっと力を使うべき」
「福島原発に近い町の復興が進んでいないとは思わなかった」
等など

講演を聞く前、後では考え方が大きく変わったと言われる方々が多かったです。

朝日新聞社、毎日新聞社、京都新聞社の方が取材にお越しくださいました。

私が訴える作業員の方を保護しなければ、福島原発の収束はありえない
という考えがより多くの方に伝わって欲しいと思います。

今回短期間で企画して頂いた沼沢さんに感謝しております。
沼沢さんも今は京都に住んでいらっしゃいますが、元々は南相馬市生まれの方です。
故郷を思う気持ちと、臭いものにふたをしたくないというお気持ちから企画してくださいました。
大変温厚な方でお話しさせて頂いて大変楽しく、素晴らしい空間を提供して頂きました。

講演会の後に座談の場を設けて頂き、様々なジャンルの方とお話しさせて頂きました。
散々技術的な除染の話で盛り上がった後に実は京都大学の教授の方だと分かり、大変多くのアドバイスを頂くことができました。

人と人とが会う。これは縁ですね。
私はこの縁に大変恵まれていると感じます。今までの出会いを振り返っても皆さん会った事のない素晴らしい人ばかり。
講演会で勉強させて頂いております。

今回も来てよかったとつくづく実感しています。
この出会いを自分の糧で終わらせることなく、福島で未だに苦しむ方々にどう上手く繋げていくか、考えていきたいと思います。

お世話になった「寄す処(よすが)」さんの写真を添付いたします。
ギャラリーカフェもずいぶん行きましたが、気軽のアートに触れられる場所です。
何より店長の沼沢さんが素敵な方です。

お近くの方は是非、足を運んでみてください。
若い作家さんのご支援もされています。

京都駅から、歩いて20分ほど中筋通り沿いにあります。
楽しいですよ。

2013.12.11

団体ミーティングを行いました。

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津田大介さんに取材して頂いた後、この一カ月間の活動を振り返り
団体メンバーとのミーティングを行ってきました。

私以外はそれぞれに仕事をしています。
大変多忙なメンバー達、今日集まったコアメンバーは東京在中で活動してもらっています。

主に人脈作りと、今後の活動イベントアイディアの創造等です。

人権費も出せない状況でも、勢力的に活動してくれています。

今回の議題は1月から3月までの次のアクションの進め方
団体HPの内容確認と改訂
ひろのオリーブ村さんと協同させて頂くことで、広野町復興も活動の軸としていくこと
この1カ月で培った、新聞社、TV局、著名人とのコネクションの確認
企業からの支援を受ける方法と、実支援企業確認
会計報告と承認
今後の資金繰りについて

3者3様のアイディアの出し合い
私とはまったくタイプの違う人達なので、大変勉強になります。

18時から24時まで、相変わらずびっちりとやっています。

メンバーで再度確認したのが、主役は誰なのかという点です。
それは福島原発に関わる人達と原発事故被災地で立ち上がっている方々です

私達はあくまで裏方、現地の方々が廃炉に復興に集中出来るように後押しする

この感性を再確認いたしました

仲間に直にたより、ひとりよがりにならず、そして忘れていけないのが楽しく活動していこうと思います。

2013.12.11

ジャーナリストの津田大介さんに取材して頂きました。

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津田大介さんのプロフィールはこちら  津田大介さん公式HPLinkIcon


今日は六本木ヒルズにてジャーナリストの津田大介さんに取材して頂きました。

お話しした内容は、私が東京電力を辞めるに至った経緯とこれからの福島原発の収束廃炉作業を進めていくには「原発作業員の保護の重要性」とそれには「原発事故被災地の復興が必須である」ことです。

津田さんは震災後、幾度となく福島の地に訪れ新しい復興の在り方を説いていらっしゃいます。

アプローチの仕方は違えど、福島を思う気持ちには違いはありません。
私がお伝えするのは生々しいものです。
住んでいる、原発で働いていた、社員だったから見える内情等です。

近く、津田さんのメルマガで対談の様子が書かれます。

影響力のある方のお力をお借りして、現地の実情をお伝えする
これも私達「アプリシエイト フクシマ ワーカーズ」の活動の一部です。

国と東京電力が主導して労働者の働く環境の整備とそして働きやすさの創造しなくてはなりません。
そして労働者を直接雇用している元受企業にも責任はあります。

また、作業員の方々が実際に暮らす町の開発も必要です。
それも被災地の方々と融和できる形でです。

これらを進めていくには民意形成が必要です。
簡単に言えば、社会が日本の重要課題に挑む作業員の方々を支援するというものです。

現地支援は民間で作りあげていくことが出来ます。

社会を変えるのは政治でも大企業でもありません。
私達、社会の一員達です。

40年を超える収束作業は確実に次世代に引き継がなくていけないものです。

今からでも社会基盤を作らなくてはなりません。

福島の声を執筆されている林さんのお言葉をお借りすれば
「怨恨を超えたその先にあるもの」です。

感情を超え、目の前にある「福島原発」という危機にたいして
現地の言葉に耳を向け改善に多くの方が一歩を踏み出せるよう
活動してまいります。

2013.12.11

Jヴィレッジにカイロ6万個をお届けしました。

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1度で運べず、2tトラックを2回使っての搬入になりました。
3度目の訪問になり、Jビレッジ物流倉庫を管理されている作業員の方々とも顔見知りになってきました。
ちょっとした冗談を言いながら、楽しく搬入しています。

運送会社の方も今回で2度目、お互い身の上話をするように

同じ浜通りの人間ですから、打ち解けるのも早いですね

ちょっとした会話の中に復興へのヒントがあります
震災からインフラ面は大分進みましたが、分裂した人のこころをどう繋いでいくか

特に高齢者をどうやって守っていったらよいか

作業の合間にお話しさせてもらいました。

日の目を浴びない問題についてどれだけ取り上げられるか
それに自分達がどう関わることが良いのか

考えさせられる一日でした。

帰りにひろのオリーブ村の方を訪ね、稲作に代わる産業としてオリーブの栽培を行いたいというお話しを再度確認してきました。

年明けからは、広野町の復興にも強く関わっていきたいと思っています。

明日は月一のミーティングを行います。
各自の活動報告と今後の団体の方針を詰めていきます

写真はカイロ60個1パックが4個入った段ボール250個の写真です。
パレット積みで4体になります。

見た目の物量も送れたと思います。

2013.12.5

イラストレーターの茶畑和也様よりカレンダーを頂きました。

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2011.3月28日から毎日ハートの絵を描かれています。

3.11を忘れることなく歩いていくために、これからも書き続けたいと思います。(茶畑さんのコメントより抜粋)

100冊も無料で頂きました。

ご本人とお話し、私の判断で仮設住宅や町役場等に配ることを了承して頂きました。
お電話越しでも、人柄の良さが伝わる方です。

京都講演の行く際にお会いする予定です。
名古屋で活動されています。
遠い福島、東北支援を今をされている事に、一人の被災者としても大変感謝しております。

明日お配りさせて頂きます。

少しでも受け取った方が幸せな気持ちになって頂ければと思っています。

2013.12.5

株式会社サナヴィータ様よりサプリメントを頂きました。

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レスベラトロール(ポリフェノールの一種)を含有したラムネ菓子です。

こちらは福島で活躍される方々へ無償で提供したいというご好意で頂きました。

私は在職時代、こういったご支援を実際に受けています。
錠剤の物から、液状の物、水に溶かして飲む物

働く人達の健康を心配されて全国からご支援頂いたことをよく覚えています。

現在はこういったご支援はありません。
そのような中の申し出は大変ありがたいと思っております。

しかし一つ問題があります。
お気持ちはうれしいのですが、今までの経験ですと非常に飲みずらい物がありました。

水に溶かす物などは水道が使えない現在では服用が難しい実情もあります。

それとゴミの問題もあります。
例えば液体上の物は袋を洗う必要があります。
発電所に入ったごみは基本放射性廃棄物扱いになり、外に持ち出せません。

ゴミを保管せざる負えないのです。洗って綺麗にし潰して保管するしかありません。
汚れが悪臭のもとになり、公表されていませんが大変苦労しました。
(悪臭の中、作業員の方が減容処理されていました。)

なので、一度サンプルを頂き自身の経験をもとに発電所にいれても迷惑がかからないか判断してからの届けになります。

今回頂いたのはタブレットタイプで味もサプリメントにしては美味しいし
これならいけそうだと思っています。

団体会議にかけまして、その後Jビレッジに搬入する予定です。

内部被ばくにも効果があるとの事で現在論文を取り寄せ中です。

こういったご支援は繋いでいきたいですね。

初の企業様よりの支援になります。

少しずつ支援の輪が広がってきました。

原発支援するにあたって、相手側の事情に精通しなければ
かえって迷惑になります。

相手側と相談しながら進めてまいります。

2013.12.5

現在の福島原発の通勤問題について。



福島県の浜通り地方(海側)は基本的に国道6号線を通らなければ進む事が出来ません。

途中支流となる道がありますが、最終的に発電所に続く道路は1本道(片側1車線)になります。

通常時、どうしても国道6号線は原発作業員の方々と除染作業員の方々が集中し、朝夕は渋滞が発生してしまいます。

これに対する有効な解決策はとられていません。

作業員の方々はめいめいで、自分なりに通勤短縮の為あれこれ脇道を探している状況です。

通勤の為に広野町ICまで続く高速道路(常磐自動車道)をあえて使う方も多いです。

個人の工夫には限界があり、いわき市から通勤される方のほとんどは、福島第一原発まで2時間から2時間30分かけて通勤されています。

ただでさえ大変な通勤で新な問題が起きています。

それは、原発入口渋滞です。
以前から入口渋滞は起きがちでした。それは一人一人、入構証と呼ばれるIDカードを確認するためです。
これは、原発作業員として登録していない方は入構させない為です。
簡単に言うとテロ対策が目的です。

先月福島第二原発でパトカーに追われた方が、その入口を強行突破しました。発電所へ続く道は発電所入口で袋小路になっています。
片側一車線で行き止まりに入構ゲートがある。
そういった作りになっています。

たまたま、パトカーに追われた人が迷いこみそういった暴挙にでた結果
現在発電所入口は車一台を通すことにゲートを開け閉めするようになりました。

以前は朝夕の通勤時間帯に限り、ゲートを解放し警備員が車を一台ずつ停止させ確認がすめば進めるようにしていました。

それが、一台通す毎にゲートを開け閉めのやり方に変わり、入口渋滞が大変な事になっています。

発電所入口周辺に到着しても、30分以上待たないと入れなくなりました。

表向き、突破された分けですからテロ対策不十分とみなされ、東京電力は厳重にしました。
でも、そこで働く人達にすればいい迷惑です。

この件については作業員の方々と社員から大変な不満が出ています。
私の友人はいわき市から福島第二原発に通うのに、朝6時に家を出るようになりました。
いわき市の中心部からです。

私がもし会社を辞めてなかったら、6時前には家を出ないと間に合わないでしょう。(いわきの外れに住んでいるため)

作業員の方々は出勤時間が早いのでもっと早いはずです。

福島第二原発まででこれですから、なお遠い福島第一原発では3時間コースになってしまいます。

通勤時間って個人の問題にされがちですが、作業員住宅がない、被災地であるいわき市が慢性的に賃貸不足、個人で解決できない問題なんです。

これは復興が進んでいないのが大きな原因です。

発電所に入るためにかかる時間は完全に東京電力が改善することです。
これは東京電力の問題です。

職が選べる人なら、こんなまともじゃない通勤だけで辞めてしまいますね。

作業員、社員の流出が止まらないのは、発電所の外問題があるのを認識して頂きたいと思います。

そしてこれらを改善するには、働く人達が声を上げるのは勿論ですが
私達も改善要求の声をあげてあげるべきだと思います。

支援とは物を送ることだけではありません。

実情を知り、変わりに訴えてあげることも立派な支援です。

この件については、私ども団体の方でも改善要求を東京電力に出します。
また、実情を行政側にも伝えてまいります。

2013.12.5

Jビレッジに機能性インナー上下1000着(計2000着)を届けてきました。

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本日、Jビレッジに機能性インナー上下1000着(計2000着)を届けてきました。

写真の段ボールで58箱です。

いわき四倉店のワークマンの社長様もご同行頂きました。
皆さんのご支援により、これだけの数が届けることが出来ました。

実際の搬入の際はJビレッジの作業員の方々に協力して頂いています。

少しでも本格的な冬を迎える前に福島原発作業員の方々への一助になれば幸いです。

また、この支援がきっかけとなり、原発作業員の方々の境遇改善(特に発電所から出た後の環境整備)と地位回復(現在の福島原発作業自体が誇り高いという認識)に繋がり、支えそして感謝する社会になって欲しいと思います。

2013.12.4

ひろのオリーブ村さんとお話しをしてきました。

先だって広野町コミュニティー講座を通して教えて頂いた、双葉郡広野町のオリーブ栽培について、早速、実際に活動されている方とお会いしてきました。(12/3にお会いしました。)

二ツ沼総合公園内にあるパークゴルフの受付窓口の前で、3時間ほどお話しを伺うことができました。

広野町でオリーブの栽培を始めたのは、震災後です。
町の有志の方で始められたそうです。

広野町で現在農業を続けていくことは大変難しくなっています。
除染が進んだ、取れる作物も検出限界値以下、それでも売れないのです。
売れないなら作らない。それが広野町の多くの農家の方の考えです。

農家の方がお米に代わる作物を求めてらっしゃいます。

将来的に何を栽培すればよいか分からない。
そのような中、限られた選択肢の中で選ばれたのがオリーブになります。

こちらの苦悩はオリーブ村のHPでも語られています。

今回お会いした方は、このオリーブを単発花火のような復興アクションにしたくないと仰いました。

今はまだ苗木を大きくする事しか出来ないが、将来的にはオリーブを広野町の特産にまで結びつけたいと。

支援を頂けるのは嬉しいが、例えば大量の成熟したオリーブの苗木をもらう等は受けたくないと言われていました。

将来産業にするには、育てるところから学び、農家の方に浸透させなければいけないからです。

大切なのは町民主導のもと、オリーブの栽培が6次産業になることです。

簡単に言えば、持続可能で経済性のある産業を作り始めた段階です。

よくある現地支援の形はお金を集めて、大量の資源を投入し、現地の方がやりたい、続けていきたいといった思いがないまま新しい産業を作ろうとします。

復興に向けて積極的な方だけが潤う、そんな産業を支援して一部の町民しか救われず、復興には結びつきません。

これでは長続きしませんね。

私が実際に活動している人と腹を割ってお話ししたかったのは、町の将来のために動いているかです。

昨日お会いした方は私財を投げ打ち、孤軍奮闘に近い活動をされています。
ですが、希望の種をまく活動です。

これは私としても是非お手伝いさせてもらいたいとお願いしてきました。
支援団体のご紹介、販売流通ルートのご紹介、広報活動、etc
出来る事は沢山あります。

未来を見据え、立ち上がっている方がいらっしゃいます。
でも中々、前に進めないのも事実です。
では私達は背中を押してあげればいいと思います。

主導は町の方、私達は日陰で応援する。

ひろのオリーブ村さんにとって、やりやすい支援の仕方を模索していきます。
明日、またお伺いして実際の作業現場と資料を頂いてきます。

皆様も是非下記のHPをご覧になってください。

ひろのオリーブ村.png

LinkIconひろのオリーブ村さんのHPはこちら

2013.12.2

12/2付け 電気新聞さんに活動が掲載されました。

電気新聞さんに載せて頂きました。

以前お付き合いのあった、メーカー代理店の方に「新聞見たよ」と教えてもらいました。

こちらの新聞は、一般向けというよりも企業向けの新聞になります。
当然原発に関わる企業が購読しています。

現地支援の輪がどうか広がりますように

早速、1件セミナー講師依頼を頂きました。
正式に日時が決まりましたらご報告いたします。

掲載の詳細はこちら

2013.12.2

カイロ6万個を追加発注いたしました。

今日はカイロ第二段として6万個を発注してきました。

先に届けたカイロ3万個は実は初日、2日目で半分が既に作業員の方々の手に渡っています。

単純に足りていません。
追加で6万個が送れる事にほっとしています。

これだけの数をかき集めるのにも、メーカーの方に大変ご無理をお願いしています。
在庫は限られています。
なるべく早い段階で次々と送れるとよいなと思っています。

数が倍なので、運送会社とも調整中です。
受け取る側の調整もあります。

なるべく同じ担当者通しで、ルーチン化出来ればと考えています。

カイロ6万個代金として 880,000円
を支出しました。

今後の調整になりますが、12中旬には届ける予定です。

本日までの募金金額合計 4,423,310円です。
カイロ6万個.png

2013.12.1

広野町(Jビレッジがある町です。)コミュニティー講座に参加させて頂きました。

先日、広野町コミニュティー講座に参加させて頂きました。

私が参加した日は全10回のプログラムのうち、8回目ですでに4つのプロジェクトが計画、実行されていました。

参加されたどの方も、広野町の復興を真剣に考えていらっしゃいました。
講師の方とより具体的に進めていくにはどうするか
3時間ほどの時間が大変短く感じました。

私が特に注目したのがオリーブの栽培と販売です。
広野町は「みかん」が名産の町でした。
現在も取り組まれていらっしゃいます。
しかし風評被害と生産者離れにより、震災前の隆盛には届いていません。

オリーブの生産は震災後から始まった新しい産業です。
お話しを伺うとセシウムを吸収しにくい植物だそうです。
除染が進んだ地域で栽培する事については問題がありません。

オリーブそのものは商品価値も高く、オリーブオイルについては皆さんもご存知のように食用、美容品として使われています。
それにオリーブの実、その物も食べられます。

育てるご苦労も伺いました。
桃栗3年柿8年と言うように、実際の収穫には何年もかかります。
一から育てると実際の収穫は5年後になるそうです。
新たな取り組みである為、試行錯誤の栽培になっています。
栽培する場所の維持管理費もかかります。
苗木その物も3000円ほどかかります。

今は有志の方が進めてらっしゃいます。

こういった地域の方が熱意を持って将来的に進めていきたい事にこそ
支援が必要だと感じました。

既に栽培と販売は行われています。
それを広める手段と支援が足りていないと実感した次第です。

私も今だ知った段階にすぎません。
栽培、販売されている方と積極的に交流していきます。
そしてその方々が望む形で協力していきたいと思っています。

こちらにつきましては、今後も詳細を逐一UPしていきたいと思います。
現地の暗い話題ばかりではなく、明るい話題も皆さんに届けていきます。

歩みは遅いかもしれませんが、その土地で暮らす人達が自分達の力で前に進んでいます。

作業員の方々と町の方々が共存共栄していける理想は決して理想で終わらせないように・・

町の復興にも取り組んでまいります。